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Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) — Attraction in Takatsuki

Name
Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru)
Description
Nearby attractions
Settsukyo Park
Japan, 〒569-1036 Osaka, Takatsuki, 大字原地内ほか
Nearby restaurants
Kitchen Snug
5 Chome-2-1 Tsukawaki, Takatsuki, Osaka 569-1036, Japan
花の里
4 Chome-20-3 Tsukawaki, Takatsuki, Osaka 569-1036, Japan
Nearby hotels
Sansuikan
3-2-2 Hara, Takatsuki, Osaka 569-1051, Japan
Takatsuki Municipal Settsu Gorge youth campground
1 Hara, Takatsuki, Osaka 569-1051, Japan
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Keywords
Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) tourism.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) hotels.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) bed and breakfast. flights to Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru).Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) attractions.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) restaurants.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) travel.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) travel guide.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) travel blog.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) pictures.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) photos.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) travel tips.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) maps.Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru) things to do.
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Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru)
JapanOsaka PrefectureTakatsukiAkutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru)

Basic Info

Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru)

Japan, 〒569-1051 Osaka, Takatsuki, Hara, 大字 大字原
4.1(48)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Outdoor
Scenic
attractions: Settsukyo Park, restaurants: Kitchen Snug, 花の里
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Website
city.takatsuki.osaka.jp

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Reviews

Nearby attractions of Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru)

Settsukyo Park

Settsukyo Park

Settsukyo Park

4.0

(643)

Open until 12:00 AM
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Things to do nearby

Osaka: Private Traditional Ceramics Experience
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Wed, Dec 10 • 1:00 PM
544-0025, Osaka, Osaka, Japan
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Learn tea ceremony in traditional Kyoto townhouse
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Tue, Dec 9 • 10:00 AM
600-8397, Kyoto, Kyoto, Japan
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Off The Beaten Path Osaka Local Bar Crawl
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Tue, Dec 9 • 6:00 PM
530-0034, Osaka, Osaka, Japan
View details

Nearby restaurants of Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru)

Kitchen Snug

花の里

Kitchen Snug

Kitchen Snug

4.3

(99)

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花の里

花の里

3.9

(22)

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Reviews of Akutagawa Castle Ruins (Akutagawa Honmaru)

