素晴らしいお寺です。 眞名井御前のお墓はありませんが、眞名井御前の供養をされるならこちらのお寺だと思います。 曇っていましたが、神秘的でした。 珍しい融通小判というのお守りがあります。
白髭大明神と善女龍王が並んでお祀りされていました。お相撲さんの石の彫刻もありました。
寺号の「神呪寺」は「神を呪う」という意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)としたことによるという。なお、「神呪」(じんしゅ)とは、呪文、マントラ、真言とほぼ同義で、「仏の真の言葉」という意味がある。開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」であり、「感応寺」という別称もあったようである[2]。
神呪寺の本尊・如意輪観世音菩薩坐像(重要文化財)は大阪府河内長野市の観心寺、奈良県宇陀市の室生寺の如意輪観音像と共に日本三如意輪観音の一つとされている。融通さん、融通観音とも称され秘仏となっている[7]。家業繁栄・商売繁盛のご利益があるとされる。 桜]材寄木造りで像高は98.7センチメートル。天長7年(830年)に空海が開祖・如意尼の姿をそのまま写して刻んだものであるとされている[7]。 5月18日に融通観音大祭があり、本尊の開扉がある[7]。
皇太子時代の淳和天皇は夢告に従い、四天王寺創建に伴って聖徳太子が開基した京都頂法寺(六角堂)にて、丹後国余佐郡香河(かご)村の娘と出会い、これを第四妃に迎えたという。香河では小萩(こはぎ)という幼名が伝わり、この小萩=真名井御前をモデルとした小萩観音を祀る寺院がある。古代、丹後国は中央氏族とは別系統の氏族(安曇氏などの海人系氏族)の勢力圏であり、大王家に対し后妃を出す氏族であった。この余佐郡の娘、小萩は日下部氏の系統である可能性が高い。 『元亨釈書』によれば、淳和天皇第四妃真名井御前=如意尼は、如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家を行うために天長5年(828年)にひそかに宮中を抜け、頂法寺(六角堂)で修行をし、その後今の西宮浜(御前浜)の浜南宮(現・西宮神社)から廣田神社、その神奈備山である甲山へと入っていったという。この時、妃は空海の協力を仰ぎ、これより満3年間、神呪寺にて修行を行ったという。
天長7年(830年)に空海は本尊として山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで、如意輪観音像を作ったという。この如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)10月18日に本堂が落慶している[4]。同日、妃は空海より剃髪を受けて僧名を如意尼とした。如意尼が出家する以前の名前は真井御前(まないごぜん)と称されていた。またこの時、如意尼と一緒に出家した二人の尼、如一と如円は和気清麻呂の孫娘であった。
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Read more5年前の5/18、 大阪の大切なお友達から誘っていただいた「神呪寺」の秘仏。 そのときにお願いしたことの願いが叶ったので、お礼参りに行こうと思いながらなかなか行けてなかったので、本日やっとお参りに行けました。 5年ぶりのお参りです。
この弘法大師空海が彫ったと言う「如意輪観音」通称『融通観音』様のお写真は撮れないので載せられませんが、多くの方の願いを通してこられたということから、この通称となったようです。
師匠と弟子のような関係。 もしかしたら尊敬する師に対する眞名井御前の思いを想像すると、胸がキュンとします。
2回目のお参りでしたが、今回もお天気が良くてありがたく、お蔭様でした。
この5/18日は年に一度の、如意輪観音様のご開帳の日なので、時間の余裕を持って行かれることをお勧めします。 お堂の中で、まるで牛歩のようにお参りの列ができます。 兵庫県西宮市の神呪寺では、毎年5/18に秘仏の「如意輪観音像」別名『融通観音』が公開されます。
創建から1190年以上の由緒正しいお寺だそうです。
こちらの如意輪観音さまは、日本の三大如...
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