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Hizenkuniichinomiya Yodohime Shrine — Attraction in Saga

Name
Hizenkuniichinomiya Yodohime Shrine
Description
Nearby attractions
神通密寺 実相院
947 Yamatocho Oaza Kawakami, Saga, 840-0214, Japan
Hotozanshinmasa Temple
267 Yamatocho Oaza Umeno, Saga, 840-0203, Japan
Nearby restaurants
山カフェレストランKUREHA
239-1 Yamatocho Oaza Umeno, Saga, 840-0203, Japan
Larmien House
2951-1 Yamatocho Oaza Kuchii, Saga, 840-0202, Japan
せせらぎの食事処 熊野川(ホテルアマンディ内)
3667 Yamatocho Oaza Kuchii, Saga, 840-0202, Japan
Nearby hotels
Hotel Ryutoen
120 Yamatocho Oaza Umeno, Saga, 840-0203, Japan
Saga Yamato Onsen Hotel Amandi
3667 Yamatocho Oaza Kuchii, Saga, 840-0202, Japan
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Hizenkuniichinomiya Yodohime Shrine things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Hizenkuniichinomiya Yodohime Shrine
JapanSaga PrefectureSagaHizenkuniichinomiya Yodohime Shrine

Basic Info

Hizenkuniichinomiya Yodohime Shrine

1-1 Yamatocho Oaza Kawakami, Saga, 840-0214, Japan
4.3(396)
Open until 12:00 AM
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Scenic
Family friendly
Accessibility
attractions: 神通密寺 実相院, Hotozanshinmasa Temple, restaurants: 山カフェレストランKUREHA, Larmien House, せせらぎの食事処 熊野川(ホテルアマンディ内)
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Phone
+81 952-62-5705
Website
yodohime-jinja.jimdo.com
Open hoursSee all hours
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Reviews

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神通密寺 実相院

Hotozanshinmasa Temple

神通密寺 実相院

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4.1

(15)

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Hotozanshinmasa Temple

Hotozanshinmasa Temple

4.0

(9)

Open 24 hours
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🎄 Techmas Fukuoka: Manabu Hubs Year-End Innovation Gala 🚀
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Nearby restaurants of Hizenkuniichinomiya Yodohime Shrine

山カフェレストランKUREHA

Larmien House

せせらぎの食事処 熊野川(ホテルアマンディ内)

山カフェレストランKUREHA

山カフェレストランKUREHA

4.4

(289)

$$

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Larmien House

Larmien House

3.7

(199)

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せせらぎの食事処 熊野川(ホテルアマンディ内)

せせらぎの食事処 熊野川(ホテルアマンディ内)

3.9

(19)

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Reviews of Hizenkuniichinomiya Yodohime Shrine

4.3
(396)
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5.0
3y

與止日女神社です。 駐車場🅿有り広い トイレ🚻有り身障者用有り 車椅子♿大丈夫です🐈

肥前國一宮

御祭神 與止日女(よどひめ)神社由緒に

豊玉姫、または神功皇后の妹、と書かれています。 これは仮説で

一つが河上タケルの親族説と もう一つが神功皇后が豊国から国を奪還した際により強い守り神として豊玉姫と神功皇后と河上一族の女神を合祀させた説です。

與止日女とは まずは豊玉姫説。九州北部に與止日女や淀姫を祀る神社が存在していることと山幸海幸伝承の豊玉姫から推測されています。

次に神功皇后妹説は。長崎県松浦市にある淀姫神社に豊玉姫と別に淀姫が祀られていることから豊玉姫説は違うのではという説からです。この仮説は江戸時代からです。

仮説①の河上タケルの親族説。この與止日女神社はむかし肥前国川上村にある河上神社と申しておりましたが名前を與止日女神社に変えておられます。 逆賊、河上タケルは日本武尊に倒されます。この日本武尊の英雄談は、この土地が川上だからという単純な考察ではなく日本武尊がこの佐賀市大和町で河上タケルを倒したという伝承が存在してます。ついでに河上タケルのお墓もすぐ近くに存在しています。 與止日女はその河上タケルの妹なのか、姉なのか妻なのか

歴史は勝者の話として継がれていきます。河上タケルは逆賊なんだろうか?

