北上川の屈曲部に半島状に突き出すこの丘陵一帯は、平安時代の豪族、安倍頼時の子、白鳥八郎行任(則任)の居所と伝えられてきました。 今も廓跡や空堀など中世後期の城館跡が残っていますが、平成15年からの発掘調査で、10世紀から16世紀まで集落や城館として断続的に使われていたことが判明しました。 この地点は、北上川両岸の丘陵が迫る狭隘部で、平泉地域の北辺を画す位置にあります。 北上川の水運とも関連して、軍事・経済上の要衝であり、奥州藤原氏の時代以前から要害の地として機能していたと考えられています。 11世紀、安倍氏、清原氏の拠点が所在したとされる衣川から白鳥にかけての地内に位置する白鳥舘遺跡は、奥州藤原氏が平泉に成立する歴史的背景を物語る重要な遺跡として、史跡に指定されています。 世界遺産として拡大の対象になる可能性があるので、平泉を色々と回った後に最後に訪問しましたが、もっと明るいうちから来れれば良かったなと少し後悔しました。 平泉は観る所が多いので...
Read moreこのポイントは入口になり、歩くこと5分で中世の川湊遺跡の白鳥舘遺跡が有ります。 安倍(白鳥八郎)則任の郭跡と伝わり、北上川舟運に利用した湊は平泉文化を支えた重要な役割を持ち、この湊が無ければ藤原三代の栄華もなかったでしょう❗️ 此の地は岩盤が競り出しており、北上川が大きく蛇行して監視の目が行き届く為に舘が作られたとも言われてます。
秋には白鳥舘遺跡...
Read more2022年7月27日に見学しました。 前九年の役1051~1062年で、源頼義・義家父子と戦った安倍貞任の弟、白鳥八郎則任(行任)の居所と伝えられてきた場所です。 発掘調査の結果、手工業生産遺跡、城館、集落、河湊など、多目的に活用されてきたことが判明しました。 土塁、崖、堀が郭を囲むように配置されています。現在、台上部に白山神社が祀られています。 ここで出土した資料は、近くの牛の博物...
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