「鎌形」埼玉県比企郡嵐山町大字鎌形にある神社。
「大蔵」鎌形の東隣の鎌倉街道上道の通っていた大蔵(大字)に館を構えていたのが源義賢(みなもとのよしかた)源頼朝の叔父(大蔵館)。その義賢が鎌形に下屋敷をもうけていて、小枝御前に生ませた駒王丸(木曽義仲)の産湯の清水がこの神社にある。
「菅谷」その大蔵に対し、都幾川を隔てた北隣が菅谷(大字)で、ここに館を構えていたのが畠山重忠(菅谷館)。坂東武士の鑑・はたけやま しげただ。
「畠山」その父親が、畠山重能(はたけやま...
Read more寂れてるというか、歴史を感じると表現すべきか。嵐山渓谷を訪ねた時に見つけたんですが、本当に気まぐれで立ち寄っただけなんですが、(木曽義仲産湯の井戸)を見つけた時は、それだけで歴史ある神社なんだと思いました。八幡社は清和源氏の五代目・源頼義が朝廷から鎮守府将軍を任ぜられ戦勝を祈願したのが源氏の氏神になった始まりと言われています。鎮守府将軍というのは、平安時代に各地に荘園が築かれると、その数が増えて荘園の境界をめぐる争いが起こり、それを鎮める役割なんです。ちなみに、木曽義仲は清和源氏の分家の一人だから源義仲が本名。さらに、清和源氏の直系の十代目が源頼朝になるんです。八幡社は源氏に信仰されたと言われてますが、あくまでも清和天皇の流れを汲む源氏が信仰したのであって、源氏・平氏というのは皇位継承から外れた皇子や皇女に与えられた姓であり、鎌倉時代の次の室町時代の足柄尊氏も源氏だが、こちらは村上天皇の流れを汲む村上源氏になるので、八幡社を...
Read more鎌形八梅神社は、平安時代初期延暦年間に、坂上田村麻呂が九州の宇佐八海宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると言い伝えられている。武門、武将の神として仰がれ「頼朝及び尼御前の言仰ことのほか厚く」と縁起の中にもおる源義賢、義仲義高三代に関する伝説がこの地には多く源氏の氏神として仰がれていたという。 また嵐山町指定文化財である悪心が二枚保存されている。 安元二年(一、ー七六年)の名がある患は径十八センチメートルで、中央に阿彌詑座像が鋳出されていて「森納八幡宮宝前安元二雨天八月之吉清水冠者源義高」と陰刻されている。(但し、源義高は安元二年には生まれていない。)もう一つの貞和四年(一、三 四八年)の銘がある悪仏は径十七センチメートで、薬師座像が鋳出されていて「渋河開坊貞和義七月日焼は兼泰」と刻まれている。 その他、木曽義仲産場の清水や徳川幕府歴代将軍の細米印状...
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