信長の古参の最重臣である森可成の主城、子沢山で森蘭丸や猛将鬼武蔵の森長可などは有名ですね 浅井朝倉と戦っていたのですが延暦寺の横槍が入る事で宇佐山城にて憤死しました、これに嘆いた信長が一乗谷と延暦寺の焼き討ちを決めたんでしょうね、信長を諌められる唯一の武将、生きていれば歴史も変わっていたかも知れませんね
車の方は宇佐山神社入口手前の赤鳥居のある豊平稲神社周辺にスペースがあります、 道は分かりにくく狭くて急角度の坂で砂利の部分もあります、力の無い車やフル乗車だとキツいかも
車を停めたらまずは宇佐山神社で安全祈願しましょう、神社側にも城跡への道があります
ここからは標高差130m程を一気に登ります、砂混じりの山道でかなりツラいです、直登からつづら折りになる辺りで堅堀らしき場所がありました、道の途中にある地元の小学生が作った看板を見ながら頑張りましょう
登り切る手前に残った本丸の石垣があります、元気があれば斜面を登り石垣に近づいてみましょう そしてまずは三の丸にいきましょう 縄張り図と景色の案内があります、 丸太の椅子で休憩して琵琶湖や伊吹山の眺望を楽しみましょう
縄張り図をスマホで写真に撮り確認しながら歩き回ります、冒険派は下の段曲輪まで降りてみましょう そして本丸に向かいます、本丸は電波塔に占領されています、奥の二の丸に向かいます、有刺鉄線で囲われたエリアの左側の道を進み最奥まで進みます、外周側は急斜面で先の下にまた段曲輪が見えますがこちらは行けそうにありません
搦め手側に降りる道もありましたが行く元気は無かったので来た道を戻ります、下り道は滑るのでトレッキングシューズ推奨ですね お疲れ様でした 令和4年G...
Read more宇佐山城主は森可成です。信長の小姓の蘭丸のお父さんです。元亀元年1570年朝倉義景、浅井長政の南進に備え、琵琶湖と北国街道の抑えとして、織田信長が築城しました。信長が近江の国で最初に石垣づくりの城をつくったとして、有名です。最初の城主は森可成です。美濃国金山城の城主です。明智光秀の生家も程近い場所にあります。志賀の陣で坂本あたりで元亀元年1570年10月に朝倉、浅井軍の猛攻に耐えきれず亡くなり、その後は明智光秀が城主になっています。可成の墓は、坂本の来迎寺にあります。先祖代々の墓は美濃の金山城の麓にあります。明智光秀は暫くの間宇佐山城主になっていた時期の話として、地元の旧滋賀里村の言い伝えがあるそうです。赤塚村では、「明智さんが田んぼだけではと、山の所有権を村人の物になるよう交渉してくださり、今の我々の持ち山がある。その感謝を込めて山の広場で鎮魂の一文字の送り火をしていた」や見世村では、「明智に支えたことから(明光)という名字をもらった、お墓は大伴神社の南側の林の中にあった。お水を朝の暗いうちからおそないにいっていた」などである。古老は、明智さんと呼び感謝の念が代々口伝えで伝承されてきました。信長を討った極悪人ゆえに公の書類には残せずに、そっと語り継がれてきたといいます。福知山市でも光秀さんは、治水や税金免除などの功績により良く思われていて、御霊神社にまつられています。宇佐山は、近江神宮の山頂にあり、宇佐山は、336メートルで、宇佐山八幡宮の少し横から登ります。八幡宮から10分ぐらいで登れます。近江神宮からは、30分ぐらいかかります。アクセスは、京阪石阪線、近江神宮前駅下車し、近江神宮まで5分でそこから、...
Read more往復所要時間は少なくとも約90分はみておきたい。麓から宇佐八幡宮まで約20分、宇佐八幡宮裏にある登城口から主郭部まで約20分かかる。麓から宇佐八幡宮までの道は舗装された坂道だが勾配がやや急でなかなかハード。宇佐八幡宮の右側奥に道があり、その道を少し下ると左手に登城口がある、そこから主郭部までは山道で約20分。山道は随所に地元の小学生が作成したであろう看板がありそれのみが目印。基本あまり整備されていない道なんでなかなかワイルド。曲輪としては放送設備のある付近が主郭部、一段下に二ノ丸跡、堀切を越えた北側に三ノ丸跡がある。主郭部は平らな広い郭だが設備があるため遺構は確認できないし眺望も良くない。一段下に二ノ丸跡がありこちらはこじんまりとした平らなスペースだが柵があり立入不可。三ノ丸跡は見晴台のような郭であり琵琶湖を一望できる眺望スペース。全ての郭の下側に石垣の残骸があるものの近づくには危険な箇所が多いのでご注意あれ。登城ルートは何箇所かありそう。結語としては城跡総じてそこそこ遺構はあるものの城跡としての整備が不十分であり残念。良い城跡なんで今後整備が進む事を微かに期待し...
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