第34代天皇舒明天皇の陵墓。公式形式は上円下方。考古学名は「段ノ塚古墳」で、下方部は一辺約105メートルを測り、上円部の基礎は実際には八角形をなす上八角下方墳とされる。忍坂の集落を抜けるように谷筋を登りつめると外鎌山の枝稜線末端あたりにあります。広い駐車場あり。たまたま宮内庁の管理人がいたのでトイレを借りました。聖徳太子の子供、山背大兄皇子と皇位を争うが蘇我蝦夷の力により即位。そのため政治の実権は蘇我蝦夷にあ...
Read more神武東征の伝説が多く残る忍坂の古道の奥に荘厳な雰囲気を醸し出している。春の季節にはウグイスの声を聴きながら里の景色を眺めるのは最高だ。それにしても山に囲まれ南が開けて終の棲家の理想形かも。 古代天皇陵の被葬者の信憑性の不確かさが多い中で舒明天皇はほぼ間違いないという説が多い。陵形は下が方形で上部は八角形らしい。舒明天皇の頃から天皇陵墓は八角墳...
Read more上円部直径約40mの上円下方墳(あるいは上部は八角墳)、築造時期は古墳時代後期と推定。 宮内庁により第34代舒明天皇の陵に治定されている。
なお、上円下方墳は方墳の上に円墳を乗せた形状の古墳。
とはいっても、外からは古墳の形なんてよ...
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