1993年7月12日に奥尻町北方沖の日本海海底で地震が発生しました。北海道南西沖地震です。Mw(モーメントマグニチュード)8.1で、データの確認できる国内の地震の中でも上位3位に数えられる巨大なものです。地震発生から5分後には気象庁から津波警報(大津波)が発令されましたが、奥尻島は震源から近かったこともあって発生5分後には津波が押し寄せていました。奥尻島における津波は最高で31mと推定されます。そして島の人口の4 %にあたる198人が津波で亡くなるという大惨事となったのです。この「時空翔」は1999年に自然災害伝承碑として建立されました。 この「時空翔」の設置された青苗地区には平地が広がっています。震災前の島民数は約4,700人でしたが、その約30%に当たる1400人がここ青苗地区に居住していたのです。このこともあって甚大な被害につながったようです。 2024年7月に行ってきました。青苗地区の高台に宿を取ったのですが、夕食が出なかったので周囲を歩き回って「食料」を探しました。高台周囲は震災の被害の少なかった地域です。古くからある「grocery store」があったのでこれ幸いと中に入ったのですが、電気はついていないし品揃えは「!」でびっくりしました。以前行った与那国島のスーパーもこんな風だったので一旦は納得しかけたのですが、ここの事情は違いました。すぐ近くに内地資本の「grocery...
Read more北海道旅行の際に、立ち寄りました。青苗岬灯台近くの、德洋記念緑地公園内にある慰霊碑です。1993年7月12日午後10時17分に発生した北海道南西沖地震は、マグニチュード7.8で、日本海では観測史上最大級でした。奥尻町では、地震・津波・火災により、198名の尊い命が犠牲になりました。碑の土台は、押し寄せた津波と同じ高さまで、盛土されています。モニュメントの窪みは、地震当日の、夕日が沈むタイミングに合わせて、造られているそうです。昭和天皇も訪れられて、御心を歌にした句碑があります。他にも奥尻島津波館があり、30年前の事で、時が経つにつれて記憶は薄れていきますが、記録は残して伝承していかなければなりません。この場所を訪れて、決して忘れてはいけない事...
Read more北海道南西沖地震(奥尻沖地震)→1993年(平成5年)7月12日午後10時17分発生。 死者172名・行方不明者29名奥尻島島民だけで…当時の奥尻島島民を含め、救助隊及びボランティアや本土北海道でもせたな町始め道南・道央に遠く離れた極東ロシア(3名程)を合わせると198名の死者を出す程北海道歴史に残る地震であるのです。 マグニチュード7.8 最大震度6であり、奥尻沖地震の半年前の釧路沖地震(マグニチュード7,5 最大震度6)とほぼ同じなのに被害の甚大さは奥尻では計りきれない… 震源の深さ釧路101キロ 奥尻35キロ 震源の深さの違いで到着する早さも変わるし、余震の回数も多くなるしな…
何度も訪れているが悲しみに残る忘...
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