事実、與止日女神社の本殿千木は男神なので 川上神社は元々、河上タケルを祀っていたのではという。そして與止日女は河上タケルの親族なのでは説です。

仮説②豊国から神功皇后が取り返した説 これは当初火の国が王朝としてありました スサノオ系統です。そこに天氏が入って来て 初代天照大御神のニギハヤヒ率いる豊国に滅ぼされます。それからずっとあとに 火の国と同族の神功皇后が火の国を奪還したときこの地を護る神を合祀しより強くして祀りたい。 豊玉姫+神功皇后+豊姫=與止日女 これが與止日女なのでは? これが期待値高そうですね いずれにせよ謎です🐈

與止日女はこれでいいとして 河上神社には またおもしろいお話がありまして

與止日女神社は河上神社といい この河上神社から祭神を勧請した神社が 数社あります。その一つ和歌山にある 川上神社物語から 「河内の国野村の郷に住んでいた、野村久太夫好久」が、戦国時代、難を避けて、家族五人を連れて秋津の里に流れ住んだことが記され、「氏神さまが無ければ、心細いので、遠く、佐賀県佐賀郡川上村に祀られてあった、河上神社から分霊をいただいて、川中口にお祀りしたのが川上神社の始まり」と記されています。この分霊に瀬織津姫の名が記され、「瀬織津姫とは清らかな川の流れをききながら、毎日織物をつづけておられる尊いお姿の姫さまが想像されましょう」と、織姫としての瀬織津姫神が語られます。とあります。

このお話から與止日女神社は瀬織津姫を祀っていたという貴重な伝承です🐈昭和56年に河内、和歌山の川上神社の総代が元宮(與止日女神社)に挨拶に行かれたとき與止日女神社の宮司さんは当社は神功皇后の妹君さまをお祀りしておりますと瀬織津姫を否定されてます。🐈 瀬織津姫神の本地仏の一つとして十一面観音がみられますが、円空という僧が消されつつある瀬織津姫信仰を仏に変え護ったことは有名な話です。🐈

與止日女神社は河上一族を祀る神社と言えます。その河上一族が祀ってたのが瀬織津姫です。

北山ダムを越えて北上すると上無津呂にある淀姫神社には十一面観音があります。この十一面観音は神道でいうところの瀬織津姫。 與止日女と別に石神様を祀る神社が近くにあります。名前を世田姫。 河上一族を祀ると同時にこのお姫様を本当の祭神としているのが與止日女神社と考えます。世田姫は瀬織津姫かもしれません。

河上一族は名前を河上から大神、大賀、大家と支流を残し瀬織津姫を祭祀しています。

瀬織津姫を回る方はここが瀬織津姫信仰の始り(現段階の資料では與止日女神社上宮が1番古いことから)ですので是非行かれてください。 ここというよりはすぐ近くの石神様なので、登山が必要になりますが、まだまだ探求は続きそうですね🐈

是非行かれてください🐈 ...

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5.0
5y

The ideal time to visit this shrine is late April/early May around Children’s Day. At that time, koi streamers are displayed across the river. It makes for excellent photos and is a worthwhile stop along a very scenic drive. In February/March the plum blossoms are also...

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5.0
7y

佐嘉郡の式内社「與止日女神社」(小...

