幻の寺、建穂寺。住職も無く、現在は物置小屋の用な建物を建穂の町内会が頑張って保存しているこの寺。実は開山が白鳳年間というから大化の改新の直後くらいの古刹で、特に江戸時代には徳川の庇護を受け大変栄えたお寺だったのです。現在建穂神社がある場所にかつては壮大な寺院があり、参道は桜並木で、その両脇にはいくつもの宿坊が立ち並び、日本各地から僧侶が修行に集まるという今では考えられないスケールの寺だったそうです。駿府に隠居された家康公が建穂寺を訪れた際に見た稚児舞を大変気に入られ、舞装束や楽器等を寄付したほか崇敬厚い浅間神社に舞を奉納するよう熱望された為、毎年建穂まで安倍川を渡って輿の迎えが来て稚児達が浅間神社で舞を奉納するようになった。これが静岡まつりの元で、今も浅間神社の廿日会祭稚児舞として伝承されています。栄華を誇った建穂寺ですが明治になり徳川の庇護を失った上神仏分離の政策により衰退し、やけになり酒浸りになった僧の失火により明治3年ほとんどの建物を焼失してしまい、まさに幻となってしまいました。火災の際に建穂の村人が命がけで運び出した大小の仏像六十数体が再建された小さな観音堂に町内会の手により今も保存されています。貴重な仏像の数々は事前に町内会に連絡すれば担当者の説明付きでいつでも観る事が出来ます。御朱印も頂けますよ。年に一度8月の初めに御本尊の千手観音像の御開帳があります。それにしてもこれ程のお宝が一町内会の管理とは‥‥‥。もうちょっと県や国でなんとか...
Read more説明書より ーーー 建穂寺(瑞祥山建穂寺)
建穂寺は、白鳳年間(六五四〜六六九年)に道昭法師によって開基された真言宗の古寺である。
奈良時代に僧行基が聖武天皇の病気快復を願って掘った観世音菩薩を納めた寺として知られている。
その後鎌倉時代以後、久能寺と共に駿河文化の中心として大いに栄え、今川氏の時代や江戸時代には、保護が厚く、徳川家康から四八〇石の朱印を受けたといわれている。
しかし、かくも栄えた当寺も明治維新により徳川氏の保護を失うとともに、明治政府による神仏分離の宗教政策などにより多くの院坊も壊され、跡だけが残っている。
また、明治三年の火災により、ほとんどが消失してしまい、現在は再建された観音堂に納められている多くの仏像によって往時を偲ぶのみである。
四月一日から始まる浅間神社の廿日会祭に奉納されている稚児舞は古くから建穂寺の舞として伝えられているもので、家康が駿府在城の頃、建穂寺に参拝した折、稚児舞を見て大変気に入り、崇敬厚い浅間神社へ奉納するようにと言われたことから始まり、今日まで伝承されている。 ...
Read more素晴らしいの一言です。静岡浅間神社境内の静岡市文化財資料館で、幻の建穂寺展を観て知りました。 それもあり、現地にも行きましたが、駐車場所すら探すのもままならず、小さなお堂の中で、地元住民が仏像を守っています。お堂の中は、窓からでしか見えません。 所有権もあるのでしょうが、なぜ静岡市はこんな貴重な文化財保護を更に支援して、一帯の整備をしないのでしょうか。かつて駿河屈指の大寺とされ、駿河文化の中心だった寺です。静岡市はこういった文化財、観光資源、歴史を軽視しているから衰退しているのではないでしょうか?仏像達の目が、訴えかけているように思えました。 今もクラウドファンディングや自腹で守り続けている地元住民の方々には、感...
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