「鬼婆のお墓👹🔪」「日本最大級の悲劇伝説」「悪いのはいつの時代もスピリチュアル💀」「観世寺に鬼婆資料館(有料)」「安達ケ原ふるさと館にオニババみやげ多数🎁🔪」
鬼婆が退治され土葬された場所といわれています。鬼婆伝説は悲劇そのものです。京都で暮らす優しくて気品ある女性「岩手」は、世話係として仕えていた姫の苦しそうな難病を治せないかと悩んでいました。そこに諸悪の根源である占い師が現れ、薬として胎児の生き肝があれば治るとそそのかし、岩手はそれを求めて東北へ旅に出ます。老婆になるほどの不毛な長旅の末、福島の安達ケ原にたどり着いた岩手は、旅人を襲って生き肝を奪う鬼婆と化してしまいます。ある夜、故郷から逃げてきた身重の娘が宿を求めたので、胎児を引き出すために殺してしまいます。娘が「私の死を母に伝えてください」と残した時、鬼婆はその娘が自分の実の娘であることに気づきますが、時すでに遅く…。仕える姫のために実の娘を殺してしまったことに耐えられなくなり、狂乱した鬼婆はますますエスカレートします。ある日、鬼婆の噂を聞きつけ立ち寄った旅の僧侶を襲いますが、僧侶は持っていた観音像を掲げ、鬼婆は観音の力に打ちのめされ、ついに成仏しました。僧侶は悲劇的な運命を憂い、鬼婆をこの黒塚へ弔った、と伝えられています。
飢饉により親が子を間引くことが罪だと認識されていなかった大昔の東北地方。胎児や乳児の高い死亡率と結びつき、この地が物語の舞台として選ばれたのでしょう。しかし、この伝説が史実かどうかは定かではありません。なぜなら、母性の執着を戒める道徳教育的な物語は世界中に存在し、岩手県の鬼婆伝説もそれらと類似しているからです。それでも史実と伝説には共通点があり、悲劇の地として認識され、実在の事件がモチーフとなったのか、(主にお寺により)何らかの教育、啓発活動が行われたことに変わりはありません。現在も不道徳とみなされた女性を鬼婆と称する文化が残っているので、そのこうかはばつぐんです。以上のような視点から見直すと、鬼婆伝説のストーリーの緻密なアンビバレントさに感動してしまいます。
現代は鬼婆に対する同情の念が芽生えているのか、どこか愛おしい存在として扱われています。その証拠に、彼女をモチーフにしたキャラクターグッズやおもしろい土産物が多数作られています。岩手さんと被害者もようやく浮かばれることでしょう👩。
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Read more昔、京都の公卿屋敷に「岩手」という名の乳母がいて、姫を手塩にかけて育てていました。その姫が重い病気にかかったので易者にきいてみると「妊婦の生き肝をのませれば治る」ということでした。そこで岩手は生き肝を求めて旅に出て、安達ケ原の岩屋まで足をのばしました。 木枯らしの吹く晩秋の夕暮れ時、岩手が住まいにしていた岩屋に、生駒之助・恋衣(こいぎぬ)と名のる旅の若夫婦が宿を求めてきました。その夜ふけ、恋衣が急に産気づき、生駒之助は産婆を探しに外に走りました。...
Read more奥の細道 第13の段 「安積山・信夫の里」 曾良旅日記に「小キ塚ニ杉植テ有」とあり、まさにその風景がここにあります。 ここも歌枕の地です。 拾遺集 平兼盛 みちのくの安達の原のくろ塚に鬼こもれりといふはまことか また、謡曲「黒塚(安達原)」の舞台でもあります。 女鬼の話は惨澹(さんたん)たるものですので、記載は遠慮させて頂きます。
芭蕉一行は、謡曲「黒塚(安達原)」の、夕方黒塚に立ち寄って宿を求める物語に倣い、夕方に訪れているとされます。”夕方”というのが芭蕉のこだわりであるあるようですが、実際はこの日、現福島市郷野目に神尾氏を訪ねていることから、ここを訪れたのは昼頃で、前の安積山の”かつみ”探しも、ほとんど時間を割かなかったものと推測します。(歴史の真実は1つだけとは限らないことが”浪漫”でもありますから、戯言として聞いて下さい) 東にある天台宗の御寺「真弓観世寺」に女鬼が住んだとされる黒塚の岩屋と女鬼の塚があり、...
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