考察 延喜式には大国主西神社と名を残しているようです。 しかし、御利益が女性に対してのこと❔ 甑岩=恋しき岩 オモイカネ様への💓💏💓 本殿ご祭神は、筑波山麓生まれの和歌姫様です。 西宮神社から招いたのは「蛭子様」だとして、この神様は七福神の恵比寿様だと言うのは、疑問です❗この蛭子と言う漢字を「ヱビス」と読むからおかしいのです❗「ヒルコ」と読みます‼️そもそも、皇室生まれの女の子にしか許されない名前を使っているのです❗その名前とは、【子】と言う漢字です❗男の子には、使わないからです❗今の皇室の女性は、全員【子】と名付けられています❗ 蛭子様のご利益は、女性守護、安産、お授け❗女性の神様だと誰もが理解します🎵また、境内には和歌姫様の叔母の白山姫様や弟の天照大神様や和歌姫様の旦那の阿智彦様、そして、和歌姫様の義理妹の瀬織津姫様(天照大神様の皇后)も祀られ感動❗境内には不動明王様を祀り山を統治しているオオヤマスミ家の娘の瀬織津姫様のこと。オオヤマスミ家とは全国の山々、木々、瀧等の管理をし全国には、大山と言う名前の山が沢山あります❗九州にもありニニギノミコト様は、オオヤマスミ家のコノハナサクヤヒメ様と結婚していましたし、和歌姫様(ヒルコ様)の養父カナサキ様が筑紫を統治していたので、戦い無しにニニギノミコト様は筑紫を治められます‼️(身を尽くしたから「ツクシ」)オオヤマスミ家には、たくさんの親戚が、全国に散らばっています‼️さて、瀬織津姫様は、三嶋大社オオヤマスミ家の娘であり、水の一切を引き受けている方です。それもそのはず、瀬織津姫様は、生誕地静岡の柿田川で水の都出身です❗柿田川は、富士山からの湧水で100年前に富士山に降った雨が湧き出ていると言われています‼️ 瀬織津姫様が大祓祝詞に出て「水に流す神様」「無かったことにする神様」だからです❗️言うなれば、「水の管理者」ですね‼️一切を流す力を持っています‼️ ここで大事なことは、天照大神様の皇后だと先程言いました❗️別名は、ムカツヒメ様、ホノコ様、六甲山姫様、弁財天様、吉祥天様、不動明王様などあります‼️また、オオヤマスミ家からは、コノハナサクヤ姫様も皇室に輩出しています‼️そして、北陸の神様と言えば、白山姫様❗(イサナキ様の弟には、クラキネ様がいます❗しかし、クラキネ様は、公私混同し、内乱の因子を生んだ為に北陸の立山の雄山神社には、天照大神様の詔により、祀られることはない)話を戻して、白山姫様とは、くくり姫様のことでイサナキ様の姉になります。この方は、天照大神様のお産婆さんであり、天照大神様の子守りをしました。また、産まれて間もなく天照大神様の名前を天照大神様から直接聞くことができましたので、キクキリ姫様とも言われます。菊と桐の皇室ですね‼️天照大神様の産まれたばかりのその名前を「ウヒルキ」と言います。よって、産まれた運命名は、このようになります。【イサナミ様の御腹という、胎内生の小宇宙と宇宙を繋ぐ最初の皇子は、東から太陽が昇るが如く‼️】という意味となります。何故、富士山山麓にハラミ宮を造営して産まなければならなかったのかは、東から日が昇るからでありましょう❗️また、くくり姫様は、伊勢外宮の豊受大神様の御取り次役です。豊受大神様とは、国常立神様(クニトコタチ様)という日本の建国者の八人御子の内の「タ」の神の系列であり、東北地方を治めていたトヨケカミ様になります❗️伊勢の神宮では、内宮を天照大神様を男神、外宮を豊受大神様を男神として祀られています。古事記や日本書紀では、女性神と書かれていますが、伊勢では、きちんと男性として、祀られています‼️そして、末子のソサノヲ様が夕焼けの世界の西のウツホ(宇宙)を護るということで、出雲にある日御碕神社では、ソサノヲ様が祀られています。