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Kan'onji Castle Ruins — Attraction in Omihachiman

Name
Kan'onji Castle Ruins
Description
Kannonji Castle was a Sengoku period yamashiro-style Japanese castle located in what is now the Azuchi neighborhood of the city of Ōmihachiman, Shiga Prefecture, Japan. The ruins have been protected as a National Historic Site since 1982, with the area under protection expanded in 1984.
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Japan, 〒521-1321 Shiga, Omihachiman, 安土町桑実寺292
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292 Azuchicho Kuwanomiji, 近江八幡市 Shiga 529-1441, Japan
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777 Azuchicho Kuwanomiji, Omihachiman, Shiga 521-1321, Japan
Kyorinbo Temple
1145 Azuchicho Ishidera, Omihachiman, Shiga 521-1331, Japan
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Japan, 〒521-1321 Shiga, Omihachiman, 安土町桑実寺777番地
Azuchi Hyotanyama-kofun Tumulus
Azuchicho Kuwanomiji, Omihachiman, Shiga 521-1322, Japan
Reimei-no-Sato Night Scenic Spot
Gokashokawanamicho, Higashiomi, Shiga 529-1441, Japan
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Keywords
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Kan'onji Castle Ruins
JapanShiga PrefectureOmihachimanKan'onji Castle Ruins

Basic Info

Kan'onji Castle Ruins

Azuchicho Ishidera, Omihachiman, Shiga 521-1331, Japan
4.0(137)
Open until 12:00 AM
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spot

Ratings & Description

Info

Kannonji Castle was a Sengoku period yamashiro-style Japanese castle located in what is now the Azuchi neighborhood of the city of Ōmihachiman, Shiga Prefecture, Japan. The ruins have been protected as a National Historic Site since 1982, with the area under protection expanded in 1984.

Cultural
Outdoor
Scenic
Off the beaten path
attractions: Kannonshoji temple, Kannonji Castle Great Stone Wall Remains, Kuwanomi-ji Temple, Kinugasayama Mountain Hiking Triangulation Point, Nobunaga no Yakata Museum, Kyorinbo Temple, Bungeinosato Park, Azuchi Hyotanyama-kofun Tumulus, Reimei-no-Sato Night Scenic Spot, restaurants:
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Reviews

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Reviews of Kan'onji Castle Ruins

4.0
(137)
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伝本丸跡の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡 観音寺城は、近江の守護佐々木六角氏の本城であって中世の代表的な大山城である。築城は永い年月を経て応仁二年(1468)に完成しさらに弘治年間鉄砲に備えて大々的に石塁が改修されている。永禄十一年九月織田氏は当城に入城したが、城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが、天正十年安土城と共に滅亡した。昭和四十四、四十五年近江風土記の丘の関連として本丸附近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。 ーーーーーーーーーーーーーー

観音正寺前の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡(かんのんじじょうあと) 宇多源氏(うだげんじ)の血統を引く佐々木六角氏は、平安時代に近江へ土着したのち、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで近江守護(しゅご)をほとんど独占した名門です。この六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城です。 南北朝時代に佐々木氏頼(うじより)が観音寺に布陣したことを、「観音寺(かんのんじ)ノ城郭(じょうかく)」と『太平記(たいへいき)』に記されたのが初見です。その後、観音寺が当主の居住する城として石垣を多用した姿に整備されたのは、修築の記録が集中する1530~50年代のことと考えられます。 観音寺城の中枢部分は、本谷を挟んで観音正寺境内の向かい側にある、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸のあたりと考えられます。これらの郭(くるわ)は、城内でも特に面積が大きく、大石を使った壮大な石塁(せきるい)が郭(くるわ)を囲んでいます。昭和四十五年の発掘調査では、茶器(ちゃき)や中国産の陶磁器(とうじき)などが豊富に含まれていました。 永禄(えいろく)十一年(1568)に織田信長(おだ・のぶなが)が観音寺城を攻撃すると、六角承禎(ろっかく・しょうてい)・義治(よしはる)親子は正面から戦うことなく逃亡し、あっけなく開城しました。そして天正(てんしょう)七年(1579)に安土城が完成したことによって、観音寺城は歴史的役割を終えたようです。 平成二十六年より、豊かな杜(もり)づくり隊や地元企業が中心となり、地元有志の手で伝御館(でん・おやかた)跡周辺と、そこから大石垣までの散策道(旧追手道)の整備を行いました。また、整備された散策道沿いを中心に、緑の募金を活用した植樹が行われており、将来は季節感のある遊歩道となる取り組みがされています。観音寺城跡のすばらしさを知っていただき、これを後世に伝えていくために、多くの方に、観音寺城を訪れていただきたいと願っています。 ーー...

