このこんもりとした塚の下には、もしかしたら光秀が愛した名刀が今も眠っているのかも知れません。その経緯とは…
本能寺の変の後、明智光秀の居城であった坂本城を守っていたのは明智左馬之助秀満でした。そこへ山崎の合戦で光秀に勝利した秀吉軍が攻め寄せて来ます。 左馬之助は奮戦するもこれ以上の防戦は無理であると判断し、坂本城に火をかけて自刃することを決断しました。 ところが坂本城内には文化人でもあった光秀のコレクションが数多くあり、左馬之助はこれら名器・名物が焼失するのを惜しみ後世に伝えるべく秀吉に献上することにしました。よほど価値のあるコレクションだったのか、左馬之助が几帳面な性格だったのか、どちらかわかりませんが、彼はわざわざ目録を作成しコレクションに添えて秀吉側に送ったと言われています。 それを受けた秀吉側の武将・堀直政は光秀秘蔵の脇差がないことに気づき、左馬之助を質しました。左馬之助は光秀が愛でた名刀であるから、死出の山にて光秀に渡したいと答えたということです。その名刀は左馬之助により坂本城下に埋められ、その跡には塚が築かれました。
その塚は今や個人の住宅地内にありますが、大変綺麗に整えられています。また所有者のご厚意により一般に公開されていて、戦国の歴史秘話が...
Read more⭐️ひっそりと綺麗に小さい塚が佇んでました、個人の方の玄関先敷地内を一般に開放、地主の方が設置した案内板の一部から抜粋「坂本城落城の際に光秀の脇差名刀の郷義弘並宝器物を埋めた跡であり明智一族の墓所であると傳へられている明智族の悲運もあって鎮魂のため」とありました、塚を移動したり壊すと祟りがあると言う伝承のようです😓
⭐️城絵図だと本丸北西or二の丸北東の地、それとも内堀の中か、何時から有るのでしょうか落城の1582年から、そうだとしたら凄い‼️
⭐️明智光秀自身の墓ではないので坂本城落城時に明智一族に関連した悲運の塚と漠然に思いました、実際に発掘調査して無いのも空想とロマン、本能寺の変から山崎の合戦の敗北、そして坂本城落城と明智一族の滅亡の地、激動の13日間⚔️ 本当に何が埋められているのだろう🤔
⭐️場所…車は無料の「坂本城址公園」駐車場に駐車、大通りを北上、「坂本城本丸跡石碑」前を通り過ぎて、ガソリンスタンドENEOSの斜め前、auショップ右隣、...
Read more光秀が大切にしていた刀が眠る 2023年11月上旬、坂本エリア探訪の際に寄りました。 かつて坂本城の本丸だった場所にあり、現在では個人の所有地に地主さんこ厚意により拝見することができます。 塚は大変綺麗に整備されており、設置されている説明板には —————————————————————— 明智塚 この地は明智光秀の坂本城の城内であると推定されている。 塚の由来に就いては坂本城落城の際に光秀の脇差名刀の郷義弘並宝器物を埋めた跡であり明智一族の墓所であると溥へられている明智族の悲運もあって鎮魂のため 毎年六月十五日祭記 平成十四年十一月 地主 —————————————————————— とあり、歴史を大切にされて...
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