4.1
(48)
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4.0
2y

枚方市の楠葉から名神高速の大山崎ICから新名神経由で高槻ICから降りて、下道を10分程度走って、コインパーキング「塚脇1丁目24時間駐車場」に到着。40分程でスムーズに移動できました。駐車場自体は広いですが、契約駐車専用スペースがほとんどを占めており、時間貸は5台のみのスペースです。それでもこの日は日曜日でしたが、私の車を入れて2台のスペースが埋まっている程度の利用率でした。1日最大利用料金は600円。30分毎に200円かかります。この日は登山観光の所要時間は2時間程(細かくは、登り30分程、食事休憩50分程、帰り20分程)で駐車料金は600円でした。 駐車場から歩いて5分ほどしたら、介護施設を通り過ぎ、山沿いを右手にまわり、すこし歩くと右側に「三好山へ40分」と記した案内看板が立っているのが確認できます。あとは、所々に手書きも含め丁寧な案内を目印に歩くだけです。所々で道が狭い箇所が存在しますが、勾配は緩やかで軽くハイキングするペースで登っていけると思います。この日も何組かの登山客と出会いましたが、ご高齢の方々も団体客を含め多く見かけました。因みにもう1つ別のコースが存在します。わたしは、山上からの帰りに、「大手石垣」を観るためにこのコースを利用しましたが、登りで利用するには、足元が悪く、勾配はきついので、個人的にはお勧め出来ません。前述のとおり帰りはこちらのコースを利用したのですが、砂利に足をとられて滑って転けそうになりました。帰りであっても足腰に自信がない方や雨で道がぬかるんで悪路の場合は「大手石垣」を観たら山上に引き返して、緩やかなコースから降りた方が安全と思います。 山上からの景色は、この日はよく晴れいたのですが、天気予報で言っていた12月には珍しい黄砂が原因なのか遠くにみえる生駒山はスモックがかかったように霞んでいました。それでも西方面はあべのハルカスから東方面は石清水八幡宮があるあたりだと思いますが、広範囲に見渡せる抜群の鳥瞰がひらけています。戦国時代は西国と京都の間で監視する地としては抜群の場所だったのだろうと感じることができました。勿論、淀川を挟んで飯盛山と向き合っており、京都に入る主要地として三好勢が支配していた構図が容易に想像できました。 頂上の主郭跡はというと、広場のようにひらけていて、丸太を利用した椅子があったりと登山者の方々もめいめいでお弁当を広げたりしてのんびりとした光景でした。主郭跡の西側は摂津峡の方となりますが、川の音は微かに聞こえましたが、川そのものは大分下方にあり視認は出来ません。摂津峡側は何しろ崖の地形なので近寄ると危険です。天然の要害なのがよくわかります。摂津峡そのもの景観は楽しめませんが、山の斜面一面の紅葉の景色は大変綺麗でした。わたしも弁当を食べながら景色を楽しみました。 帰りは、前述したとおり大手石垣を観るため、来た道とは別のコースを利用しました。来た道との分岐点から100mもない距離(感覚です)に石垣があります。個人的には石垣が城跡の中では一番の見どころと思いました。山中によくもこれ程の規模の石垣をつくったものだと突如として現れるその威容さに驚きました。これもあくまでも個人的な感覚ですが、飯盛山城の石垣はまだ保存状態がよいように思いました。一方の茶臼山城の石垣は保存状態は決してよいとは思えませんが、高さがあってスケールがあり、飯盛山城の石垣よりも迫力があると感じました。そのあとは、ひたすら坂道を...

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4.0
1y

大阪府高槻市にある、三好長慶の居城です。

芥川山城は、北・西・南の山裾を芥川がめぐる天然の要害・三好山(標高182・69m)に築かれた戦国時代の山城です。

最大で東西約500m×南北約400mに広がる地域には、最高所に主郭を配し、幾重もの曲輪と土塁・堀切などの防御施設が設けられました。現在でも、城跡を歩くと堅土塁や土橋、虎口、大手道からの大手門の跡の左右の石垣などの遺構を見ることができます。

三好長慶が天文22年(1553)に入城しています。

三好...

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4.0
1y

☆織田信長以前の当時の天下たる畿内の覇者『天下人 三好長慶』の居城‼️ 1553年(天文22年)に摂津守護「細川晴元」を追った三好長慶が入城、三好氏重臣「梟雄...

