1200-1300年ほど前の奈良時代に天皇により仏教の普及が推し進められ、全国に七重の塔を含む施設が建設されました。
これだけの大規模な建造物を全国的に作ることができていたという事実だけでも非常に驚きます。 国分寺跡からは墨書土器瓦などが出土することが多いようですが、上野国分寺でも同様に墨書瓦などがたくさん出土していて、実物を資料館で見ることができます。
今では群馬の中心地からも外れた田舎の住宅街という感じの場所に広大な空き地が残されるだけですが、国分寺建立後の時代は国府に歴史に名高い有名人も来たり、これ以前の古墳時代から総社町周辺では群馬エリアを管理してきた人たちの中心的な場所だったのでしょうね。
たった1000年ちょっとで地中から出てくる情報以外は、本当にわずかな記録しかないというのが、石炭石油を手に入れた私たちの現代からは考えられないような、人間の限界を感じて悲しくもあり浪漫も感じます。
数世紀も経って、石油を使い果たしたら、いつかまた律令時代の日本のように植物と石に頼った生活に...
Read more上野国国分寺は、政治の中心であり今の県庁にあたる国府の北西に、僧寺・尼寺がそれぞれ東西に並ぶように建てられました。 歴史書によると旧碓氷郡や旧勢多郡の豪族の協力により、750年頃に主な建物が完成したようです。 全国の国分寺の中でも、最も早い時期に姿が整ったものといえます。 僧寺は東西約220メートル、南北約235メートルの広さをもち、周囲は築垣(土塀)で囲まれていました。その中央には本尊の釈迦像を祭る金堂と高さ60.5メートルもある七重塔が建てられていました。 古い記録や調査から1000年頃には築垣や門は壊れてしまいましたが、金堂などは残っていたことが分かります。 しかし、1380年頃には、それも滅びてしまったようです。その跡は道路などで分断されずに現在までよく残っており、大正15年(1926年)に国の史跡に指定されました。...
Read moreいわずもがなの国指定史跡です。
住宅地の外れにあります。 夏に訪れたので、草が延び放題。一名草刈りの方が炎天下の中で作業されていましたが、この面積じゃあ間に合わなそうでした。
南大門のあたりは築地塀が一部復元されていますが、他所でよくある朱塗りではなく土壁の色そのまま。 また、手入れが今一つなのか、一部が崩れかかっていたり、中の藁が出ていたりしています。 は!まさか、荒廃した末期の様子を復元したのでは? あまりにリアルです。これぞ正しい復元です。
尚、駐車場から南大門の方角から入る際に小川を渡ることになりますが、なかなか珍しいロケーションです。 他の国分寺は平地にバーンであり、このような橋のような気のきいたオプションは雰...
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