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1y

城址まで来てからが面倒な城ではあるものの、面倒さに見合った見ごたえです。 観音寺城は西国三十三所観音霊場のうち三十二番札所の観音正寺が鎮座する繖山に築かれた山城です。源頼朝の覇業を支えた佐々木氏の流れのうち、京の六角堂頂法寺の近くに屋敷をかまえ、南近江を本拠とした六角氏の居城です。決して難攻不落の城ではなく、大軍に攻められるたびに六角氏は城から逃げ出しているのですが、敵が退けばまた観音寺城に復帰しています。当時としては非常に珍しい総石垣の城で、現存する遺構は多くはないものの、往時の威容は容易に想像できます。とりわけ追手道の奥にある大石垣は一番の見ものです。織田信長に攻められて大名家としての六角氏は敗亡したものの、交通の要衝を抑え、経済の自由化(楽市)によって経済振興をはかる領国経営は先進的で、その一面においては信長の先駆者であったとも言えます。 城址の見学にはなかなか難儀します。安土城にほど近い桑實寺(本堂が国重文)、もしくは観音正寺からアクセスするのが一般的かつ手軽なものの、他に六角氏の御館跡の天満宮から追手道をたどるルートもあります。城そのものは入場無料なものの、桑實寺、観音正寺の境内地を経由するため拝観料がかかります。境内地と行っても大方は山道で、道ををたどる限り危ないところはないのですが、とりわけ大石垣周辺は道がかなり分かりにくくなっています。「観音寺城」と大書された幟のある平場の下が大石垣なのですが、そこから私が気がついた限りで四本の道が出ていて、二つは大石垣を見晴らすビューポイントに至る行き止まりの道、一つはかつての追手道をたどりつつ観音正寺表参道駐車場に至る有料道路に出る道(普通に歩けます)、もう一つが観音正寺の脇を抜けて本丸に至る道です。通って良いところは階段が整えられていたりテープが結びつけられていたりで人の手が入っていますが、山歩きに慣れていない方であれば迷ってもおかしくない整備状況です。この辺りは今後の改善...

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5.0
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100名城No.52 ⚫︎歴史 1335年に六角氏頼が築いたと言われています。標高432mの南北に伸びる繖山の山上に位置し、繖山は近江一円が見渡せ、また聖徳太子ともゆかりのある観音正寺もある神格的な山に拠点を設けることで六角氏の権威づけに利用されたとも考えられています。1568年の織田信長が足利義昭を奉じて上洛する際に六角義賢父子が攻撃をうけ無血開城し、数年後に廃城になったと言われています。