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山口裕一山口裕一
枚方市の楠葉から名神高速の大山崎ICから新名神経由で高槻ICから降りて、下道を10分程度走って、コインパーキング「塚脇1丁目24時間駐車場」に到着。40分程でスムーズに移動できました。駐車場自体は広いですが、契約駐車専用スペースがほとんどを占めており、時間貸は5台のみのスペースです。それでもこの日は日曜日でしたが、私の車を入れて2台のスペースが埋まっている程度の利用率でした。1日最大利用料金は600円。30分毎に200円かかります。この日は登山観光の所要時間は2時間程(細かくは、登り30分程、食事休憩50分程、帰り20分程)で駐車料金は600円でした。 駐車場から歩いて5分ほどしたら、介護施設を通り過ぎ、山沿いを右手にまわり、すこし歩くと右側に「三好山へ40分」と記した案内看板が立っているのが確認できます。あとは、所々に手書きも含め丁寧な案内を目印に歩くだけです。所々で道が狭い箇所が存在しますが、勾配は緩やかで軽くハイキングするペースで登っていけると思います。この日も何組かの登山客と出会いましたが、ご高齢の方々も団体客を含め多く見かけました。因みにもう1つ別のコースが存在します。わたしは、山上からの帰りに、「大手石垣」を観るためにこのコースを利用しましたが、登りで利用するには、足元が悪く、勾配はきついので、個人的にはお勧め出来ません。前述のとおり帰りはこちらのコースを利用したのですが、砂利に足をとられて滑って転けそうになりました。帰りであっても足腰に自信がない方や雨で道がぬかるんで悪路の場合は「大手石垣」を観たら山上に引き返して、緩やかなコースから降りた方が安全と思います。 山上からの景色は、この日はよく晴れいたのですが、天気予報で言っていた12月には珍しい黄砂が原因なのか遠くにみえる生駒山はスモックがかかったように霞んでいました。それでも西方面はあべのハルカスから東方面は石清水八幡宮があるあたりだと思いますが、広範囲に見渡せる抜群の鳥瞰がひらけています。戦国時代は西国と京都の間で監視する地としては抜群の場所だったのだろうと感じることができました。勿論、淀川を挟んで飯盛山と向き合っており、京都に入る主要地として三好勢が支配していた構図が容易に想像できました。 頂上の主郭跡はというと、広場のようにひらけていて、丸太を利用した椅子があったりと登山者の方々もめいめいでお弁当を広げたりしてのんびりとした光景でした。主郭跡の西側は摂津峡の方となりますが、川の音は微かに聞こえましたが、川そのものは大分下方にあり視認は出来ません。摂津峡側は何しろ崖の地形なので近寄ると危険です。天然の要害なのがよくわかります。摂津峡そのもの景観は楽しめませんが、山の斜面一面の紅葉の景色は大変綺麗でした。わたしも弁当を食べながら景色を楽しみました。 帰りは、前述したとおり大手石垣を観るため、来た道とは別のコースを利用しました。来た道との分岐点から100mもない距離(感覚です)に石垣があります。個人的には石垣が城跡の中では一番の見どころと思いました。山中によくもこれ程の規模の石垣をつくったものだと突如として現れるその威容さに驚きました。これもあくまでも個人的な感覚ですが、飯盛山城の石垣はまだ保存状態がよいように思いました。一方の茶臼山城の石垣は保存状態は決してよいとは思えませんが、高さがあってスケールがあり、飯盛山城の石垣よりも迫力があると感じました。そのあとは、ひたすら坂道をおりて帰路につきました。
居場嘉津治居場嘉津治
大阪府高槻市にある、三好長慶の居城です。 芥川山城は、北・西・南の山裾を芥川がめぐる天然の要害・三好山(標高182・69m)に築かれた戦国時代の山城です。 最大で東西約500m×南北約400mに広がる地域には、最高所に主郭を配し、幾重もの曲輪と土塁・堀切などの防御施設が設けられました。現在でも、城跡を歩くと堅土塁や土橋、虎口、大手道からの大手門の跡の左右の石垣などの遺構を見ることができます。 三好長慶が天文22年(1553)に入城しています。 三好 長慶は、戦国時代の武将で畿内・阿波国の戦国大名でした。室町幕府の摂津国守護代、相伴衆で、細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐(滋賀県朽木)し、三好政権を樹立しました。 三好長慶の勢力範囲は四国から近畿の13カ国に至り、国の数では武田信玄や上杉謙信、そして毛利元就をも上回っています。戦国の雄である織田信長に先んじた最初の「天下人」とも評価されています。 永禄3年(1560)、三好長慶は芥川山城から、飯盛城に拠点を移し、天下人として活躍します。また、飯盛城を堅固な山城にする為、石垣などを多用し、その遺構も随所に残ります。一方、文化人としても評判が高く、連歌や茶の湯にも優れ、飯盛城で開催された連歌会は「飯盛千句」として記録が残ります。また、70余名の武将にキリスト教の洗礼を受ける事を許したというエピソードが残っており、これが「河内キリシタン」の発祥となりました。 1560年に長慶の嫡男の三好義興に芥川城を譲ります。しかし永禄6年(1563年)6月に病に倒れた。父長慶より先にいってしまいました。もし義興がもう少し生きていれば、その後1568年の織田信長の上洛は出来なかったと言われています。曲直瀬道三などが介抱したが、病状は悪化し、芥川山城において死去しました。享年22歳、死因を黄疸と伝えられています。 墓は、高槻駅に近い、霊松寺にあります。 その後は、長慶没後の永禄11年(1568)、将軍・足利義昭を擁して上洛した織田信長の軍勢に三好一族は城を追われ、義昭の重臣・和田惟政が城主となります。惟政が平地の高槻城に移ってからは、高山飛騨守・右近父子が城を預かりますが、やがて芥川山城は廃されました。 1568年衰退する室町幕府を再興すべく織田信長と足利義治は京都を目指します。清水寺、東寺に陣を置き、京にははいらず芥川城に攻め入りました。そして芥川城を制覇した信長は、新たに天下を収める武将の配置を芥川城できめ、天下人として宣言したかったのです。 アクセス:JR高槻駅(北のりば)から、高槻市営バス<塚脇><下の口>行きで、「塚脇」下車。徒歩約30分(坂道、途中から未舗装)。
