Kan'onji Castle Ruins
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伝本丸跡の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡 観音寺城は、近江の守護佐々木六角氏の本城であって中世の代表的な大山城である。築城は永い年月を経て応仁二年(1468)に完成しさらに弘治年間鉄砲に備えて大々的に石塁が改修されている。永禄十一年九月織田氏は当城に入城したが、城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが、天正十年安土城と共に滅亡した。昭和四十四、四十五年近江風土記の丘の関連として本丸附近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。 ーーーーーーーーーーーーーー 観音正寺前の看板 ーーーーーーーーーーーーーー 観音寺城跡(かんのんじじょうあと) 宇多源氏(うだげんじ)の血統を引く佐々木六角氏は、平安時代に近江へ土着したのち、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで近江守護(しゅご)をほとんど独占した名門です。この六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城です。 南北朝時代に佐々木氏頼(うじより)が観音寺に布陣したことを、「観音寺(かんのんじ)ノ城郭(じょうかく)」と『太平記(たいへいき)』に記されたのが初見です。その後、観音寺が当主の居住する城として石垣を多用した姿に整備されたのは、修築の記録が集中する1530~50年代のことと考えられます。 観音寺城の中枢部分は、本谷を挟んで観音正寺境内の向かい側にある、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸のあたりと考えられます。これらの郭(くるわ)は、城内でも特に面積が大きく、大石を使った壮大な石塁(せきるい)が郭(くるわ)を囲んでいます。昭和四十五年の発掘調査では、茶器(ちゃき)や中国産の陶磁器(とうじき)などが豊富に含まれていました。 永禄(えいろく)十一年(1568)に織田信長(おだ・のぶなが)が観音寺城を攻撃すると、六角承禎(ろっかく・しょうてい)・義治(よしはる)親子は正面から戦うことなく逃亡し、あっけなく開城しました。そして天正(てんしょう)七年(1579)に安土城が完成したことによって、観音寺城は歴史的役割を終えたようです。 平成二十六年より、豊かな杜(もり)づくり隊や地元企業が中心となり、地元有志の手で伝御館(でん・おやかた)跡周辺と、そこから大石垣までの散策道(旧追手道)の整備を行いました。また、整備された散策道沿いを中心に、緑の募金を活用した植樹が行われており、将来は季節感のある遊歩道となる取り組みがされています。観音寺城跡のすばらしさを知っていただき、これを後世に伝えていくために、多くの方に、観音寺城を訪れていただきたいと願っています。 ーーーーーーーーーーーーーー
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城址まで来てからが面倒な城ではあるものの、面倒さに見合った見ごたえです。 観音寺城は西国三十三所観音霊場のうち三十二番札所の観音正寺が鎮座する繖山に築かれた山城です。源頼朝の覇業を支えた佐々木氏の流れのうち、京の六角堂頂法寺の近くに屋敷をかまえ、南近江を本拠とした六角氏の居城です。決して難攻不落の城ではなく、大軍に攻められるたびに六角氏は城から逃げ出しているのですが、敵が退けばまた観音寺城に復帰しています。当時としては非常に珍しい総石垣の城で、現存する遺構は多くはないものの、往時の威容は容易に想像できます。とりわけ追手道の奥にある大石垣は一番の見ものです。織田信長に攻められて大名家としての六角氏は敗亡したものの、交通の要衝を抑え、経済の自由化(楽市)によって経済振興をはかる領国経営は先進的で、その一面においては信長の先駆者であったとも言えます。 城址の見学にはなかなか難儀します。安土城にほど近い桑實寺(本堂が国重文)、もしくは観音正寺からアクセスするのが一般的かつ手軽なものの、他に六角氏の御館跡の天満宮から追手道をたどるルートもあります。城そのものは入場無料なものの、桑實寺、観音正寺の境内地を経由するため拝観料がかかります。境内地と行っても大方は山道で、道ををたどる限り危ないところはないのですが、とりわけ大石垣周辺は道がかなり分かりにくくなっています。「観音寺城」と大書された幟のある平場の下が大石垣なのですが、そこから私が気がついた限りで四本の道が出ていて、二つは大石垣を見晴らすビューポイントに至る行き止まりの道、一つはかつての追手道をたどりつつ観音正寺表参道駐車場に至る有料道路に出る道(普通に歩けます)、もう一つが観音正寺の脇を抜けて本丸に至る道です。通って良いところは階段が整えられていたりテープが結びつけられていたりで人の手が入っていますが、山歩きに慣れていない方であれば迷ってもおかしくない整備状況です。この辺りは今後の改善に期待したいところです。
七面鳥放浪記七面鳥放浪記
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日本百名城のひとつであり日本五大山城のひとつでもある。六角氏の居城で織田信長に対してもこの観音寺城を拠点に戦った歴史を持ちます。 繖山山頂部一帯に広大な城域が広がります。繖山は標高433m、麓からの比高も約325m程度あります。 麓の日吉神社脇から大手道を登って登城しましたが登って、遺構を見て降りるのに約2時間以上は必要だと思います。 城域までの傾斜も急であり、また城自体も広大なためかなり体力が必要な城です。 当時としては珍しい総石造りの山城であり巨大な区画を持っています。規模、格式は星5相当だと思いますが、正直残念な点も散見されます。 大変広大な観音寺城で整備されているのは一部分しかありません。無数の曲輪があり、そこには多くの家臣が屋敷を構えていたようですが、そのほとんどは放置され案内板すらありません。複雑な構造で縄張りもはっきりとはわかりません。現在、ある程度整備されているのはたったの4つです。また、大手道は五大山城にふさわしい急勾配の難易度の高い道が続きますが、その道中もあまり整備されていません。 この貴重な観光資産を活用するため、自治体はもっと整備して観光客を呼び込めるようにするべきだと思いました。今の状況だと気軽に見に行く城ではないのではと思ってしまいます。 なお、夏場に登ったのですが恐ろしいほどの薮蚊がいました。 しかし、織豊期ならまだしも戦国期にこれだけの石垣を持った城を他に知りません。今でもあちこちに石垣を確認することができます。城の規模も大変巨大で六角氏の力を思い知らされます。 安土城とのセットは体力的に厳しいかもしれませんが、ぜひ立ち寄るべき城だと思います。