天照大神様の名前は、「ワカヒト」と言いますが、イサナキ様とイサナミ様の最初の子供である姉の名前は、「ワカヒ」(最初の意味)でしたが、女の子が、産まれたので、「女」(メ)が、付けられ、「ワカヒメ」の命名され、五七調の歌を詠まれ達人と成られたのを切っ掛けに、五七調の歌を「和歌」と名付けられたと考えます❗️和歌姫様は、天照大神様の姉にあたりますが、公文書的には、また、国民には、本当の事情を知らせないようにして、「海(水)に流した」と言う話にしたと思われます。「話を無かったことにする」これが、水に流す語源では、と考えます❗️また、その流す事に一役買ったのが、住吉大社の祭神の「カナサキ様」です。カナサキ様とは、海洋族であり、造船と和歌の達人でもあります。越木岩神社境内には、貴船社が、ありますが、それは、京都の貴船神社と同じです。和歌姫様は、カナサキ様が用意したイワクス船(楠木をくり貫いた)に和歌姫様を乗せました❗船の先端には、海鳥の彫刻を施したものが備えられています❗その理由は、カナサキ様が、大航海されていた時に、大海にて遭難し掛けてしまいました❗しかし、鯨や海鳥が、陸の方向を教えてくれたのです❗太陽や星などでもある程度方向は分かりますが、曇りでは無理です❗カナサキ様は、和歌姫様の航海の無事を祈り、海鳥を取り付けたのです‼️和歌姫様を和歌姫様の産まれた筑波山山麓から、船に乗せて海を渡り、廣田神社と育てた西宮神社に連れてきたと言うことです❗️ですから、西宮神社の祭神は、エビス様ではなく、和歌姫でありヒルコ様だと思います❗️漢字をあてて、「蛭子」と言うことで、エビスと読まれていますが、越木岩神社と同じ祭神ヒルコ様と考えられます‼️それが、今日までそのような祀られて方をしているのか❗️とても残念でなりません。漢字を中国から取り入れ、日本の本当の姿が隠されたと言うこと‼️漢字は、一見便利ですが、先入観という副産物を生み本当の事が見えないようになった理由です。和歌姫様は、月夜見様が、誕生する前に皇室に妹として戻られました。公文書や国民には、和歌姫様が、最初に産まれたことは、内緒にしていますから、皇室には妹として戻られています❗️天照大神とは、約5歳違いとなります❗何故なら、イサナミ様のお腹に96ヶ月間天照大神様は、居たことになっているからです‼️和歌姫様が伊勢の伊雑宮という高天原に戻られた時には、天照大神様は、こう述べられています❗️「お帰りなさいませ❗️姉上」と‼️膝を床に付けられながら‼️和歌姫様は、天照大神様の皇后であるセオリツヒメ様を宮中にいる他の妃の怨念から、鉄壁なガードの和歌呪文で守り抜きました‼️ここで言う他の妃とは、モチコ様とハヤコ様であり彼女ら姉妹の怨念から守り通しました‼️話は変わりますが、本来のエビス様は、漢字を宛ててるのは、恵比寿様のことです。蛭子様とは、全くの別人です。 この恵比寿様は、出雲の杵築大社(出雲大社)を建てたオオナムチ様の御子様の大國主様のことです。大神神社の祭神の事です。三輪山が御神体というのはこの山に御陵があり御霊があるからです❗️エビス様である大國主様であるクシヒコ様は、天照大神様から八重垣剣を受け取り、そのまま、三輪山にて神上がりしています‼️阿智彦様(アチヒコ様)は、オモイカネ様のことで、和歌姫様の旦那であり、和歌姫様とは、従兄にあたります。結婚の仲人はカナサキ様が務めました‼️お二人の間にはタチカラヲ様が誕生しました‼️天照大神様の岩戸隠れから救出した方ですね‼️阿智彦様は暦の天才であり伊勢の伊雜宮を建てた方です。阿智彦様の妹二人は、皇室に入られています。ミチコ様とコタエ様です。では、何故に同じ西宮の地で女性三人(和歌姫様、くくり姫様、瀬織津姫様)が祀られているかと言うと、宮中(高天原)では、天照大神様の姉である和歌姫様を中心に女三人の結束が固かったからです。女性方が、古代に於いて社会にどんな役目を果たしてきたかを現代女性にも伝えたい三人です。