庭瀬城はもともと西にある撫川城の二の丸で両城はひとつの城郭でした(足守川の河口に広がる沼沢地に立地し港に接したこの平城は沼城とも呼ばれ、陸路は岡山城や備中高松城に通じ水上交通の要衝としても重要な位置を占めていたようです。今でも庭瀬地域は堀や水路に囲まれた独特の景観を保っています) 庭瀬藩は関ケ原後に備中国都宇郡、賀陽郡のうち2万9200石を与えられた戸川達安におこりますが一族に次々と領地を分与し(早島、帯江、妹尾、撫川のちに中島)2万石に減じた後、戸川宗家は無嗣断絶により改易、庭瀬は倉敷代官所支配になります 戸川氏は撫川を分与されていた家が跡を継ぎ今の撫川城址に知行所を置きましたが、後に庭瀬には久世氏、松平氏を経て板倉氏が2万石で入り今の庭瀬城址に藩庁(庭瀬陣屋)を置きました(戸川時代にも藩庁は庭瀬城址に設けられ撫川城は古城と呼ばれていました) もとは都宇郡に広い領地を持っていた庭瀬藩ですが、幕末時点で都宇郡内の支配地はわずかに矢部村...
Read more沼城というか水城というか、非常に低い土地に造られたんだなというのがよくわかります。 城の北側に公園用の駐車場が整備されていますが、こういう土地柄故か、道路は非常に狭いです(離合もかなり厳しいですし、軽自動車以外は曲がれない辻も多いです。私はワゴン車で行って泣きそうになりました。)。道が細くなる手前の有料駐車場に停めて徒歩で行った方が無難かもしれません(そこから徒歩5分ぐ...
Read more庭瀬城&撫川城と、堀に囲まれて隣り合っている2つのお城🏯 この手のタイプのお城大好きです。 もともと沼地のお城とのことだけど、館跡っぽくて、周りに集落が密集していて、往時が偲ばれます。 こちらの方が、堀まわりが大きくて、ポイントされているところがお城というよりも、堀の内側全体が本丸跡地といったところでしょうか。 住宅地なのに、車を停めることのできるスペ...
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