トレーズクシュリナーダトレーズクシュリナーダ
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近江守護佐々木六角氏が戦国時代に居城としたのが観音 寺城です。標高 432mの繖山の山頂から南山麓にかけて郭が 広がる大城郭で、中世五大山城の一つに数えられます。 観音寺城が登場するのは南北朝時代。佐々木氏頼が観音 寺に布陣したことが『太平記』に記されていますが、この 時は単なる砦のようなものだったと思われます。それ以後 もしばしば陣所とされているようですが、佐々木六角氏の 居住する城として整備されたのは、16 世紀前半のことと考 えられます。 観音寺城の特徴は石垣を多用している点にあります。城 郭への石垣の本格的な導入は安土城以後のことであり、そ れより古い観音寺城に石垣が多用されているのは例外的な ことで、戦国時代としてはほとんど唯一の城になります。 観音寺城の中枢部分は、本谷を挟んで観音正寺境内の向 かい側にある、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸のあたりと考 えられます。これらの郭は、城内でも特に面積が大きく、 方形志向の平面形を呈し、大石を使った壮大な石塁が郭を 囲んでいます。天文 13 年 (1544) に城を訪れた連歌師谷宗 牧は、山上の城の「御二階」の座敷に案内され、そこには「数 寄」の茶室に茶器の名品が用意されていて、城の退出にあ たっては秘蔵の古筆を送られたと書いています。観音寺城 が要塞であるとともに、六角氏の風雅な生活の場所であっ たことがうかがえます。
中野泰輔中野泰輔
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二時間位で気軽に登りたいなら、国道8号から入って600円払って林道→500円払って観音正寺→本丸、曲輪、大石垣が良いと思います。ただ、観音正寺の駐車場が少ないので、朝9時すぎ位までに行くのがオススメです。 駐車場から観音正寺までもかなりの階段ですが整備されてるので問題なし。観音正寺出てからはまあまあな山道、散歩認識では行けないレベルです。しかも広い。あらかじめ観音正寺の入口で行き方を尋ねたところ、地図をいただけたのでありがたかったですが、なかったらちょっと不安だったかも。 案内板も全体的に少ないです。ただ、観音正寺から大石垣までの間に数組は人がいて『こっちで合ってます?』的な会話ができ、また常に人の出入りがあるので道はできている状態なので、山城に慣れている方なら大丈夫かと。 堀切や虎口などの案内も一切なし。廓だけはぽちぽちと(何某屋敷跡的なものは)ありましたが。 皆さん言われるように、この規模、知名度の山城ならもっと整備されててもいい、勿体ない。 とはいえ、大石垣からの眺望は圧巻。広さと眺望を体感でき、それだけでお腹いっぱいでした。満足。
さとやさとや
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標高432.9メートルの繖山の山上に築かれた六角氏の居城。日本五大山城のひとつ。 南側に、本丸をはじめ、家臣の名前を冠した曲輪がいくつか配されている。 山上の観音正寺で、入山料500円を支払う。 登城には、山上の観音正寺まで、有料道路を通り車で行く方法が一番楽。 麓から徒歩で登城するルートなら、南側の日吉神社から伝御館跡を経由し各曲輪を廻る表坂(追手道)、同じく日吉神社から延々と階段を登る観音正寺の参道である赤坂道、その他北側の桑実寺からの登城ルート等、いくつかあるようです。 南側から登るなら、車は石寺薬市の駐車場(有料)に停められます。 旧来の登城ルートは表坂(追手道)で、そこそこきつい登坂なので、スタート地点の日吉神社のところに、設置されている木の杖を利用しましょう。 夏場は蜘蛛の巣や藪蚊が多い。帽子や虫除けスプレーがあると良いです。 石垣や曲輪の規模は大きく、見応えがあり、満足度は高いです。
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Basic Info
Address
Azuchicho Ishidera, Omihachiman, Shiga 521-1331, Japan
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Overview
4
(136 reviews)
Ratings & Description
cultural
outdoor
family friendly
Description
Kannonji Castle was a Sengoku period yamashiro-style Japanese castle located in what is now the Azuchi neighborhood of the city of Ōmihachiman, Shiga Prefecture, Japan. The ruins have been protected as a National Historic Site since 1982, with the area under protection expanded in 1984.
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