與止日女神社です。 駐車場🅿有り広い トイレ🚻有り身障者用有り 車椅子♿大丈夫です🐈
肥前國一宮
御祭神 與止日女(よどひめ)神社由緒に
豊玉姫、または神功皇后の妹、と書かれています。 これは仮説で
一つが河上タケルの親族説と もう一つが神功皇后が豊国から国を奪還した際により強い守り神として豊玉姫と神功皇后と河上一族の女神を合祀させた説です。
與止日女とは まずは豊玉姫説。九州北部に與止日女や淀姫を祀る神社が存在していることと山幸海幸伝承の豊玉姫から推測されています。
次に神功皇后妹説は。長崎県松浦市にある淀姫神社に豊玉姫と別に淀姫が祀られていることから豊玉姫説は違うのではという説からです。この仮説は江戸時代からです。
仮説①の河上タケルの親族説。この與止日女神社はむかし肥前国川上村にある河上神社と申しておりましたが名前を與止日女神社に変えておられます。 逆賊、河上タケルは日本武尊に倒されます。この日本武尊の英雄談は、この土地が川上だからという単純な考察ではなく日本武尊がこの佐賀市大和町で河上タケルを倒したという伝承が存在してます。ついでに河上タケルのお墓もすぐ近くに存在しています。 與止日女はその河上タケルの妹なのか、姉なのか妻なのか
歴史は勝者の話として継がれていきます。河上タケルは逆賊なんだろうか?
事実、與止日女神社の本殿千木は男神なので 川上神社は元々、河上タケルを祀っていたのではという。そして與止日女は河上タケルの親族なのでは説です。
仮説②豊国から神功皇后が取り返した説 これは当初火の国が王朝としてありました スサノオ系統です。そこに天氏が入って来て 初代天照大御神のニギハヤヒ率いる豊国に滅ぼされます。それからずっとあとに 火の国と同族の神功皇后が火の国を奪還したときこの地を護る神を合祀しより強くして祀りたい。 豊玉姫+神功皇后+豊姫=與止日女 これが與止日女なのでは? これが期待値高そうですね いずれにせよ謎です🐈
與止日女はこれでいいとして 河上神社には またおもしろいお話がありまして
與止日女神社は河上神社といい この河上神社から祭神を勧請した神社が 数社あります。その一つ和歌山にある 川上神社物語から 「河内の国野村の郷に住んでいた、野村久太夫好久」が、戦国時代、難を避けて、家族五人を連れて秋津の里に流れ住んだことが記され、「氏神さまが無ければ、心細いので、遠く、佐賀県佐賀郡川上村に祀られてあった、河上神社から分霊をいただいて、川中口にお祀りしたのが川上神社の始まり」と記されています。この分霊に瀬織津姫の名が記され、「瀬織津姫とは清らかな川の流れをききながら、毎日織物をつづけておられる尊いお姿の姫さまが想像されましょう」と、織姫としての瀬織津姫神が語られます。とあります。
このお話から與止日女神社は瀬織津姫を祀っていたという貴重な伝承です🐈昭和56年に河内、和歌山の川上神社の総代が元宮(與止日女神社)に挨拶に行かれたとき與止日女神社の宮司さんは当社は神功皇后の妹君さまをお祀りしておりますと瀬織津姫を否定されてます。🐈 瀬織津姫神の本地仏の一つとして十一面観音がみられますが、円空という僧が消されつつある瀬織津姫信仰を仏に変え護ったことは有名な話です。🐈
與止日女神社は河上一族を祀る神社と言えます。その河上一族が祀ってたのが瀬織津姫です。
北山ダムを越えて北上すると上無津呂にある淀姫神社には十一面観音があります。この十一面観音は神道でいうところの瀬織津姫。 與止日女と別に石神様を祀る神社が近くにあります。名前を世田姫。 河上一族を祀ると同時にこのお姫様を本当の祭神としているのが與止日女神社と考えます。世田姫は瀬織津姫かもしれません。
河上一族は名前を河上から大神、大賀、大家と支流を残し瀬織津姫を祭祀しています。
瀬織津姫を回る方はここが瀬織津姫信仰の始り(現段階の資料では與止日女神社上宮が1番古いことから)ですので是非行かれてください。 ここというよりはすぐ近くの石神様なので、登山が必要になりますが、まだまだ探求は続きそうですね🐈
是非行かれてください🐈 ...
Read moreThe ideal time to visit this shrine is late April/early May around Children’s Day. At that time, koi streamers are displayed across the river. It makes for excellent photos and is a worthwhile stop along a very scenic drive. In February/March the plum blossoms are also...
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