黒瀬城は伊予南部宇和地域を支配していた西園寺氏最後の本城である。隣接している岡城と一体運用されていたと思われる。黒瀬城は標高340mの黒瀬山尾根に築かれている。麓からの比高は約140mで宇和運動公園から登ることができる。車では未舗装の林道となるが、岡城直下の位置まで登ることが可能である。
黒瀬城は最上部に土塁、横堀で守られた広い主郭を持ちそこから段郭が尾根先端まで続いている。先端部の郭には東屋が建つ。二郭には井戸跡が残る。堀切、虎口も確認できる。 全体的に見学に苦労はしないが、整備はそこそこである。隣接の岡城はほぼ未整備である。
西園寺氏は黒瀬城を1550年頃に築き、近隣の松葉城から本城を移した。しかし、土佐の長宗我部氏の圧力をうけ1584年に降伏。豊臣秀吉の四国攻め後は戸田氏の支配かとな...
Read more黒瀬城跡 標高340mの黒瀬山に築かれている。城跡は宇和運動公園北西にあり、鉄塔の建つ主郭から東へ伸びた尾根に曲輪が並んでいます。 登山口から約40分程度の周遊コースで見学ができます。 【歴史】 天文年間頃に西園寺実充によって築かれた。天正12年(1584年)実充の跡を継いだ西園寺公広のとき長宗我部氏に降伏。公広は豊臣秀吉による四国征伐の後に宇和地方の領主として大洲城へ入った戸田勝隆によって下城を命ぜられ、翌年謀殺された。 【アクセス】 宇和運動公園から登山口があり案内板が設置されています。運動公園には駐車場があるので利用すると良い。 #お城 #城 #城跡 #山城...
Read more運動公園駐車場を利用できます。最寄りからは5分もかからず登城口に着きます。 この登城口からは城跡東側と西側の岡城との間に出る登城路が有ります。東側から登り一周してきました。
城跡は東西に長い連郭式の城跡です。よく整備されており、東側の竪堀がよく見れました。3の曲輪が細長く、南北に土塁横堀が設定されていました。 2の曲輪は狭くすぐ本丸になります。
本丸北側の帯曲輪というか土塁空堀は見事で、北側一帯に残ります。本丸の切り岸には石積みが見られます。南側に細長い曲輪が見られます。
西側に少し降ると堀切の看板があり、岡城方面と運動公園...
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