小さめですが冒険出来る山城、畝状竪堀を敵兵気分でチャレンジ出来ます、靴はトレッキング系じゃないと滑ります、ストックも推奨
分かりにくい曲り角を大通りから曲がると細い舗装林道です 城跡の中まで車で行けます、と言うか大通り横の駐車スペースから歩いたら距離も標高差もハンパないです 元気者以外は上まで車で行きましょう、道は狭いので注意です 二ノ丸、三ノ丸が終点です、駐車場としての区画は無いのですが、皆が上手く停めれば10台近くスペースはあります 目の前にトイレ、ですがボットン紙ありです
まず二ノ丸を一周したら本丸方面へ向かいます、すぐに分かれ道があり左側が大手?っぽいですが、城攻め派は右側に行きましょう 急坂を登ると右斜面には畝状竪堀です、畝は小さめですが数は多いです そこからは本丸へ登ります、石碑と眺望、周囲を一周したら奥の西の丸へ降りて行きます、急坂で滑りますので注意です、隘路を抜けて西の丸です、虎口に石垣が残ってます 乱積み?と言うより乱雑積みですが歴史感はありました 西の丸でも眺望を見て、さらに奥の蔵屋敷へ向かいます ここが終点で戻りますが、私は戻り道を左にある細道で山腹トラバースして畝状竪堀の下まで歩きました そして敵兵気分で畝堀を登りました 矢が飛んで来なくても結構ハードでしたが楽しかったです そして再度すぐ上の本丸に登り鳥居がある大手?の階段で戻りました 所要時間1時間弱、お疲れ様でした
余談ですが私などの神奈川県民は北条派だけ?ですが山口県民は毛利派、大内派、陶派などがいますよね 現代の城攻め派の...
Read more若山城(わかやまじょう)は、周防国都濃郡富田(現山口県周南市)にあった日本の城(山城)。守護大名大内氏の親族であり歴代その重臣でもあった陶氏の本城である。県指定文化財。
連郭式の中世山城で、若山山頂(標高217メートル)の本丸を中心として、東側に伸びる尾根に二の丸と三の丸、西側に伸びる尾根には西の丸と蔵屋敷が配されていた。これらの連郭部分は差し渡し約400m。各所に空堀・竪堀があり、特に本丸の北東側には畝状竪堀の跡が多数現存する。西の丸の一部には石垣も見られる。山陽道や瀬戸内海を望む交通の要衝に位置しており、海からの攻撃を防ぐため、二の丸から本丸に連なる部分や東側の尾根などに壇床と呼ばれる段々状の曲輪がある。
弘治3年(1557年)、陶長房亡き後は陶氏の遺臣が若山城を守っていたが、毛利方の降伏勧告に応じたため長屋小次郎を城番とし城兵200余人でこれを守備した。そこに山口方面より陶方の兵2000余人が押し寄せ、降伏した遺臣もこれに呼応し城内に火を放ったため落城となった。その後、大内氏を滅ぼして防長二州を制圧した毛利氏により廃城とされた。
昭和48年(1973年)、南陽町(新南陽市の旧名)が登山道を設置。昭和62年(1987年)に山口県の指定文化財となった。平成3年(1991年)頃より地元有志(現・陶の道を発展させる会)が中心となり城跡・登城道の整備、イベントの開催、NHK大河ドラマの誘致運動などを行った。平成22年(2010年)に築城540年記念事業として石碑建立や...
Read more・なんのお城? 本城跡は周防大内氏の重臣であった陶氏の城です。陶氏といえば天文20年(1551)に主君大内義隆を自刃に追い込んだ大寧寺の変の首謀者である陶晴賢が有名だと思います。晴賢はこのお城で挙兵し、主君義隆のいる山口を目指しました。 ・見どころ とても眺めが良いです。徳山湾や街道を一望できるので、今も昔も、この場所は海上と陸上の交通の要所であることがよくわかります。ただ、本城は毛利氏の侵攻後、新たにこの地を支配した毛利氏によって廃城にされているため、石垣などごく一部の遺構を除いて、ほとんど残っていません。逆に言えば、山口市の高嶺城のように毛利氏によって手を加えられていないので、中世城郭の特徴が丸々残っていると考えれば、貴重な場所とも言えるでしょう。 ・アクセス 二の丸・三の丸のあった場所付近に広場があり、そこまでは車で登ることもできます。ただ、地元の人たちがウォーキングや散歩をしているので車で行く際は気を付けましょう。 周辺はよく整備されており、草刈や木々の伐採などよく手入れが行き届いています。また、使ったことはありませんが小さいトイレも設置されています。広場から主郭まではそう遠くありませんが、傾斜がきついので、脚が悪い人は気を付けましょう。また、滑りやすい場所もあるので靴も丈夫なものを履くなど注意...
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