比叡山延暦寺は宗祖最澄によって天台宗の本山として創設されたものであるが、円仁、円珍によって天台仏教は密教と融合し、天台密教すなわち台密を生み出した。良源はこの台密の完成者と言われる。梅原猛著『京都発見9』77頁
良源の活動の根拠地は比叡山の横川である。比叡山は今日、東塔、西塔、横川の三地区に分かれるが、最澄の当時の比叡山には東塔と西塔は並立していたが、横川は未だ存在していなかったといってよい。この横川を東塔、西塔と並ぶ比叡山の寺地とする基礎を作ったのは円仁である。円仁は四十歳から三年間、ここに草庵を結び病を養った。・・・円仁没後、疲弊していた横川を復興したのは良源である。良源は琵琶湖の北岸にある虎姫町に生まれたが、父の身分は高くなかった。しかも良源が比叡山でついた師匠は西塔の理仙である。同80頁
良源は義昭との論義によって藤原忠平に認められたが忠平の子の師輔とも結びつき、師輔の厚い信任を得た。・・・この師輔一家が権力を増すにつれて出世の階段を上っていった。そしてついに966年、五十五歳にして天台座主となった。・・・そして七十四歳で死ぬまで十九年間、天台座主の地位にあった。良源によって、円仁派は勢いを取り戻し、ついに円珍派を三井寺に追いやることになる。同82頁
ということで、山門の始祖:円仁=慈覚大師(794-864)は、権力闘争に明け暮れる延暦寺から逃れるため比叡山内に新たに横川(よかわ)という聖地を新設して横川に籠ります。弟子たちには貴族などの俗権力とできるだけ関わらないよう伝え、弟子たちは、その教えを守り続けます。この結果、横川は金欠になって疲弊・衰退。
ところが円仁派の中に長浜市虎姫出身の良源(912-985。慈恵大師・元三大師)という台密を完成させた名僧が生まれます。
良源は「俗に関わるな」という円仁の教えに反し、摂関政治を始めた藤原忠平(880-949)やその次男にして藤原道長の祖父たる藤原師輔(909-960)に取り入って重用され、966年には天台座主となり、円仁派が勢力拡大。
この結果横川は復興し、今でも比叡山の横川を歩くと元三大師の名がところ...
Read more横川は本堂にあたる横川中堂を中心とする区域です。 西塔から北へ4キロメートルほどのところにあり、第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれました。本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂です。他に往生要集著者の源信僧都が隠居していた恵心堂やおみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)などがあります。 東塔地域から、シャトルバスにて15分。徒歩にて100分以上(東海道自然歩道) 西塔地域から、シャトルバスにて10分。 横川の本堂にあたるのが、この横川中堂です。舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。 お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。 現在の建物は昭和46年に再興された建物です。 慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる元三大師堂は、康保4年(967年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論義されたことから四季講堂とも呼ばれています。 現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地となります。...
Read moreTakes time to go from 延曆寺 and bus fare needs around 7xx yen to here (better to have travel ticket with you). But I think need to go 東塔,西塔 and 橫川 to complete the trip....
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