JR飯田線下市田駅から一の曲輪(本丸)の登り口まで徒歩20分。登り口には駐車場がありません。五の曲輪にある松源寺まで別ルートで徒歩25分。こちらには駐車場があります。
城跡は5つの曲輪とそれを隔てる堀、一の曲輪には土塁が残っています。二の曲輪には竪堀もあるようですが、木々に遮られて良く見えません。5つの堀と曲輪の遺構が良好に残っており、非常に見応えがあります。ここまでの規模で良く見える形で曲輪や堀が残っているのは、全国的にもとても珍しく貴重です。
一の曲輪(本丸)からの眺めは絶景で、天竜川や街が一望できます。山々も綺麗でずっと見ていられます。
徒歩20分ほど離れた場所に高森町歴史民俗資料館があり、松岡城での出土品や松岡氏や井伊亀之丞(井伊直政の父)に関する展示もあります(入館料200円、駐車場あり)。松岡城にはトイレがないので、資料館に寄って展示を見て、トイレを借りてから松岡城へ向かうのがお勧めのルートです。下市田駅から資料館...
Read more松岡本城の先端、郡内を一望できるところにこの標柱がある。松岡城は、下伊那郡内においてその規模も大きく、大変りっぱな城跡である。 東に天竜川のぞみ、 下市田から急峻な段丘となっている本丸跡は、標高560メートルの高さにあり、東西に、間ヶ沢と銚子ヶ洞と言う自然の堀に囲まれている。新井に近い西の惣構 (そうがまえ)は現在松源寺があるが、それぞれの郭(くるわ) 間には、深い堀跡もあり、土塁(どるい) も築かれている。松岡氏は、牛牧の次郎城をはじめとして、下伊那北部に12 余りの支城を持ち、天正11年(1583)頃は松岡80騎といわれる程の勢力を持っていたが、天正16年(1588) 14代貞利の代に、徳川氏によって改易になったと伝えられている。 松岡城は、本城の隣りに南城もあり、現在は高森町文化財となっている。(林...
Read more松岡城は天竜川左岸の台地上に築かれている。一直線に伸びる台地を堀切で区切った連郭式の5つの郭で構成されている。 各郭は規模が大きく、かなりの面積を持つ。空堀の規模も幅、深さともに大きく状態良く残っている。また要所に竪堀や側面部には横堀も掘られている。 谷を挟んで南側に支城の松岡南城がある。
松岡城は国人の松岡氏の城であった。松岡城は武田信玄の伊那侵攻で落城し、松岡氏は武田氏に従った。信長の信濃侵攻後は信長に降ったが、本能寺の変後に小笠原氏とともに徳川方の高遠...
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