Toshi AndyToshi Andy
☆織田信長以前の当時の天下たる畿内の覇者『天下人 三好長慶』の居城‼️ 1553年(天文22年)に摂津守護「細川晴元」を追った三好長慶が入城、三好氏重臣「梟雄 松永弾正久秀」も在城、1560年(永禄3年)飯盛城へ、その後も三好政権の居城、1568年(永禄11年)三好氏を追った織田信長と足利義昭が入城と言うことは、三好長慶・松永弾正・足利義昭・織田信長が足を踏み入れた『芥川城跡』本丸から同じ様に河内国を眼下に見下ろした⁉️ ☆標高182.6mの三好山全域が城跡、戦国時代の典型的な「山城」の縄張と遺構が良く残ってます😄 ・東曲輪群側の登城路から入城、直ぐ右手に切岸らしき段差に大きな曲輪あり、真ん中に丸い櫓台のような高台、その先には長方形の溜池、登城路を登りながら周りを見ていると人工的な削平地に堀切が多数。 ・東曲輪群の先に「土橋」と地山を削ったような狭い「虎口」 ・大手道筋の大きな石を組んだ石垣、残念な事に中央部は崩れてます😓 特質すべき点は「石垣を使用する山城」として1576年~1579年築城の安土城より遡る事(同様の例:飯盛城跡、観音寺城跡) ・本丸のある西曲輪群、本丸は下段と上段に分かれ想像以上に結構広い、三好長慶と松永久秀を祀った祠あり、眼下に広がる景色は壮観、風光明媚👀 本丸跡下の桜広場の農園も腰曲輪跡と帯曲輪跡、更に三角形の広場も南側に突き出した出丸跡。 ・真ん中の曲輪群を中心に両翼に東曲輪群と西曲輪群に分かれる縄張、三方を芥川に囲まれ急峻な天然の要害、畿内で戦多き時代、堅固な天下人の大城郭⚔️ ☆トイレはなし、飲料も自動販売機などもなし、事前準備を、標高182.6mと高くはないですが、登城口までは上の口バス停・塚脇バス停からもダラダラ長い登り坂が続くので疲れます、一部足元悪い場所や狭い場所もあり注意必要🚶
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枚方市の楠葉から名神高速の大山崎ICから新名神経由で高槻ICから降りて、下道を10分程度走って、コインパーキング「塚脇1丁目24時間駐車場」に到着。40分程でスムーズに移動できました。駐車場自体は広いですが、契約駐車専用スペースがほとんどを占めており、時間貸は5台のみのスペースです。それでもこの日は日曜日でしたが、私の車を入れて2台のスペースが埋まっている程度の利用率でした。1日最大利用料金は600円。30分毎に200円かかります。この日は登山観光の所要時間は2時間程(細かくは、登り30分程、食事休憩50分程、帰り20分程)で駐車料金は600円でした。 駐車場から歩いて5分ほどしたら、介護施設を通り過ぎ、山沿いを右手にまわり、すこし歩くと右側に「三好山へ40分」と記した案内看板が立っているのが確認できます。あとは、所々に手書きも含め丁寧な案内を目印に歩くだけです。所々で道が狭い箇所が存在しますが、勾配は緩やかで軽くハイキングするペースで登っていけると思います。この日も何組かの登山客と出会いましたが、ご高齢の方々も団体客を含め多く見かけました。因みにもう1つ別のコースが存在します。わたしは、山上からの帰りに、「大手石垣」を観るためにこのコースを利用しましたが、登りで利用するには、足元が悪く、勾配はきついので、個人的にはお勧め出来ません。前述のとおり帰りはこちらのコースを利用したのですが、砂利に足をとられて滑って転けそうになりました。帰りであっても足腰に自信がない方や雨で道がぬかるんで悪路の場合は「大手石垣」を観たら山上に引き返して、緩やかなコースから降りた方が安全と思います。 山上からの景色は、この日はよく晴れいたのですが、天気予報で言っていた12月には珍しい黄砂が原因なのか遠くにみえる生駒山はスモックがかかったように霞んでいました。それでも西方面はあべのハルカスから東方面は石清水八幡宮があるあたりだと思いますが、広範囲に見渡せる抜群の鳥瞰がひらけています。戦国時代は西国と京都の間で監視する地としては抜群の場所だったのだろうと感じることができました。勿論、淀川を挟んで飯盛山と向き合っており、京都に入る主要地として三好勢が支配していた構図が容易に想像できました。 頂上の主郭跡はというと、広場のようにひらけていて、丸太を利用した椅子があったりと登山者の方々もめいめいでお弁当を広げたりしてのんびりとした光景でした。主郭跡の西側は摂津峡の方となりますが、川の音は微かに聞こえましたが、川そのものは大分下方にあり視認は出来ません。摂津峡側は何しろ崖の地形なので近寄ると危険です。天然の要害なのがよくわかります。摂津峡そのもの景観は楽しめませんが、山の斜面一面の紅葉の景色は大変綺麗でした。わたしも弁当を食べながら景色を楽しみました。 帰りは、前述したとおり大手石垣を観るため、来た道とは別のコースを利用しました。来た道との分岐点から100mもない距離(感覚です)に石垣があります。個人的には石垣が城跡の中では一番の見どころと思いました。山中によくもこれ程の規模の石垣をつくったものだと突如として現れるその威容さに驚きました。これもあくまでも個人的な感覚ですが、飯盛山城の石垣はまだ保存状態がよいように思いました。一方の茶臼山城の石垣は保存状態は決してよいとは思えませんが、高さがあってスケールがあり、飯盛山城の石垣よりも迫力があると感じました。そのあとは、ひたすら坂道をおりて帰路につきました。
山口裕一