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猫神様の眷属だいふく猫神様の眷属だいふく
與止日女神社です。 駐車場🅿有り広い トイレ🚻有り身障者用有り 車椅子♿大丈夫です🐈 肥前國一宮 御祭神 與止日女(よどひめ)神社由緒に 豊玉姫、または神功皇后の妹、と書かれています。 これは仮説で 一つが河上タケルの親族説と もう一つが神功皇后が豊国から国を奪還した際により強い守り神として豊玉姫と神功皇后と河上一族の女神を合祀させた説です。 與止日女とは まずは豊玉姫説。九州北部に與止日女や淀姫を祀る神社が存在していることと山幸海幸伝承の豊玉姫から推測されています。 次に神功皇后妹説は。長崎県松浦市にある淀姫神社に豊玉姫と別に淀姫が祀られていることから豊玉姫説は違うのではという説からです。この仮説は江戸時代からです。 仮説①の河上タケルの親族説。この與止日女神社はむかし肥前国川上村にある河上神社と申しておりましたが名前を與止日女神社に変えておられます。 逆賊、河上タケルは日本武尊に倒されます。この日本武尊の英雄談は、この土地が川上だからという単純な考察ではなく日本武尊がこの佐賀市大和町で河上タケルを倒したという伝承が存在してます。ついでに河上タケルのお墓もすぐ近くに存在しています。 與止日女はその河上タケルの妹なのか、姉なのか妻なのか 歴史は勝者の話として継がれていきます。河上タケルは逆賊なんだろうか? 事実、與止日女神社の本殿千木は男神なので 川上神社は元々、河上タケルを祀っていたのではという。そして與止日女は河上タケルの親族なのでは説です。 仮説②豊国から神功皇后が取り返した説 これは当初火の国が王朝としてありました スサノオ系統です。そこに天氏が入って来て 初代天照大御神のニギハヤヒ率いる豊国に滅ぼされます。それからずっとあとに 火の国と同族の神功皇后が火の国を奪還したときこの地を護る神を合祀しより強くして祀りたい。 豊玉姫+神功皇后+豊姫=與止日女 これが與止日女なのでは? これが期待値高そうですね いずれにせよ謎です🐈 與止日女はこれでいいとして 河上神社には またおもしろいお話がありまして 與止日女神社は河上神社といい この河上神社から祭神を勧請した神社が 数社あります。その一つ和歌山にある 川上神社物語から 「河内の国野村の郷に住んでいた、野村久太夫好久」が、戦国時代、難を避けて、家族五人を連れて秋津の里に流れ住んだことが記され、「氏神さまが無ければ、心細いので、遠く、佐賀県佐賀郡川上村に祀られてあった、河上神社から分霊をいただいて、川中口にお祀りしたのが川上神社の始まり」と記されています。この分霊に瀬織津姫の名が記され、「瀬織津姫とは清らかな川の流れをききながら、毎日織物をつづけておられる尊いお姿の姫さまが想像されましょう」と、織姫としての瀬織津姫神が語られます。とあります。 このお話から與止日女神社は瀬織津姫を祀っていたという貴重な伝承です🐈昭和56年に河内、和歌山の川上神社の総代が元宮(與止日女神社)に挨拶に行かれたとき與止日女神社の宮司さんは当社は神功皇后の妹君さまをお祀りしておりますと瀬織津姫を否定されてます。🐈 瀬織津姫神の本地仏の一つとして十一面観音がみられますが、円空という僧が消されつつある瀬織津姫信仰を仏に変え護ったことは有名な話です。🐈 與止日女神社は河上一族を祀る神社と言えます。その河上一族が祀ってたのが瀬織津姫です。 北山ダムを越えて北上すると上無津呂にある淀姫神社には十一面観音があります。この十一面観音は神道でいうところの瀬織津姫。 與止日女と別に石神様を祀る神社が近くにあります。名前を世田姫。 河上一族を祀ると同時にこのお姫様を本当の祭神としているのが與止日女神社と考えます。世田姫は瀬織津姫かもしれません。 河上一族は名前を河上から大神、大賀、大家と支流を残し瀬織津姫を祭祀しています。 瀬織津姫を回る方はここが瀬織津姫信仰の始り(現段階の資料では與止日女神社上宮が1番古いことから)ですので是非行かれてください。 ここというよりはすぐ近くの石神様なので、登山が必要になりますが、まだまだ探求は続きそうですね🐈 是非行かれてください🐈 ありがとうございます🐈
三文詩人三文詩人
佐嘉郡の式内社「與止日女神社」(小 一座)に比定される古社。肥前一宮。肥前一宮としては、田島神社も千栗八幡もあったのだが。 地名を川上というので、「川上神社」と憶えていた。與止日女(よどひめ)神社とは呼んだ記憶がない。 川縁の何だか明るい神社。入口には猿田彦大神が控え、境内には巨木や巨木の名残や金精さんが立ち、5月になれば鯉のぼりが空に泳ぎ、遊覧船が河面に浮かぶ。 神功皇后の妹である與止日女を祀るという。この名は古事記・日本書紀に見当たらない。神功皇后の妹というと、虚空津比賣(そらつひめ)命のことか、記されなかった妹が居たのか。 一説に豊玉姫命とも。豐玉姫は海神の娘にして山幸彦の嫁。子を産む時に龍(古事記では八尋和邇)に為り、正体を見られたので海に帰ったという。しかし当社は有明海から距離があり、地形が変わったにしても、海神も山幸彦も祀らない。 古くは社殿もなく、川そのものを拝んだとも。 肥前國風土記に曰く。 「此の川上に石神有り、名を曰く世田姫。海神(鰐魚を謂ふ)年常に流を逆り潜り上りて此の神の所へ到る。海底の小魚、多に之に相従へり。或る人、其の魚を畏むは殃無く、或る人、捕り食らふは死す有り。凡そ此の魚、二三日を経て還り海に入る。」 風土記ではトヨタマヒメならぬヨタヒメで石神。ワニは本体ではない。ワニと書いてあるが、この魚はナマズとされ、今でもこの地域では鯰を食べないという。しかし風土記の記述からは回游魚のような? 「殃」は「まが」「わざわい」と読む。死して河原に打ち上げられた鮭鱒の類を拾い食いでもしたならば、中には酷いワザワイに遭った人も有ろう。主に腹痛とか。 では世田姫とは何者か。これ以上の記事は見当たらない。景行紀に、日本武尊が熊襲國に川上梟帥(かわかみたける)を滅ぼした話がある。これと同じ川上だとすると、逆賊の一味と見なされ正史から消され、地元にのみ残ったのであろう。……それにしては、佐賀県内に淀姫社が散在するのは何故だろう?
