Nitta Kanayama Castle Ruins
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2023/12/26 群馬県太田市すなわち東上州新田の荘の象徴であり心の山、金山に築かれた戦国の山城です。日本百名城にも認定されている不落の名城で、本丸のあった金山山頂から南西に延びる稜線上の石積の壁は美しく、どこか南米のマチュピチュのそれを想起させます。現在露出している石垣はほとんどが改修されているものの、新田神社が鎮座する本丸跡の裏側には往時の石組が残存しています。東西約1.5km、南北約2kmの金山の山塊は、かつてのマグマが凝固した火成岩からなり、城壁に使用された石は、麓の柱状節理により規則的に割れ目の出来た石を切り出し運搬されたものです。また、金山のいたる場所に敵の侵入を防ぐ堀切があり、ハイキングコースを徘徊すれば、西山コース、東山コース、北山コースに関わらず、それらを頻繁に目にする事が出来ます。山頂本丸近くには、月の池、日の池、井戸などの水場があり、四国松山城二ノ丸にある大井戸同様、神秘的な感慨を覚えます。月と日、そして麓にある龍、つまり呑龍大光院。日本神話のイザナギの子供達、天照大神、月読尊、素戔嗚尊の三兄妹を意識している様にも思えます。山頂には新田神社を初め御嶽神社、稲荷神社が、南西稜突端には浅間神社が鎮座します。新田神社参道脇には樹齢800年と言われる大ケヤキが、山腹には徳川家により守られたアカマツの森が広がります。山麓には家康建立の呑龍大光院や新田義貞公の墓地のある金龍寺があり、山麓から山頂にかけて整備されたコースをハイキングするのも良いと思います。眺望も素晴らしく関東平野や富士山、秩父連峰、上州の名峰、日光連山等を望む事が出来ます。「史跡金山城跡ガイダンス施設」(無料/駐車場、トイレ有り)には金山城のジオラマや新田一族の説明の展示があり、お城やハイキングコース(マップ)のパンフレット(無料)なども入手可能です。 さて、金山城は西暦1,469年に岩松家純により築城され、由良一族に引き継がれます。1,584年に小田原の北条氏に開け渡すも、1,590年、戦国の世も終盤、北条氏が秀吉に破れた為、秀吉側の前田利家に接収、廃城に追い込まれます。その間、敵の攻撃で落城した事は一度もなく、上杉謙信や武田勝頼、東接する佐野氏などからの計十数回に渡る攻撃にも耐えています。それが不落の名城たる所以です。 築城の岩松家も引継いだ由良家も新田の一族です。清和源氏から派生した新田義重が始祖で、徳川家(松平家)はその支流にあたります(太平記)。新田義貞が有名で鎌倉幕府倒幕の武将です。鎌倉幕府を開いた源頼朝、その後の室町幕府の足利尊氏も清和源氏の血筋で、新田家とは親戚と言う事になります。 戦国の世、百年余り、上州新田の荘の中核であり、民衆の最後の砦であった金山城。城主の血筋からは徳川家康を輩出し、現代日本の骨子を作りました(私見)。今となっても群馬県や太田市の方々から敬愛され続け、金山(総合)公園として、遺跡や自然の復興保守がなされています。無料駐車場やトイレも多く、ハイキングなどを含め、訪問者にも大きな配慮をして頂いています。そうした金山城跡、一度訪問されてみるのは如何でしょうか。 それでは皆様良い新田の旅を!
