今は、月心寺だが、昔は走井の茶屋でありました。東海道沿いにあるこの寺は井戸は直接みられないが塀越しにみることができます。滋賀と京都の山境にある追分のちにあります。溢れんばかり井戸から水がでて、たびびとののどをうるおしました。そこには、たくさんの茶屋があり、休み処でありました。走井のみずをつかってもちをついて、旅人にだしていました。これが走井餅のはじまりです。六代目井口家からは、京都の岩清水八幡宮の門前町にうつりました。大津創業地は廃止されそのあとが月心寺になっています。そしてこの追分の地は、大津絵やそろばんなんかも売っていたそうです。逢坂山辺りの東海道線は、車石でゆうめいで、坂がきついので石が敷いてありました。牛車が通っていました。右側が車石で左側がつちの道であったようです。このあたりの、東海道沿いのお寺に車石がのこっています。みなさんもこの辺りを...
Read more(百歳堂(ももとせどう)の小野小町について) 日本の伝説/柳田国男/昭和4年?/咳のおば様 京都から近江へ越える逢坂の関に百歳堂としてあったのも関の姥神らしい。後に関寺小町といい、小野小町が年をとってここにいたという。今の木像は短冊と筆を持った老女の姿だが、以前はもっと恐ろしい顔の石像で、その前はただの天然の石だったかもしれない。 ※上記の本に記載は無いですが、「関寺小町」は世阿弥作と言われる謡曲で、老女になった小野小町を描いたものです。 また、複数のネット情報では、小野小町像は運慶作と伝えられ、もとは逢坂の関の関寺(976年の地震で倒壊、今は長安寺が跡地に建つ)にあったものを初代が譲り受けたという記述もいくつか見受けられました。 これに対し、柳田国男の言う関の姥神は道祖神のこ...
Read more月心寺(げっしんじ)は、滋賀県大津市大谷町にある臨済宗系単立寺院。山号は瑞米山。京、大津への玄関口、逢坂山の関所を控える、かつては東海道随一の賑わいをしていた追分の地で繁昌していた走井茶屋の跡。境内には今も枯れることなく走井の名水が湧き出ている。逢坂関を越えた山が迫る狭い土地で、街道を挟んで両側に家々がぎっしり建ち、谷間を埋めており、大津絵や大津算盤、縫い針などの大津特産の土産物を売る店や茶店がひしめき、旅人と牛馬の往来が多い賑やかな場所に位置していた。...
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