懐かしい場所です。 子どもたちが小学生だった25年前には毎年、夏休みは文学講座で分教場、映画村、壺井栄文学館でした。 高松から草壁港へフェリーで渡るとマイクロバスが迎えに来てくれていました。
当時、館長だった佐々木正夫さんにはお世話になりました。 文学館にいらした綺麗なお姉さんにもお世話になりました。
最後に寄ったのは、10年数年前になります。国交省の港湾のライター仕事で写真を撮りに行きました。 壺井栄の原稿、資料、愛用品などが展示されています。戦争で大変だった時代を描いた女性作家ですね。尊敬します。
壺井栄が大好きだった言葉、 「桃栗三年、柿八年、柚の大馬鹿十八年」が書かれたペーパーウエイトは、今も卓上に飾っています。 文学講座のお土産でした。
夏が来たら、壺井栄文学館と映画村を思い出します。 コロナ禍が収束したら、小豆島に足を運んでみます。 いつまでも残して、伝えていきた...
Read more栄、繁治のカミさん、繁治はProletarierだな戦前は、赤や共産党や何度も投獄された詩人!栄もカミさんになって繁治に影響されてProletarierよりになったんだな。でもよ繁治は転向したんじゃねえが敗戦後は突然民主主義になっちまったんでな若手から余りの激変を非難されたんだ。だかな小林多喜二全集の編集委員なんかもやってたから、強ち変わったわけでもねえと思うがな。 栄は繁治のカミさんになってから稲子や芙美子、たい子、百合子なんかと付き合うようになって見様見真似でなんか書くようになったんだ。それを繁治や他のみんなの機関紙や同人誌に載せてもらって物書きの道に入って行ったんだ。 まあ、静かな館内で色々な資料見たりして、繁治や栄の事に興味を抱いたら少し...
Read more壺井栄さんの生原稿や資料が沢山有りました。 昨年生誕120年だったのですね。 いまだに作品が色褪せず 生き生きしているのは 私達が何処かで置いてきてしまった物が作品の中にちりばめられているからなのでしょうか?
壺井栄文楽館便りと言うのを27号 28号 いただいて、旅から 帰って来てから読みました。 素敵な冊子ですね。 エッセイを読みながら...
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