その団結が、今一層固くなっています‼️木樹と石、岩、磐とは、切っても切れない関係なんです❗️何故、磐を祀るのかと言えば、さざれ石から、巌となった長い長い年月の命の永遠を伝える霊を宿らせる依代となるものです。この神社は、西宮三福神としています。この三福神とは、毘沙門天様の天照大神様、弁財天様の瀬織津姫様、恵比寿様の大国主様(クシヒコ様)のことです。密教から言えば、大日如来様が、天照大神様の事です‼️和歌姫様は入っていませんが、ここの越木岩神社では蛭子様(エビス様)ではなく、御祭神の和歌姫様が、本来のお姿になります。そうすると、七福神というのは誤っていると言うことになるのてしょう。因みに、ヒルコ様は、とても可愛い顔立ちの幼き頃のお姿を伊勢志摩の伊雑宮の境内に見せて下さった事があります。そして、茨城県の歌姫明神と言う神社と千葉県船形の麻賀多神社奥宮や麻賀多神社にもです。どんな関連があるのか?しかし、淡路島の岩樟神社との関連を突き止めると繋がり、また、筑波山麓からワカヒメ様は、三歳でイサナキ様イサナミ様と他親戚とで、九十九里浜から息栖神社に入り麻賀多神社に入りました。そこから、太平洋に出て、和歌山県加太浦の沖合いの友の島の神島(淡島)でヒヨルコ様を死産されます。神話には、手足が無いとしてむすが逆子だったので手足を引っ張り首にヘソの緒が巻き付き窒息死産しました。供養はカナサキ様の妻エシナツ様がやりワカヒメ様一行は、淡路島に向かいました。岩楠神社と恵比須神社があり、この地から、ワカヒメ様は廣田、西宮までカナサキ様達と旅立たれのです。また、ヒルコ様は、幼少期に自分と同じ世代の女の子の姿と見比べると、庶民の姿に愕然としたのです。なのでヒルコ様は庶民と同じように伊雑宮近隣の田んぼでは、紐で着物を間繰り上げて髪の毛も上げて田植えをしたのです。今のように四角の枠ではありませんが、色んな形の田んぼでした。そういう話を神話では書いていません。残念...
Read more先日、西宮市の越木岩神社(西宮三福神)を訪れ🚶ました。そこは、まわりが兵庫県の天然記念物の境内・木々に覆われたご立派な巨大な岩が祀られた神社です。それが、ご神体です。今までに、見た事がない、その巨大な岩の大きさには、圧巻でした。かつてここから、大阪城まで、石・岩を運んでいただなんて考えられない事ですし、ここが大阪城の石垣の採石地だったのです。しかし、さすがの豊臣秀吉も動かせなかった岩だと言われています。この越木岩神社(西宮三福神)は、女岩とも言われ、女性守護・安産・子授けの神さまとして祀られているパワースポットなのです。そして、泣き相撲・十日えびすなどの行事もある有名な神社で、普段は、近隣の方々も、パワースポットだと言う事で、毎朝毎夕熱心によくお参りに来られる神社のようです。😃
[越木岩神社(西宮三福神)とは]
兵庫県の越木岩神社は子授け・安産祈願にご利益があると伝えられており、広々とした境内は兵庫県天然記念物にも指定されています。 また創立は古く、一千年前の延喜式神名帳に記載される大国主西神社が越木岩神社(西宮三福神)であると云われています。
越木岩神社(西宮三福神)のご神体は周囲約40m・高さ10mの大怪石(花崗岩)である一大霊岩です。 酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられたそうです。 また、岩上に雑木が生じた姿より、社名・町名も起こりました。 御祭神は市寸島比売命(イチキシマヒメ)で、女性守護・安産・子授けの神さまとして祀られています。
俗に辨財天と称せられ、音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」、七福神の一として御神徳の高い神さまであることから、子どもの成長や芸能の上達を祈る神さまとしても信仰を集めています。 摂津名所図絵や摂津志によると...
