アイヌ語「ペニㇰケウ/熊の頸椎、背骨の上方orペレケ・イ/破れたる処」 義経・弁慶一行がこの地で常陸坊海尊の到着を待っていたため、この名が付いた
📖想望 同志を待ちわびる弁慶の心、ここに宿る。奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡り、この地に滞在していた。弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日毎日、この岬の先端に立って海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることはできなかった。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬のことを、弁慶が同志を待ちわびていた岬ということから、いつしか弁慶岬と呼ぶようになった
📖弁慶土俵 昔、糠森そのものが弁慶の土俵だった。土俵づくりに使った糠の残りが岩となって出来た。土俵の大きさは幅20m、周囲に30cmの土盛りがされており、あたりには4本の柱の跡、弁慶が履いていた大きな下駄の足跡、上方には義経が座った物見台もあった。力自慢の弁慶は、相撲の相手を手加減せず、勢いあまって投げ飛ばされた人は、崖下に転げ落ち、鼻血で岩を赤く染めた。近くの岩が"赤岩"と呼ばれているのはそのため。向うところ敵なしの弁慶も、義経を相手に相撲した時だけは、尻もちをついて負けた
📖弁慶岬二つ森 弁慶岬の横に並ぶ小高いふたつの丘(二つ森)。長期滞在をしていた弁慶がいよいよ腰を上げ、旅立つ日がやってきた。お世話になった地元の人たちと別れを惜しむ最後の宴席でのこと。弁慶は、秘蔵の金の銚子と金の盃を取り出して、二つ森と糠森の間にある白桔梗の根元にそっと埋めた。必ず生まれ変わって二つ森に戻ることを約束、さらに「これを掘り出す者は、天罰が下るだろう」と言い残して雷電岬...
Read moreI stopped here on a day trip scenic drive from Niseko. Thoroughly enjoyed watching the locals fish on the rocks below. A great place to meditate whole taking in the...
Read more弁慶岬灯台は、北海道寿都郡寿都町政泊町弁慶に位置する歴史ある灯台です。1890年(明治23年)12月1日に初点灯し、1952年(昭和27年)にコンクリート製に改築されました。 塗色・構造:白地に赤い横帯が施された円形の塔で、周囲の自然景観と調和しています。 灯質:8秒ごとに1回白色の閃光を放つ単閃白光で、光達距離は約16.5海里(約31km)です。 塔高・灯高:塔の高さは12.3メートル、灯火の標高は33メートルです。 灯台周辺は「狩場・茂津多道立自然公園」に指定されており、夕日が美しいスポットとしても知られています。 また、武蔵坊弁慶の銅像が立つ弁慶岬が近くにあり、義経・弁慶主従の伝説が伝えられています。 アクセスは国道229号線沿いに位置し、駐車場も整備されています。 灯台周辺は散策路が整備されており、釣りや景観を楽しむことができます。 弁慶岬灯台は、歴史的な価値と自然の美しさを兼ね備えたスポットとして、多くの観...
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