Akira NishiAkira Nishi
1400年以上の歴史を持つお社です。別名河上神社、地元の方々からは「淀姫さん」と呼ばれ親しまれています。創建は欽明天皇25年(564年)。主祭神は與止日女命(よどひめのみこと)。與止日女命は応神天皇の叔母(すなわち神功皇后の妹)とされていますが、一説には豊玉姫命(神武天皇の祖母)とも伝えられています。式内社であり旧社格は県社、現在は佐賀県神社庁に属しています。神階は貞観2年(860年)に従五位上に、貞観15年(873年)に正五位下となり延喜の制小社に列して国幣を賜る。後、二条天皇慶保の頃(1161年)に肥前国一宮とされ弘長元年(1261年)に正一位となる。肥前国一宮の名称に付いては千栗八幡宮も一宮を主張しており、約60年にわたり紛争が起きています。後陽成天皇が慶長7年(1602年)に「大日本国鎮西肥前州大一之鎮守宗廟河上山正一位淀姫大明神一宮」の勅額を下したとされます。後陽成天皇は千栗八幡宮へ慶長14年(1609年)に「肥前国宗廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を授けたとされています。この辺りが紛争の種になっているのでしょうね。どちらが正しいのか、或いはどちらも正しいのかは解りません。境内は嘉瀬川沿いにあります。明るく開放的な雰囲気で親しみやすく感じます。社殿は正面五間側面三間、入り母屋造り、平入り唐破風付の拝殿、正面一間、側面五間の幣殿、正面五間、側面四間の流れ造の本殿という構成になっています。本殿屋根には3本の鰹木と外削ぎの千木があります。境内の直ぐ先に数十台止められる駐車場があります。御朱印は¥300-の初穂料で頂く事が出来ます。また訪れたいと思うお社でした。
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與止日女神社です。 駐車場🅿有り広い トイレ🚻有り身障者用有り 車椅子♿大丈夫です🐈 肥前國一宮 御祭神 與止日女(よどひめ)神社由緒に 豊玉姫、または神功皇后の妹、と書かれています。 これは仮説で 一つが河上タケルの親族説と もう一つが神功皇后が豊国から国を奪還した際により強い守り神として豊玉姫と神功皇后と河上一族の女神を合祀させた説です。 與止日女とは まずは豊玉姫説。九州北部に與止日女や淀姫を祀る神社が存在していることと山幸海幸伝承の豊玉姫から推測されています。 次に神功皇后妹説は。長崎県松浦市にある淀姫神社に豊玉姫と別に淀姫が祀られていることから豊玉姫説は違うのではという説からです。この仮説は江戸時代からです。 仮説①の河上タケルの親族説。この與止日女神社はむかし肥前国川上村にある河上神社と申しておりましたが名前を與止日女神社に変えておられます。 逆賊、河上タケルは日本武尊に倒されます。この日本武尊の英雄談は、この土地が川上だからという単純な考察ではなく日本武尊がこの佐賀市大和町で河上タケルを倒したという伝承が存在してます。ついでに河上タケルのお墓もすぐ近くに存在しています。 與止日女はその河上タケルの妹なのか、姉なのか妻なのか 歴史は勝者の話として継がれていきます。河上タケルは逆賊なんだろうか? 事実、與止日女神社の本殿千木は男神なので 川上神社は元々、河上タケルを祀っていたのではという。そして與止日女は河上タケルの親族なのでは説です。 仮説②豊国から神功皇后が取り返した説 これは当初火の国が王朝としてありました スサノオ系統です。そこに天氏が入って来て 初代天照大御神のニギハヤヒ率いる豊国に滅ぼされます。それからずっとあとに 火の国と同族の神功皇后が火の国を奪還したときこの地を護る神を合祀しより強くして祀りたい。 豊玉姫+神功皇后+豊姫=與止日女 これが與止日女なのでは? これが期待値高そうですね いずれにせよ謎です🐈 與止日女はこれでいいとして 河上神社には またおもしろいお話がありまして 與止日女神社は河上神社といい この河上神社から祭神を勧請した神社が 数社あります。その一つ和歌山にある 川上神社物語から 「河内の国野村の郷に住んでいた、野村久太夫好久」が、戦国時代、難を避けて、家族五人を連れて秋津の里に流れ住んだことが記され、「氏神さまが無ければ、心細いので、遠く、佐賀県佐賀郡川上村に祀られてあった、河上神社から分霊をいただいて、川中口にお祀りしたのが川上神社の始まり」と記されています。この分霊に瀬織津姫の名が記され、「瀬織津姫とは清らかな川の流れをききながら、毎日織物をつづけておられる尊いお姿の姫さまが想像されましょう」と、織姫としての瀬織津姫神が語られます。とあります。 このお話から與止日女神社は瀬織津姫を祀っていたという貴重な伝承です🐈昭和56年に河内、和歌山の川上神社の総代が元宮(與止日女神社)に挨拶に行かれたとき與止日女神社の宮司さんは当社は神功皇后の妹君さまをお祀りしておりますと瀬織津姫を否定されてます。🐈 瀬織津姫神の本地仏の一つとして十一面観音がみられますが、円空という僧が消されつつある瀬織津姫信仰を仏に変え護ったことは有名な話です。🐈 與止日女神社は河上一族を祀る神社と言えます。その河上一族が祀ってたのが瀬織津姫です。 北山ダムを越えて北上すると上無津呂にある淀姫神社には十一面観音があります。この十一面観音は神道でいうところの瀬織津姫。 與止日女と別に石神様を祀る神社が近くにあります。名前を世田姫。 河上一族を祀ると同時にこのお姫様を本当の祭神としているのが與止日女神社と考えます。世田姫は瀬織津姫かもしれません。 河上一族は名前を河上から大神、大賀、大家と支流を残し瀬織津姫を祭祀しています。 瀬織津姫を回る方はここが瀬織津姫信仰の始り(現段階の資料では與止日女神社上宮が1番古いことから)ですので是非行かれてください。 ここというよりはすぐ近くの石神様なので、登山が必要になりますが、まだまだ探求は続きそうですね🐈 是非行かれてください🐈 ありがとうございます🐈
猫神様の眷属だいふく

