館内には日光東照宮の1/10の模型が展示されています。この模型は100年前に60人の彫刻士が力を合わせて作成したもので、彫刻の緻密さや技巧が際立っています。現在では仏壇を彫る職人が減少しているため、これほどの精巧な模型を再び作るのは困難だと言われています。
かつてはこの模型を、何台かのトラックに積んで日本全国を巡回していたという話もあり、歴史的な価値を感じさせます。
次に、日光東照宮へ向かう例幣使街道について解説がありました。この街道は、昔、京都から日光東照宮への勅使が幣帛を奉納するために使った道で、4月1日に京を出発し、15日に日光に到着していました。この伝統は221年間、途切れることなく続けられました。さらに、例幣使街道には樹齢400年の杉並木が続きます。400年は人間の80歳に相当し、500年まで生きると言われています。
日光の五重塔についても興味深い話があります。通常、五重塔の屋根は上に行くほど小さくなるのですが、日光の五重塔ではすべての屋根が同じ大きさです。これは、雪が下の屋根に落ちないよう工夫されたものですが、中にはそれを醜いと批判する人もいるのは残念です。
また、東照宮の象やバクの彫刻には特別な意味があります。象の彫刻は、振り向いている姿が、東照宮を訪れた人々をその方向へ導くとされています。また、象自体がいなかった時代に彫刻が作られているので、空想で作られていて、像の体は獅子のようになっています。バクの彫刻は、昔、バクは金属を食べるとされ、刀を持つ者を見張る存在として作られています。
陽明門をはじめとする建築物や彫刻には、それぞれ深い意味や工夫が施されています。特に、鳴き龍の建物では、中央を少し高くすることで居心地を良くする工夫が施され、結果的に響きもいいことで「鳴き龍」として有名になっています。一度ここは焼失し、当時の流行の絵師が新たな龍を描いたとのことです。
最後に、眠り猫の彫刻についてです。猫はネズミを捕る象徴であり、悪者が近づかないように見張っているとされています。この彫刻は一度薄目を開ける猫に変更されたものの、批判が多く元に戻された経緯があります。
更に解説をしていただいた罇(もたい)さんとは徳川時代と現代の日本についても話し合い、大変興味深い話になりました。
江戸時代は約300年続きましたが、その長さは惰性のようなものだったといいます。参勤交代や例幣使といったシステムがうまく機能したり、家老や家臣団が将軍を支え、安定した統治を実現していました。
一方、現代の長期政権はしばしば「老害」として批判され、腐敗の温床とされることが多いです。しかし、江戸時代から現代まで日本では政権が長く続くことが珍しくありません。これは、日本人の特性に起因しているのかもしれません。
多くの人々が、政権に信頼を寄せつつも、過度な期待はせず、少々のスキャンダルや問題も水に流してしまう傾向があるようです。例えば、森友・加計学園問題や裏金スキャンダルなどが取り沙汰されても、政権がすぐに崩れることはありません。それは与党自民党が農業や漁業への補助金、公共事業による地方経済の支援を行い、政権の基盤をしっかりと支えているようです。
さらに、日本人がこうした「悪性に耐える」特性を持つのは、自然災害に耐え忍んできた歴史が影響しているのでしょうか。台風や地震といった災害に対する耐性が、政治的な問題に対する耐性にも繋がっているのかもしれません。
そして日本は今、物価が安く、治安が良く、公共交通機関が定刻通りに運行されるという安定した社会を享受しています。一方で、GAFAを生み出したアメリカでは、物価高騰や医療制度の問題、社会の分断が深刻化しています。このように比較すると、日本の現状はそれほど悪くもなく、日本人は大きな不満を持っていないとも言えます。
とはいえ、徳川時代も長期政権の裏では、鎖国による技術的な遅れが明治維新の要因ともなり、最終的には幕府が倒れる原因となりました。現代の日本も、表面的な安定の裏に隠れた問題に対して、油断してはならないのかもしれません。
等々、様々な話に盛り上がり、非常に楽しい時間を過...
Read moreコレは凄い。単純な日光東照宮の1/10スケールの精密モデルであることを超えて、複雑な木組みや細部の彫刻調度、漆塗りや金箔張りまで再現された「小さな本物」です。有名な彫刻の「三猿」や「眠り猫」もきっちり再現されています。ちっちゃくてカワイイです(笑)。
約100年前に富山県高岡市の仏具師60人が、精魂を込め6年の歳月をかけて作り上げたそうです。昔は交通の便が悪くて日光は気軽に行ける場所ではなかったので、その絢爛豪華さを一般に伝えるべく全国の博覧会等を巡回していました。 普通に参拝しているだけでは見られない角度や高さで東照宮建物を鑑賞出来るのが、本物にはない魅力ですね。私は東照宮自体はもう何度も行って良く知っているつもりでいたのですが、今回面白い発見がありました。
それは東照宮の五重塔の形状に関するものです。ちなみにこの五重塔は塔マニア(?)からは極めて評判が悪く「五重塔史上、最低最悪の造形」「塔建築がなんたるか全然分かっていない」と散々に叩かれまくっているという、いわくつきの代物です。 現地で見上げる分には「言われる程のものか?」と思っていましたが、今回モデルで全体像を観察するに及びワタシも同じ結論に至りました(失礼!)。
とにかくヒョロヒョロと細長くて不安定に見え、しかも頭デッカチで重くこれはいけません(写真参照)。原因は各層の低減が小さすぎ、最下層とほぼ同じ幅、屋根の大きさのままで最上層まで持っていってしまっていることにあります。
模範とされる日本最古の法隆寺五重塔では、実は最上層の屋根面積は最下層の半分しかないのです。それによって初めて塔はピラミッドのような安定感と天を衝く鋭さを表現出来るのですよ(写真参照)。 さらに美術評論家フェノロサが「凍れる音楽」とまで絶賛した薬師寺東塔と較べると、その美的違いがもっと明らかになります(写真参照)。
各層の適切な低減に加えて層と層の間に「裳階」と呼ばれる飾り屋根が付加されて、塔体に美しい「クビレ」が生じました。外観にリズミカルな変化ができて見る人をいつまでも飽きさせません。凍れる音楽とはよく言ったものです。一方死者にムチ打つようで申し訳ありませんが、日光五重塔は細長いのにズン胴、顔デカってどうなのよ・・・。
江戸時代の刀の作製技術は鎌倉時代に及ばない、と言われる事もあるように、江戸時代は様々な先行知識や技術が失われてしまった時代でもあるのですよ。最新の物、必ずしも最善ならずといったところか。もちろんコレは江戸時代の人間の美的センスについて触れたもので、文化財を守り伝えてきた人々を中傷する意図は微塵もご...
Read more初めての訪問。小さく東照宮模型展示の看板が見えたので立ち寄りました。 館内には日光東照宮の1/10の模型が展示されています。係の方があらまし説明してくれた内容によると、この模型は100年くらい前に、富山県高岡の職人さんが作成したものだそうです。仙台の篤志家が個人的にお金を出して依頼したものだそうです。現在の貨幣価値で2億円弱ではないかとのこと。北陸は豪勢な仏具を作る職人さんがたくさんいたのが伺われます。金箔貼り、彫刻、絵師の緻密さや技巧が際立っています。もっと周知さ...
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