⚫︎感想 石垣のテーマパークと言っても過言でないくらい、大規模な総石垣の山城に圧倒されます。六角氏が信長にあっさり敗れたため、弱小大名のイメージをもたれがちですが、室町幕府の有力大名名家六角佐々木氏として圧倒的な支配力、経済的があったことが実感できます。一方で堀や土塁などの防御施設は見当たらず、軍事拠点というよりも政治、生活拠点としての意味あいがつよいと言われており、実際にこれだけの規模にも関わらず何度も落城しています。 11月下旬の平日に車で訪問しました。観音正寺手前の駐車場に行くまでの林道の通行料が600円かかります。駐車場からは約10分程度の階段登りを経て観音正寺(入山料500円)に到着し、散策を開始します。本丸→平井丸→落合屋敷→池田丸→大石垣→木村曲輪→無銘曲輪→三の丸→後藤・進藤屋敷跡と約2.5時間満喫しました。各曲輪がこれまでの山城の概念を覆すような巨大なスペースが確保されていたり、大石垣の迫力やそこからの眺望、整備途上の後藤屋敷など本当に驚きの連続で飽きることなく探索できます。政治拠点としての見せる城としての大規模な城で、目の前に安土城を築いたことからも信長がかなり意識、参考にしたことが伺い知れます。しっかりと楽しみたい方は「本谷プロジェクト」のホームページを見て事前学習してから見学さ...