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大阪府高槻市にある、三好長慶の居城です。 芥川山城は、北・西・南の山裾を芥川がめぐる天然の要害・三好山(標高182・69m)に築かれた戦国時代の山城です。 最大で東西約500m×南北約400mに広がる地域には、最高所に主郭を配し、幾重もの曲輪と土塁・堀切などの防御施設が設けられました。現在でも、城跡を歩くと堅土塁や土橋、虎口、大手道からの大手門の跡の左右の石垣などの遺構を見ることができます。 三好長慶が天文22年(1553)に入城しています。 三好 長慶は、戦国時代の武将で畿内・阿波国の戦国大名でした。室町幕府の摂津国守護代、相伴衆で、細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐(滋賀県朽木)し、三好政権を樹立しました。 三好長慶の勢力範囲は四国から近畿の13カ国に至り、国の数では武田信玄や上杉謙信、そして毛利元就をも上回っています。戦国の雄である織田信長に先んじた最初の「天下人」とも評価されています。 永禄3年(1560)、三好長慶は芥川山城から、飯盛城に拠点を移し、天下人として活躍します。また、飯盛城を堅固な山城にする為、石垣などを多用し、その遺構も随所に残ります。一方、文化人としても評判が高く、連歌や茶の湯にも優れ、飯盛城で開催された連歌会は「飯盛千句」として記録が残ります。また、70余名の武将にキリスト教の洗礼を受ける事を許したというエピソードが残っており、これが「河内キリシタン」の発祥となりました。 1560年に長慶の嫡男の三好義興に芥川城を譲ります。しかし永禄6年(1563年)6月に病に倒れた。父長慶より先にいってしまいました。もし義興がもう少し生きていれば、その後1568年の織田信長の上洛は出来なかったと言われています。曲直瀬道三などが介抱したが、病状は悪化し、芥川山城において死去しました。享年22歳、死因を黄疸と伝えられています。 墓は、高槻駅に近い、霊松寺にあります。 その後は、長慶没後の永禄11年(1568)、将軍・足利義昭を擁して上洛した織田信長の軍勢に三好一族は城を追われ、義昭の重臣・和田惟政が城主となります。惟政が平地の高槻城に移ってからは、高山飛騨守・右近父子が城を預かりますが、やがて芥川山城は廃されました。 1568年衰退する室町幕府を再興すべく織田信長と足利義治は京都を目指します。清水寺、東寺に陣を置き、京にははいらず芥川城に攻め入りました。そして芥川城を制覇した信長は、新たに天下を収める武将の配置を芥川城できめ、天下人として宣言したかったのです。 アクセス:JR高槻駅(北のりば)から、高槻市営バス<塚脇><下の口>行きで、「塚脇」下車。徒歩約30分(坂道、途中から未舗装)。
居場嘉津治

