江戸幕府は 嘉永7年の「日米和親条約」によって 鎖国に終止符を打ち
北方の緊張が続いていたため ロシアの南下政策を警戒した幕府が 松前藩や東北諸藩に蝦夷地の分割警備を命じ 各藩は計24カ所の陣屋を築いて 沿岸の警備にあたった
仙台藩は 白老から襟裳岬を経て 国後島・択捉島までの東蝦夷地を守備範囲とし 安政3年に陣屋を白老に築いた
明治維新によって時代が変わり 慶応4年・明治元年に戊辰戦争が勃発すると 官軍が白老陣屋を攻撃する危険性が高まったため 藩士は白老を離れて仙台に引揚げ 陣屋は12年の歴史に幕を閉じた -modified from...
Read more「むかし白老にお城があった!」で始まるガイダンスビデオをいの一番に見よう。細々と展示説明を読むより歴史の流れがストレートに解ります。 東北飢饉により仙台藩が財政難の折に幕府より命ぜられ、ここ白老・洞爺を起点に遠く北東の択捉島迄の太平洋沿いの北海道沿岸をロシアからの脅威から警備するべく派遣入植させられた仙台藩士らの開拓の苦労と、その後すぐ数年後に戊辰戦争の為にこの地を捨てて仙台へ逃げ帰る事となった苦労の物語の博物館。ストーリーに思いを馳せば結構感動ものです。 よく此れだけの史実が掘り起こせたと驚く。それもひとえに入植した仙台藩士達はアイヌと融和して食糧の融通・医療の提供・生活の知恵の交換などで地元に史実が残ったと考えられる。 職員の方も親切でいろいろな素人なりの疑問にもフランク...
Read more仙台藩白老元陣屋(せんだいはんしらおいもとじんや)は、北海道白老郡白老町陣屋町にある国指定の史跡で、幕末期にロシアの南下政策を警戒した幕府が松前藩および東北諸藩に蝦夷地の分割警備を命じ、そのうちの仙台伊達藩は白老から襟裳岬を経て遠く国後、択捉両島までの太平洋側東蝦夷地の警備を命じられました。 このために仙台藩は白老の地に元陣屋を築くことを計画し、根室、国後、択捉にも陣屋の計画をします。 元陣屋の場所は西に白老川、東にウトカンベツ川が流れる両川に挟まれた地にあり、1856年(安政3年)に完成しました。
元陣屋は面積が約66,000...
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