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佐嘉郡の式内社「與止日女神社」(小 一座)に比定される古社。肥前一宮。肥前一宮としては、田島神社も千栗八幡もあったのだが。 地名を川上というので、「川上神社」と憶えていた。與止日女(よどひめ)神社とは呼んだ記憶がない。 川縁の何だか明るい神社。入口には猿田彦大神が控え、境内には巨木や巨木の名残や金精さんが立ち、5月になれば鯉のぼりが空に泳ぎ、遊覧船が河面に浮かぶ。 神功皇后の妹である與止日女を祀るという。この名は古事記・日本書紀に見当たらない。神功皇后の妹というと、虚空津比賣(そらつひめ)命のことか、記されなかった妹が居たのか。 一説に豊玉姫命とも。豐玉姫は海神の娘にして山幸彦の嫁。子を産む時に龍(古事記では八尋和邇)に為り、正体を見られたので海に帰ったという。しかし当社は有明海から距離があり、地形が変わったにしても、海神も山幸彦も祀らない。 古くは社殿もなく、川そのものを拝んだとも。 肥前國風土記に曰く。 「此の川上に石神有り、名を曰く世田姫。海神(鰐魚を謂ふ)年常に流を逆り潜り上りて此の神の所へ到る。海底の小魚、多に之に相従へり。或る人、其の魚を畏むは殃無く、或る人、捕り食らふは死す有り。凡そ此の魚、二三日を経て還り海に入る。」 風土記ではトヨタマヒメならぬヨタヒメで石神。ワニは本体ではない。ワニと書いてあるが、この魚はナマズとされ、今でもこの地域では鯰を食べないという。しかし風土記の記述からは回游魚のような? 「殃」は「まが」「わざわい」と読む。死して河原に打ち上げられた鮭鱒の類を拾い食いでもしたならば、中には酷いワザワイに遭った人も有ろう。主に腹痛とか。 では世田姫とは何者か。これ以上の記事は見当たらない。景行紀に、日本武尊が熊襲國に川上梟帥(かわかみたける)を滅ぼした話がある。これと同じ川上だとすると、逆賊の一味と見なされ正史から消され、地元にのみ残ったのであろう。……それにしては、佐賀県内に淀姫社が散在するのは何故だろう?
三文詩人

