ボランティアで草刈りをされていらっしゃる団体の皆様の手が追い付いておらず、雑草が生い茂っている部分が多く見られます。 長期間倒れたまま放置されている桜の木もあります。 立木を伐採されたあとにコマ切りにした丸太が放置されていたり、竹を伐採した時の切り株が地面から飛び出していたり、太い茎の雑草を刈った時の茎が地面から飛び出していたりして、曲輪を散策する際は、足元に十分に注意を払う必要があります。 スコップ、レーキ、鎌が草藪の中に放置されていて、草刈機の刃を傷めましたので、放置された障害物にも注意する必要があります。 雑草は長い状態のまま刈り倒されて放置されて土に還っておらず、その部分から草が伸びてしまっており、この部分の草を刈る際は手間を要します。 草を刈ったあとの通路に、通路際の雑草や笹が長い状態のまま刈り倒されて放置されていたりと、全体的に手入れが追いついていないように感じます。 木の大量伐採によって、雨季に土砂災害が発生しないか心配です。 2024年12月、木や竹の大量伐採の影響であるのかは分かりませんが、イノシシではないかと推測していますが、竹の根が埋まっている地面を掘り荒らされ、地面は凸凹と化し、手を付けられない状態になってしまいました。 このような事が発生したのは初めてで、木や竹の大量伐採によって、野生動物のエサが減ってしまった可能性も考えられます。 城山で作業や散策をする場合は、野生動物にも注意する必要があります。 2025年3月、曲輪内の通路にペットボトルが地面に突き刺さった状態で捨てられていました。 別の場所では、休憩用の椅子として使用されていた細切りされた丸太が、何者かによって粉砕されて散乱しており、木の枝と、休憩用の椅子の上に置かれていたレーキの棒も散乱し、上記のペットボトルのキャップと思われる赤いキャッ...
Read more別名、牛山城・牟田口城。 牛屎氏(ねばり)の所領で 保元の乱の軍功により牛屎院と祁答院を与えられ、平保元3年(1158)薩摩守信基の4男、薩摩四郎元衡が下向し大口城(牛山城)を治所とした。 その後、菱刈氏持ち城であったが永禄12年(1569)島津氏に敗れ、大口城は島津の外城となった。 大口城攻めで活躍した新納忠元は大口の地頭を務めた。
2022訪城ですが大口小門前に御仮屋跡、大口城の木柱があり、雑草を山手に上がると大手口、本丸...
Read more2025、10、26(日)運動会に行った際にたまたま振り返ったら目にとまりました👀 ここにお城があったんやあと思いながらちょい探索しました🚶上った所に展望台が有ると聞き❗️行こうと思いましたが草の生え方やばし😲しかもニュースで蜂に集団で刺されたと観たばかりだったので断念しました😞💨 自宅に帰って🚌大口...
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