しまなみ海道にある因島水軍城は、日本遺産である村上海賊の歴史資料館となっており、因島村上海賊を中心に貴重な古文書や武具が揃っています。 日本遺産である村上海賊の歴史資料館となっている因島水軍城。海賊というと理不尽に船を襲って、金品を奪うパイレーツをイメージするかもしれませんが、村上海賊は八幡船ばはんせんで海を守り外国とも交流し貿易も行っていました。 祖先から受け継いできた信仰を大切にし、山や海の守り神である大山祗大神、大分の宇佐神宮(うさじんぐう)や京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で知られる武運の神、八幡神を崇拝。 大山積大神の子孫である乎致命(おちのみこと・越智氏族の祖)を主祭神とする、大浜八幡大神社も大切にしてきました。 こちら因島水軍城では、村上海賊の古文書や武具などの遺品が展示されており、時には戦って海を守り、漁業や商業など幅広く活躍した村上水軍の歴史を感じることができます。
村上海賊は、村上源氏(北畠氏)村上師清(もろきよ)の子孫で、師清の長男である吉顕が能島村上の祖(初代)となり、次男の吉房が来島村上の祖(初代)となり、三男の吉豊が因島村上の祖(初代)となり三家で連携し、強い同族意識を持ち栄えました。 また、村上海賊が村上源氏、清和源氏とされているのは南北朝時代に後醍醐天皇の下、建武の中興で同志だった北畠氏(村上源氏)と新田氏(清和源氏)の物語に遡ります。
新田義貞の子である義宗と従弟(いとこ)の脇屋義治(わきやよしはる)は村上(北畠)師清のところへ身を寄せ、(新田両神社参照)1393年に義治の子である助盈(頼國)は越智大島内の姫内城(別名 稲井城)を師清は与えて姓を稲井(いない)に改め、義宗の子である義處は姓を救井(くい)に改めた。 救井(くい)家は因島村上海賊の第一家老、稲井家は因島村上海賊の第二家老となり、師清は自分の子のように大切にし娘を嫁がせたことにはじまります。
展示資料の中には重要美術品となっている大塔宮、護良親王(後醍醐天皇の皇子で、鎌倉宮の御祭神)令旨や村上家伝来文書もあります。
村上海賊の武具が並ぶほか歴史年表もあり、大将で長崎城・青木城主の村上吉充(村上 新蔵人、源 吉充)が村上師清(むらかみ もろきよ)の子孫であることや第一家老で青陰城主の救井(くい )太郎左衛門尉(源 義親)が新田義貞の子孫であること、第二家老で土生小丸城主・対潮院の稲井 勘解由左衛門尉(源...
Read moreIt's so small place and tiny. When i watch all thing in 1st floor, i searched an exit to next floor or next room. But about 5mtr x 5mtr' one room is all of museum. And also expensive. Good thing, one is that i can understand that 'how so small size of castle.' Anyway, that was so interesting and pleasure experience but...
Read moreGood museum to study a history of the Murakami pirates. It is located on the top of a little hill. So you have to go up to get to the museum. But after you reach the top you can see good view around the villages. You need stamina!! This is a small museum so it takes about less than 30 mins. Take it easy...
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