和田大仏及び横穴墳群@須賀川市
中世ぐらいまで、福島県の白河には「白河の関」というものが存在し、これより先を「みちのく(道の奥)」と呼んでいた。
福島の古い街道も、白河より先は「会津」に続いていたりして、今で言う新幹線のルートとはまるで違うものがあって、そこには古い時代からの権力者が、そこを競って支配下に置こうとしていた様子も窺える。
手前に置かれた看板の説明書きが以下
「この大仏は、横穴古墳群が築造されていた屋面に座り込まれた鎌倉時代の磨屋仏で、高さ約三・六メートルの大日如来(一説には阿弥陀如来坐像です。 伝説によると大仏は、大同三年(八0八)、弘法大師が諸国 行間のときに、この産面に三鉢(株の形をして高端にわん曲して分はした三本の形がついた金額製の仏具)をもって彫ったと伝えられています。 現在、大仏の乳部がえくられていますが、昔、乳不定の婦女子が大仏の乳部を削って飲むと母乳の出がよくなるとの信仰からで、当時、人々の生活に密接なかかわりをもっていたことがうかがわれます。 この付江一帯は、古場時代、石音の国の中心地であったらしくたくさんの古墳が点在しており、大仏の彫られた虚面にも数十基の横穴古墳が築造されています。これらは、阿武限川流域を中心に支配していた家族の墓跡と考えられています」 とのこと。
伝承的には平安時代の弘法大師(空海)の時代まで遡る。 一方、建造された時代は鎌倉期ともされている。
「弘法大師」がもたらした伝説をゆかりとする遺跡は福島には多い。 全国的にも多いだろう。
「弘法大師」という存在は、お釈迦様と同じぐらい、日本人の心の歴史の中で「万能の神」のようなオーラを放つ。
「神仏でありながら人間(衆生)」
時の権力者や、それ以降の民間信仰的に「弘法大師」という存在が、いかに大きな力を持っていたかも感じ取れる。
しかし、そういう日本全国的な仏教伝来と伝播を抜きの摩崖仏を作る以前に、岩を穿つ古墳文化があったことも興味深い。 阿武隈川と阿武隈山系に残る古くからの文化も本で読んだことがある。
物理的とか地理的に、この地は豊かであったろうし、そこから続く街道にある地は、同じくやはり古くからの豊穣な要所であったことを理解する。
指定史跡 和田大私及 横穴古墳群 指定年月日 昭和四十四年五月三十日 所在地 須賀川市夫字和田学大私 所有者和田区
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Read more40年くらい前に来たことがあります。 その頃は、すごく大きく感じましたが今見てもやはり大きいですね。 その頃にはすでに胸の部分、台座の一部は崩れていましたが 当時と今はほとんど変わっていない気がします。 数百年以上も前からあるもの なにか感じられるものがあります。 入り口付近にある大木もやはり同じものを感じます。 I came here about 40 years ago. At that time, I felt it was very big, but even now it's still big. By that time, the chest and part of the pedestal had already collapsed. I feel that it hasn't changed much since then. Things that have been around for hundreds of years There is something I can feel. The big tree near the entrance also...
Read moreキシキシと揺らぐ杉木立の中で悠々と鎮座する鎌倉時代の石の大仏様、砂岩らしくだいぶ風化が進んでます。 舟形の光背も描かれ、三尊仏のようなので阿弥陀三尊でしょうか?直ぐ右の大仏に似た小さな仏様はキリークの梵字が刻まれた阿弥陀様でした。 ご利益を願った胸と膝の抉れの他、無数の盃状穴が見られ、信仰の厚さが伺えます。
手前におわすお地蔵さんも江戸時代の作、どなたかの投稿にあった「生首」は持ち上げると軽石のようで、頭部に雨筋と思われる縦筋が幾筋も見られ、どこそこの石仏が崩れ、頭部だけを大仏様の傍らに奉納したのではないでしょうか?ちょっと見、ユニークな顔立ちで、土偶面みたいなお顔ですね!
横穴墓は大仏様周辺の他、50メートルほど先にも幾つか残っています。 また、この大仏のお山には、中世二階堂氏の重鎮、須田氏の居城もあり、幾多の歴史を重ねてきた場所でもあり、厳かな風を感じます。
駐車場はありませんので、高架下の橋脚付近...
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