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☆織田信長以前の当時の天下たる畿内の覇者『天下人 三好長慶』の居城‼️ 1553年(天文22年)に摂津守護「細川晴元」を追った三好長慶が入城、三好氏重臣「梟雄 松永弾正久秀」も在城、1560年(永禄3年)飯盛城へ、その後も三好政権の居城、1568年(永禄11年)三好氏を追った織田信長と足利義昭が入城と言うことは、三好長慶・松永弾正・足利義昭・織田信長が足を踏み入れた『芥川城跡』本丸から同じ様に河内国を眼下に見下ろした⁉️ ☆標高182.6mの三好山全域が城跡、戦国時代の典型的な「山城」の縄張と遺構が良く残ってます😄 ・東曲輪群側の登城路から入城、直ぐ右手に切岸らしき段差に大きな曲輪あり、真ん中に丸い櫓台のような高台、その先には長方形の溜池、登城路を登りながら周りを見ていると人工的な削平地に堀切が多数。 ・東曲輪群の先に「土橋」と地山を削ったような狭い「虎口」 ・大手道筋の大きな石を組んだ石垣、残念な事に中央部は崩れてます😓 特質すべき点は「石垣を使用する山城」として1576年~1579年築城の安土城より遡る事(同様の例:飯盛城跡、観音寺城跡) ・本丸のある西曲輪群、本丸は下段と上段に分かれ想像以上に結構広い、三好長慶と松永久秀を祀った祠あり、眼下に広がる景色は壮観、風光明媚👀 本丸跡下の桜広場の農園も腰曲輪跡と帯曲輪跡、更に三角形の広場も南側に突き出した出丸跡。 ・真ん中の曲輪群を中心に両翼に東曲輪群と西曲輪群に分かれる縄張、三方を芥川に囲まれ急峻な天然の要害、畿内で戦多き時代、堅固な天下人の大城郭⚔️ ☆トイレはなし、飲料も自動販売機などもなし、事前準備を、標高182.6mと高くはないですが、登城口までは上の口バス停・塚脇バス停からもダラダラ長い登り坂が続くので疲れます、一部足元悪い場所や狭い場所もあり注意必要🚶
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