Tomita HirokiTomita Hiroki
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戦国期関東では数少ない石垣の城であり、主役はあくまで「石垣」です。天守閣が無ければ城とは言わねぇよ! という種類の人には向かない場所なので、あらかじめ言っておきます(笑)。 では簡単に城のあらましを・・。戦国期は地元の由良氏の支配のもと上杉氏、武田氏、北条氏の角逐の場となり、武田氏滅亡後は一時は織田氏の勢力下にあったこともありました。それだけ上州支配において、地勢的重要な場所と言うことですかね。 その場の情勢で簡単に主君を変える反復常ない由良氏に嫌気が差した北条氏は、直接支配を目論み当主である国繁が小田原城を訪問した際に、難癖をつけて場内に拉致監禁してしまいます。そのスキに城を軍勢で囲んで乗っ取り、強制的に接収するのでした。 今の城跡の石垣は織田氏とも交流があり、上方の石垣を知っていた北条氏によって築かれたものとされています。その後は他の北条氏の地方拠点と同様に、秀吉の小田原征伐時に豊臣勢の大軍に包囲されて降伏。無血開城後は廃城となり現在に至る、という点では共通しています。 では目玉の石垣を見ていきましょうか。特に大手門跡から真ん中の石敷きの道を挟んで、左右に広がる石垣の規模の雄大さには息を飲みます。 ぐえ? 石垣のコーナーがキッチリ算木積み(特別に細長い石を交互に積上げて、崩壊し易いコーナー部分を強化する先進的技法)になってる・・ホンマかいな? これって確か関ケ原以降に定型化する技法じゃなかったっけ?。金山城は秀吉の小田原征伐で陥落後は、廃城になっているハズですが。 いくら何でも復元する側がちょっと気合を入れすぎ、盛り過ぎのような気がします(笑)。しかし、そのあたりは復元する側の良心として、元々あった基礎の部分と後から追加した部分の境目には鉛板を挟んで分かるようにしてあるそうです。 北条氏は武田氏を滅亡させた甲州征伐の際には、織田氏と共闘するなど友好関係にあったので、北条氏の外交団は直接に安土城の石垣を見てはいます。しかしその安土城ですら算木積みは未発達で、これほど明確な構造にはなっていません。 ちなみに同じく北条氏の八王子城は、安土城からの伝聞を参考に山麓部の石垣を築いたとされています。しかし技術が未熟な割に石垣を高く積み過ぎていて崩壊の恐れがあり、復元にあたっては表からは見えませんが、裏は鉄筋コンクリートで固定されているのだとか。実は高石垣を造る技術は軍事機密でもあり、そう簡単にマネ出来るものではないのですよ。 例えば北条氏の城でも埼玉県の鉢形城では、たかだか5m位の高さの高石垣も築く事が出来ず、3~4段に分けて造られ階段状になってしまっていることからも明らかです。 長々と石垣についてゴタクを並べてきましたが(笑)一応鑑賞のツボなので。関東の石垣の歴史について少しでも参考になれば光栄です。
ヤマ田太郎ヤマ田太郎
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I wasn’t having plan to visit there. It was just a random visit coz there was nowhere left to visit 😂 But the best part is you can trek to top tho they have a way for car as well but if you an enthusiast you must take the trek path. It was quite peaceful at top and the view is worth watching. Maybe night view from here will be super cool.
Rahul JoshiRahul Joshi
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群馬が誇る難攻不落の名城。 関東では珍しい石垣を多用した城郭。 金山城跡ガイダンス施設に駐車して登城しました。もっと上(金山モータープール駐車場)まで車で登れるんですが、麓の方でも堅堀を確認できるので下から登ります。 ガイダンス施設の脇から登り始め、すぐに堅堀を確認できます。その後も掘削跡のようなものを確認しつつ20分程で金山モータープール駐車場に到着。 モータープール駐車場から北西に行くと見附出丸があり、北東に行くと実城(本丸)があります。 見附出丸から実城まで直線距離で900m位あります。一通り浅く見てまわるだけでも結構大変ですよ。それ位広大な城域です。 駐車場から実城へ堀切を2本越え、3本目の堀切で見覚えのある光景が。 有名な物見台下虎口の石垣でした。 仕事中に画像検索してた光景ですた ( ̄ー+ ̄) 中に入って進むと馬場曲輪があります。ここは大手虎口を守る兵が待機していた場所です。 馬場曲輪の東側に金山城最大の堀切が。堀底には石積みの頭が確認できます。堀底の移動を妨害するためのものでしょうか。これは珍しいですね。 馬場曲輪から大手虎口に向かうと途中に月の池が。 これも仕事中に画像検索してた光景 ( ̄ー+ ̄) 発掘当時は1段だった石垣を溢れ防止のために2段に改修したそうです。 さて、月の池の目の前に大手虎口が現れます。いよいよ本格的に石垣が登場してきます。もちろん復元されたものではありますが、一部発掘された石も利用されています。迫力がありますよ。 さらに実城へ進むと日ノ池が現れます。先程の月の池よりも一回り大きいです。この池底からは土馬(どば)が出土しています。土馬は祈雨(きう)や水霊信仰などの祭祀に伴う遺物ですので、雨乞いなどの儀式が行われていたと思われます。 日ノ池の北側は三ノ丸、二ノ丸で現在は民家が建っております。ここは立ち入り不可です。 大ケヤキの脇を通っていよいよ実城へ。 現在は新田神社、御嶽神社、稲荷神社があります。新田神社は新田義貞を祀っており、明治6年に末裔の方が創建したそうです。 最後に神社の階段を下りて裏に回ると武者走りのような平地があり、実城裏の残存石垣を確認できます。 今回はこれで下山致しました。いやー疲れた。 駐車場無料 ガイダンス施設入館料無料
