A simple, yet beautiful temple with many authentic, aged wooden structures. Ikarudera's architecture reminded me of Kakurin-Ji in Kakogawa &...
Read more釈迦如来・薬師如来・如意輪観音をご本尊とする天台宗の寺院で山号はない。606年、聖徳太子が推古帝に法華経を講義し、播磨国の水田を賜ったことで、大和の国から移住し、この地を"鵤"と名付け、法隆寺別院を創建したのがはじまりとされ、七堂伽藍と数十の坊庵を誇る大寺院であったが、1541年、播磨に侵入した出雲の尼子氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。その後、龍野城主・赤松政秀・広秀親子、円光院昌仙らの発願で徐々に復興し、併せてこの時期に天台宗へ改宗した。大講堂、聖徳殿前殿、鐘楼、三重塔などはこの頃に再建されたもので、大講堂は1556年の再建で太子町指定有形文化財で、内陣に安置されているご本尊(釈迦如来・薬師如来・如意輪観音)は、毎年2/22・23の太子忌に開帳される秘仏で、国指定重要文化財。三重塔は1565年の再建で国指定重要文化財。建物の修復を計画されているようだ。 23/10/25、西国四十九薬師巡礼でお詣りした。どっしりとした大講堂は美しい姿をしていると思った。静かな雰囲気のお寺だった。境内に石造のペ...
Read more敏達天皇14年(585年)の頃より特に国内に疫病が蔓延した原因は外来種を入国させたのが原因と国津神派の物部守屋が廃仏を主張。
一方、疫病流行の原因そんなの関係があるン?海外文化を積極的に取り入れるべきと仏教擁護派の蘇我馬子や厩戸皇子が遂に用明天皇2年(587年)河内国にて丁未の乱(ていびのらん)が勃発、物部守屋派は敗れ去った。
それからの聖徳太子は仏法を中心に海外文化の良いところを取り入れ官位や憲法を制定したと共に豪族の勢力争いを戒めたと伝わります。
推古天皇14年(606年)、法華経の講義に感銘を受けた推古天皇から聖徳太子が賜ったが此の揖保の地で、斑鳩庄と名付けその中心に建立されたのが斑鳩寺とされ、法隆寺の荘...
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