Read moreご覧いただきありがとうございます! 神戸トアロード中央整体西宮北口の佐藤です。
『越木岩神社は女神さま?』 本日は仕事が休みの日なんで、越木岩神社に行ってきました。こちらの神社に行くときは、嫁と一緒です。
越木岩神社は、女性の神様で、女性の言うこと、 祈願は聞いてくださいますが、男性の言うことはスルーだと思いますが。(あくまでも個人的に思う)
だから、付き添いみたいな感じですね。 『前回の話』
前回も12月上旬頃に、嫁と越木岩神社に行ったのですが、嫁が女性の日でして、その時は、神社に入るのはタブーなんです。
ですが、神仏研究科の某氏いわく、お詫びしながらなら大丈夫!といったニュアンスかいてあり、 お詫びしながらなら入りました。
なかなか2人一緒の時間なんかないので。
入って色々な所いきましたが、ビックリするくらい 『何もないなあ…これ神社か!』といった、神気の かけらもない殺風景に感じました。
私だけではなく、嫁も驚いてました。
こんなに、晴れやのに、なんもないと。
だから、年末年始色々なんに絡まれて、 ゴタゴタあったん違うのか?店が傾いたの違うか? いくらなんでも、あれはヤバいやろ! とも嫁に言われました。
それは関係ないやろう、神様はそんな事しないやろ!とは、私は思ったんですが。真実は、何かはわかりません。
タイミング的には、西宮神社以外に、 鞍馬寺と越木岩神社に行ったあとなんですが。
だけど、今気づいたのですが、 嫁は昔から毎日私が仕事帰ってから、整体をしてほしい!とずっと言うてましたので、祈願は叶ってるやん!!と気づきました。
ゴタゴタがきっかけとなり、 年始から毎日毎日、家で技術練習しておりますので。
『今回の話』
今回は、雨が凄い。 ですが、嫁は女性の日ではないから行きました。
入った瞬間、前回とは違い、 これは凄いわ!と感じました。
森や林も普通やないくらい、神々しいのがハッキリとわかりました。別物です。
ふたりで歓迎されているなあと言いながら…
越木岩神社の、山の1番上の神様にお酒をまつり、 嫁に越木岩神社の参拝方法を伝えて、 岩の上の空に向かって、祈願をするように!と伝えて、
嫁が祈願をしました。お守りも買ったので、力を、 いれてもらうようにお願いしました。
色々な祈願をしたそうですが、その時は、教えてくれませんでした。
途中、まわり雨と雲なのに、岩が密集している所だけ、太陽の光が明るくさしてました。
写真は撮られなかったのが残念。
嫁の祈願が終わった後、
あくまでも嫁の付き添いなので、 神様の大きな岩の上の空に向かって、祝詞をあげて嫁の祈願が通るようにお願いします!とだけ、伝えました。
祝詞あげている途中から、ものすごい風が右から左から、ビュンビュンと吹いてきて、驚きました。
終わったら何事もなかったかのように、風が やみました。ホンマに凄いなあと、二人で言いながら。
嫁は見えない世界や神仏とか全く興味がない人なんですが、 前回の何もないやん!という殺風景な様子や、 今回の、神様の大きな岩が密集した、
そこだけ光が差し込んだ様子や、祝詞の時だけ、風が右から左にビュンビュン吹いてるのを、 目の当たりにしたので、少しは興味を持ったのかもしれません。
帰ってから、ひとつだけ願いを教えてくれました。 「西北院にお客様がもっと来て、潰れないように! ...
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