りゅうりゅう
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金山 (群馬県)の頂上にある山城であり、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。 「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はない」という従来の定説が発掘調査で覆されたほど、多くの石垣が多用されている。 新田金山城の新田というのは、鎌倉幕府を滅亡させ、南北朝時代に楠木正成と共に足利尊氏と戦った上野国の英雄、新田義貞の家系みたいですね。 子孫が岩松と姓を変え治めていたが、 1528年(享禄元年)頃に横瀬泰繁・成繁親子が城主の岩松昌純を殺し、実権を握る。 1565年(永禄8年)7月15日頃、横瀬成繁が由良に改姓。 1574年(天正2年)9月21日頃、由良成繁が上杉謙信の軍と金山城にて戦う。 1580年(天正8年)9月20日、武田勝頼が新田・館林地域を攻撃。 1584年(天正12年)由良国繁・長尾顕長兄弟は北条氏に従わないことを理由に糾明され、一族家臣含め金山城に籠城するものの、同年春までに開城し、後北条氏に降伏したと考えられている。 1585年(天正13年)5月26日、由良国繁、桐生城に退く。 1590年(天正18年)5月2日、豊臣秀吉の小田原征伐に際して、秀吉家臣の前田利家らが金山城を接収。同年7月11日に北条氏照・氏政を自害させた後、8月1日に秀吉は由良氏に常陸国牛久に知行5,435石を与え、城主を失った金山城は廃城となった。 江戸時代 1613年(慶長18年)徳川家康が一族の繁栄と始祖新田義重の供養のため金山南麓に大光院(吞龍様)を建立。 1934年(昭和9年)に「金山城跡」(かなやまじょうあと)として国の史跡に指定された。 2006年(平成18年)日本100名城(17番)に選定された。 2009年(平成21年)5月30日、史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市金山地域交流センターが開館。 山城だけにハイキングとしては最適です。 大量の石垣でできた石塁や階段は圧巻!! 物見櫓があり、高台~の景色も綺麗です。 立派な御神木(けやき)もあります。 現在の新田神社の位置に本丸があった様です。 新田神社の裏に当時の石垣が残っていて大変貴重です。 Facebookに全ての写真載せます
マッチョ麺マッチョ麺
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金山城は、山全体を要塞化した大城郭で北関東の抑えの城の一つでした。 城の成り立ちとしては、鎌倉時代末期の新田氏から城はあるといわれているようですが、当時にここまで全山作りこまれていたかと言われたらよくわかりません。 こちらの城は、関東において北条家の支配に従った由良氏が本城としてもっていました。利便性で行くと平地にある館林城の方が使いやすく、こちらには当時の由良家当主由良国繁の弟長尾顕長が入っていました。山城の金山城と平地の館林城が相互に連携すると、利根川を越えて北上する軍勢にとっては大きな障害となります。逆に北から南に攻め込む際は利根川の北に見張りを置きつつ、城を囲むことができるので南からの攻めを防ぐことに留意した城とも見ることができます。 当然、豊臣秀吉の小田原征伐の際も、金山城は攻略対象となります。もっとも、あまりの堅城ぶりに攻める豊臣側も戦意が振るわなかったのではないでしょうか。内部に、水をためて置ける広大な池がありました。水瓶を枯らすことができず、城を完全に囲うならば、五万以上の兵が必要となるのは間違いありません。小田原城を囲みながら、この方面にさらに五万以上はさすがの豊臣家もきついと思います。 しかし、それでも攻略しないと小田原征伐ができない豊臣家にとって早々に落としたい城だったはずです。そこへ、由良家の嫡男由良貞繁や家老らが、城主の命と引き換えに降伏すると申し出てきたのでした。これはまさに渡りに船です。 すぐさま城主由良国繁、その弟長尾顕長の助命を約して、金山城、館林城は明け渡されました。 その後、由良兄弟は、常陸の牛久で所領を得ます。早く降伏をしなかった小田原城、八王子城とは全く異なる未来に進みました。 城は落ちる直前に降伏しては手遅れです。せめて来る前に良い条件で降伏すれば、条件も出せます。売れる時に売るというのは現代にも通じる話と思われます。 城は、巨大で、下から登ると、数時間かかります。車などで山頂付近の無料駐車場にとめて、そこから山の上の遺構をみるのが楽です。所要時間は、2時間弱です。
taiga sekitaiga seki
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Basic Info
Address
40-106 Kanayamacho, Ota, Gunma 373-0027, Japan
Map
Phone
+81 276-20-7090
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Website
city.ota.gunma.jp
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4.3
(666 reviews)
Ratings & Description
cultural
outdoor
family friendly
attractions: Gunma Kids’ Country, Kanayama Castle Ruins Guidance Facility, Nitta Shrine, Gunma Children's World Children's Hall, Kinryuji, Gyokuganji, Grand Zelcova of Kanayama, Summer Bobsleigh, restaurants: ぐんまこどもの国 レストハウス

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