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伝本丸跡の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡 観音寺城は、近江の守護佐々木六角氏の本城であって中世の代表的な大山城である。築城は永い年月を経て応仁二年(1468)に完成しさらに弘治年間鉄砲に備えて大々的に石塁が改修されている。永禄十一年九月織田氏は当城に入城したが、城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが、天正十年安土城と共に滅亡した。昭和四十四、四十五年近江風土記の丘の関連として本丸附近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。 ーーーーーーーーーーーーーー 観音正寺前の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡(かんのんじじょうあと) 宇多源氏(うだげんじ)の血統を引く佐々木六角氏は、平安時代に近江へ土着したのち、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで近江守護(しゅご)をほとんど独占した名門です。この六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城です。 南北朝時代に佐々木氏頼(うじより)が観音寺に布陣したことを、「観音寺(かんのんじ)ノ城郭(じょうかく)」と『太平記(たいへいき)』に記されたのが初見です。その後、観音寺が当主の居住する城として石垣を多用した姿に整備されたのは、修築の記録が集中する1530~50年代のことと考えられます。 観音寺城の中枢部分は、本谷を挟んで観音正寺境内の向かい側にある、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸のあたりと考えられます。これらの郭(くるわ)は、城内でも特に面積が大きく、大石を使った壮大な石塁(せきるい)が郭(くるわ)を囲んでいます。昭和四十五年の発掘調査では、茶器(ちゃき)や中国産の陶磁器(とうじき)などが豊富に含まれていました。 永禄(えいろく)十一年(1568)に織田信長(おだ・のぶなが)が観音寺城を攻撃すると、六角承禎(ろっかく・しょうてい)・義治(よしはる)親子は正面から戦うことなく逃亡し、あっけなく開城しました。そして天正(てんしょう)七年(1579)に安土城が完成したことによって、観音寺城は歴史的役割を終えたようです。 平成二十六年より、豊かな杜(もり)づくり隊や地元企業が中心となり、地元有志の手で伝御館(でん・おやかた)跡周辺と、そこから大石垣までの散策道(旧追手道)の整備を行いました。また、整備された散策道沿いを中心に、緑の募金を活用した植樹が行われており、将来は季節感のある遊歩道となる取り組みがされています。観音寺城跡のすばらしさを知っていただき、これを後世に伝えていくために、多くの方に、観音寺城を訪れていただきたいと願っています。 ーーーーーーーーーーーーーー
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城址まで来てからが面倒な城ではあるものの、面倒さに見合った見ごたえです。 観音寺城は西国三十三所観音霊場のうち三十二番札所の観音正寺が鎮座する繖山に築かれた山城です。源頼朝の覇業を支えた佐々木氏の流れのうち、京の六角堂頂法寺の近くに屋敷をかまえ、南近江を本拠とした六角氏の居城です。決して難攻不落の城ではなく、大軍に攻められるたびに六角氏は城から逃げ出しているのですが、敵が退けばまた観音寺城に復帰しています。当時としては非常に珍しい総石垣の城で、現存する遺構は多くはないものの、往時の威容は容易に想像できます。とりわけ追手道の奥にある大石垣は一番の見ものです。織田信長に攻められて大名家としての六角氏は敗亡したものの、交通の要衝を抑え、経済の自由化(楽市)によって経済振興をはかる領国経営は先進的で、その一面においては信長の先駆者であったとも言えます。 城址の見学にはなかなか難儀します。安土城にほど近い桑實寺(本堂が国重文)、もしくは観音正寺からアクセスするのが一般的かつ手軽なものの、他に六角氏の御館跡の天満宮から追手道をたどるルートもあります。城そのものは入場無料なものの、桑實寺、観音正寺の境内地を経由するため拝観料がかかります。境内地と行っても大方は山道で、道ををたどる限り危ないところはないのですが、とりわけ大石垣周辺は道がかなり分かりにくくなっています。「観音寺城」と大書された幟のある平場の下が大石垣なのですが、そこから私が気がついた限りで四本の道が出ていて、二つは大石垣を見晴らすビューポイントに至る行き止まりの道、一つはかつての追手道をたどりつつ観音正寺表参道駐車場に至る有料道路に出る道(普通に歩けます)、もう一つが観音正寺の脇を抜けて本丸に至る道です。通って良いところは階段が整えられていたりテープが結びつけられていたりで人の手が入っていますが、山歩きに慣れていない方であれば迷ってもおかしくない整備状況です。この辺りは今後の改善に期待したいところです。
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伝本丸跡の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡 観音寺城は、近江の守護佐々木六角氏の本城であって中世の代表的な大山城である。築城は永い年月を経て応仁二年(1468)に完成しさらに弘治年間鉄砲に備えて大々的に石塁が改修されている。永禄十一年九月織田氏は当城に入城したが、城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが、天正十年安土城と共に滅亡した。昭和四十四、四十五年近江風土記の丘の関連として本丸附近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。 ーーーーーーーーーーーーーー 観音正寺前の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡(かんのんじじょうあと) 宇多源氏(うだげんじ)の血統を引く佐々木六角氏は、平安時代に近江へ土着したのち、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで近江守護(しゅご)をほとんど独占した名門です。この六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城です。 南北朝時代に佐々木氏頼(うじより)が観音寺に布陣したことを、「観音寺(かんのんじ)ノ城郭(じょうかく)」と『太平記(たいへいき)』に記されたのが初見です。その後、観音寺が当主の居住する城として石垣を多用した姿に整備されたのは、修築の記録が集中する1530~50年代のことと考えられます。 観音寺城の中枢部分は、本谷を挟んで観音正寺境内の向かい側にある、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸のあたりと考えられます。これらの郭(くるわ)は、城内でも特に面積が大きく、大石を使った壮大な石塁(せきるい)が郭(くるわ)を囲んでいます。昭和四十五年の発掘調査では、茶器(ちゃき)や中国産の陶磁器(とうじき)などが豊富に含まれていました。 永禄(えいろく)十一年(1568)に織田信長(おだ・のぶなが)が観音寺城を攻撃すると、六角承禎(ろっかく・しょうてい)・義治(よしはる)親子は正面から戦うことなく逃亡し、あっけなく開城しました。そして天正(てんしょう)七年(1579)に安土城が完成したことによって、観音寺城は歴史的役割を終えたようです。 平成二十六年より、豊かな杜(もり)づくり隊や地元企業が中心となり、地元有志の手で伝御館(でん・おやかた)跡周辺と、そこから大石垣までの散策道(旧追手道)の整備を行いました。また、整備された散策道沿いを中心に、緑の募金を活用した植樹が行われており、将来は季節感のある遊歩道となる取り組みがされています。観音寺城跡のすばらしさを知っていただき、これを後世に伝えていくために、多くの方に、観音寺城を訪れていただきたいと願っています。 ーーーーーーーーーーーーーー
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