資料によると、 天仁元年(1108年)に発生した浅間山の噴火によって荒廃した、新田郡の一部を源義重(新田義重)が地主職を得て再開発し、保元2年(1157年)に、開発した19郷を金剛心院に寄進した功績によって、改めて下司職に任ぜられた。通説ではこの年を新田荘の成立年とする。なお、領家は藤原忠雅であった。
その後、新田荘は新田郡のほぼ全域に拡大したが、鎌倉時代の天仁元年(1224年)の段階では、新田氏宗家と庶流の世良田氏・岩松氏の3氏の間で分割支配されている。新田氏宗家は新田政義の時代に幕府によって新田荘の大半を没収されて、岩松氏や世良田氏ら一族に分割され、宗家が新規に開墾していた所領のみが残された。後に宗家が惣領の地位を回復したものの、新田荘の中でも小領主に転落してしまった。
新田義貞の時代に南朝軍の中核になり、新田氏一族もこれに従うが南朝の敗退とともに没落、北朝に降った岩松氏が事実上の宗家の地位を占めて新田荘を支配した。だが、戦国時代に入ると岩松氏も、家臣の由良氏によって取って代わられると荘園の実態を失い、やがて豊臣政権の小田原の役に由良氏が巻き込まれて所領を失い、新田荘も解体に追い込まれた。
江戸時代になると、徳川氏発祥の地として幕府の庇護のもとに繁栄を続けました。 とあります。
新田荘歴史資料館は、世良田東照宮がある太田市歴史公園内(...
Read more世良田東照宮の脇にある新田氏と新田荘に関する展示を行っている資料館です。訪問した時は隣接した長楽寺に関する展示を行っていました。資料館の入り口脇に荘園と新田氏に関するビデオ放映がされており、このビデオがとても良くできていて面白く勉強になります。愛知県の豊田市には松平氏発祥の地である松平郷(まつだいらごう)がありここにも東照宮がありますが、なぜここに徳川家康を祀る東照宮があり徳川発祥の地を掲げているのか不思議に思いましたビデオを見て納得しました。征夷大将軍になるには源氏の血を継いでいる必要があったそうで、三河の豪族であった松平氏は源氏の血縁ではなかったので、源氏の流れをくむ名家である新田氏の土地にある徳川(地名)が自らの先祖と言い始めて、自らの血統の正当性を主張したのが理由だそうです。政治的な背景も含めて歴史の勉強になりました。松平郷は三河の山の中にあり耕作地も狭く、新田荘は北関東の平野にある土地で昔から豊かな土地です。土地の条件が違いすぎるので、新田荘が徳川発祥の地というのは無...
Read more2024.12 【入館料】200円 旧名称は「東毛歴史資料館」(とうもうれきししりょうかん)。 建物脇にある新田義貞が刀を掲げる銅像があります。 埴輪の国群馬らしく、やはりまずは埴輪の展示があります。こちらに展示されている埴輪は大部分が修復復元された埴輪が多いように思いました。 次にわずか15日で倒幕を果たしたとされる新田義貞関連の展示があります。 またこの場所のすぐそばにある長楽寺は江戸時代に徳川の庇護を受け、寛永寺創建で有名な天海僧正によって臨済宗から天台宗に宗旨変えが行われています。その後末寺700以上をかかえる大寺院となったそうです。 明治以降は神仏分離もあり、すっかり衰退しています。 【概要】 太田市には、新田氏の荘園「新田荘」に関する11か所の遺跡からなる、国指定史跡「新田荘遺跡」があります。 新田荘歴史資料館では、新田荘遺跡を構成する、隣接の「長楽寺」「東照宮」の貴重な文化財を始めとして、太田市の豊かな歴史を物語る古墳や埴輪など、多くの資料を...
Read more