旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争が日光の地にも及び、いよいよ日光東照宮も危うくなってきたかと思われるとき、日光東照宮の御神体が動座することになる。 幕府軍は会津藩まで御神体を移そうと画策し、およそ130人ほどの社家・供僧・神人・会津藩士が警護する中、夜間に日光山を出立した。一行は律院から外山の東を経て六方沢を越え、栗山郷日向村龍蔵寺で一泊、さらに五十里を経て山王峠を越えた。しかし会津藩も落城の危機に瀕していたため、御神体はその後いくつか場所を変え、約7ヶ月後、混乱の収まった日光に戻って来た。 栗山東照宮はその動座の際、野門の小栗久右衛門に御神体の安全を命じたという話から始まる。 実際、日光東照宮の御神体は野門は通っていないが、昭和28年頃に小栗家の神棚の奥から発見された御神体が、日光東照宮の本当の御神体ではないかとの騒動があった。 しかし調査の結果、栗山東照宮の御神体は享保14年頃につくられたものとされた。栗山東照宮は昭和45年になって有志の方々によって新たに建立され一般に公開されている。
毎年10月に開帳が行われ、家康像、そして太郎山、男体山、女峰山の神(像になっているので本地垂迹説で言う阿弥陀如来、馬頭観音、千手観音か?)がお披露目される。
ちなみに、この神社前の狛犬は、川俣ー戦場ヶ原間に昭和初期まで存在した西澤金山の山神社にあった狛犬が移...
Read more奥鬼怒の帰りに地図で見つけて気になったので寄りました。
戊辰戦争時、後の明治政府軍に日光東照宮を攻められるとを危惧した会津方が御神体を隠したとのこと。
野門の小栗久右衛門が守護職を命じられて長らく隠されていたのが昭和になって発見され、この栗山東照宮が建立されたようです。
全然知らなかったので大変勉強になりました。
県道沿いに大きな門があり、葵の紋があるので入り口はすぐにわかります。 しばらく坂道を上ると集落が現れます。
集落に入ってすぐに無料駐車場と公共トイレがあります。
周りは民宿が数件ありますが、他には何もないのどかな集落です。
民宿一乃屋さんの向かいに鳥居があります。 階段を上ったところにお祀りされていますが、社の周りも何もなく、振り返ればきれいな景色が楽しめます。
しばらくボーっと景色を...
Read moreRead more古めかしい小さな祠です。苔むしていて、瀧くんの声で《ここから先は、あの世。》って、あのセリフが聞こえた気がしました。階段の横には朽ちた民家が有り雰囲気を醸し出してくれます。階段の上から見下ろすと“君の名は”のラストシーンを思い...