I visited last week. Although it was just before the final entry, I am truly glad I went. Perhaps due to the new banknotes, there seemed to be an unusually high number of tourists. I had been interested in visiting before the new banknotes were issued, so I was pleased to have the opportunity this time. Considering that such a great person was born and raised in the same Kumamoto, it is very inspiring. As someone who enjoys studying bacteriology, I found it educational and felt that he was an incredible individual. There is also free parking available, and the entrance fee was 600...
Read more小国町北里の、静かな山村風景の中。 周りから一段高く。九重連山を望む、見晴らしも良い、とても良質なロケーションで。心癒やされます。
「北里柴三郎記念館」 規模は小じんまりとした物なので、展示品は小規模ですが。 北里先生の故郷、小国町北里にあると言う事が重要なのではないでしょうか?
資料館の「北里文庫(北里は、小国町北里の地名から命名)」「貴賓館」と「生家の一部」が展示され。北里先生の足跡を、辿れると思います。 資料館の「北里文庫」では先生の生い立ちから、幼少期のエピソード。医学の道に立ち至ったきっかけ。業績などをまとめたVTRが上映されてます。
「貴賓館」に展示されている、幼少期に2年間毎日磨いて最後にはピカピカに輝いたとされる床板には。先生の何事にも負けない不屈の精神を、感じさせられます。
さらに「貴賓館」の二階から見渡す小国町北里の風景と。眼前に広がる九重連山は一見の価値ありです。
しかし なげかわしい・・・😭 日本の偉人の一人、北里先生をそんなにも知らないコメントが散見されるとは・・・・・・😢 悲しいわ・・・😨
北里柴三郎先生は、医学博士です。 小説も書かれたかも、知れませんが。 世界初、嫌気性「破傷風菌の無菌培養法」を確立され。医療の進歩に、破傷風治療の進展に寄与された・・・・・・ なんて話し・・・余り、ご存知ない?😨
昨今では、そう言う偉人の功績なんか、普段の話題にはならないんだ・・・ 寂しいねぇ・・・😓
令和5年(7年?)頃に発行になるであろう、新しい日本銀行券 1000円券の人物肖像に。北里先生が採用になった事は、大変に喜ばしい事ではありますが・・・
そんな事より!もっと大事なことがあるでしょう! 日本の公衆衛生や、日本の医学に多大な貢献をされた方をもっと知ってくださいな・・・お願いします。 他にも、日本近代化に貢献された先達が、まだ沢山の方々がおられます。 それにも、関心持ちましょう。
北里先生を始め、そう言う方々の足跡を礎に、今の日本があるのだと言う事を、知らないのかな?と言う事が不思議です。
北里先生と言えば、北里研究所に、北里大学があるでしょうに・・・・・・😓
しかし、小国町北里の「北里柴三郎記念館」を訪れていただいたのは、ありがたいです。
北里先生が大事にされた、小国町北里の地で。北里先生の足跡に触れる意味は大きいでしょう。
小国町北里の、これからも残って欲しい風景に触れ。日本近代化の礎を築いた、先達に思...
Read more北里柴三郎記念館は、国道318号線(北里宮原線)沿いの北里川のほとりある記念館です。入場料300円です。 熊本県小国町出身である故北里柴三郎博士の生家や、博士から小国町に寄贈された北里文庫(図書館)を改修し、偉業を称えています。 この施設は生前、博士が大正5年に建てた貴賓館、北里文庫があった敷地に、昭和62年、博士の学問を受け継ぐ北里研究所、北里学園が中心になって博士の生家の復元修復を行うとともに、北里文庫の建物を利用して博士に関する遺品などを陳列し、小国町に寄贈されたものです。 生家は、明和元年(1764)総庄屋5代目北里兵衛家から分家して坂下屋敷と称していましたが、明治28年(1895)両親を東京に呼び、空家となったため座敷の2間を残して他は取り壊しました。現存するのはその一部です。 貴賓館は、北里文庫建設と同時に建てられた和風木造2階建物で、小国杉の大木によって建てられています。大正5年8月10日の落成式には、博士は一家をあげて参列し、ここで数日過ごされました。 北里文庫は、大正5年(1916)、博士が私財1万円余を投じて、郷里の青少年に贈りました。当時、熊本県立図書館につぐ大図書館と言われ、蔵書数1,511冊と記録にあり、終戦時までよく利用されました。木造洋風建築120平方メートルです。
日本が誇る世界的な医学者北里柴三郎は、嘉永5年(1853)総庄屋北里惟信の長男として北里村(現小国町北里)に生まれました。 明治4年(1871)熊本医学校に学び、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事しました。ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので、世界の医学界にその名をとどろかせました。 帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめました。大正3年(1914)自力で北里研究所を創設、昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献しました。 2019年に新千円札の肖像とな...
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