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1400年以上の歴史を持つお社です。別名河上神社、地元の方々からは「淀姫さん」と呼ばれ親しまれています。創建は欽明天皇25年(564年)。主祭神は與止日女命(よどひめのみこと)。與止日女命は応神天皇の叔母(すなわち神功皇后の妹)とされていますが、一説には豊玉姫命(神武天皇の祖母)とも伝えられています。式内社であり旧社格は県社、現在は佐賀県神社庁に属しています。神階は貞観2年(860年)に従五位上に、貞観15年(873年)に正五位下となり延喜の制小社に列して国幣を賜る。後、二条天皇慶保の頃(1161年)に肥前国一宮とされ弘長元年(1261年)に正一位となる。肥前国一宮の名称に付いては千栗八幡宮も一宮を主張しており、約60年にわたり紛争が起きています。後陽成天皇が慶長7年(1602年)に「大日本国鎮西肥前州大一之鎮守宗廟河上山正一位淀姫大明神一宮」の勅額を下したとされます。後陽成天皇は千栗八幡宮へ慶長14年(1609年)に「肥前国宗廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を授けたとされています。この辺りが紛争の種になっているのでしょうね。どちらが正しいのか、或いはどちらも正しいのかは解りません。境内は嘉瀬川沿いにあります。明るく開放的な雰囲気で親しみやすく感じます。社殿は正面五間側面三間、入り母屋造り、平入り唐破風付の拝殿、正面一間、側面五間の幣殿、正面五間、側面四間の流れ造の本殿という構成になっています。本殿屋根には3本の鰹木と外削ぎの千木があります。境内の直ぐ先に数十台止められる駐車場があります。御朱印は¥300-の初穂料で頂く事が出来ます。また訪れたいと思うお社でした。
Akira Nishi

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