近畿三十六不動尊霊場の参拝でお伺いしました。 天台宗系の単立のお寺で南山般若院安岡寺(なんざんはんにゃいんあんこうじ)といいます、不動尊霊場第十二番札所になり御本尊は如意輪観世音菩薩です。 寺伝によれば桓武天皇の兄で光仁天皇の子である開成皇子がこの地に霊験を感じられ自ら観音像を刻み、堂宇を建てて宝亀六年(775年)二月に創建したと伝えられています、南山と号し根本山神峯山寺・北山本山寺と共に北摂三山寺として天台宗に属しています。 開成皇子の弟子である開智が一字一石の大盤若経六百巻を書写して背後の岡(般若塚)に安置したことから安岡寺般若院と呼ばれる、文安年間(1444年~1449年)に天災により堂宇を焼失するが永正年間(1504年~1521年)に僧高誓が再建したという、天正年間(1573年~1592年)には三好氏やキリシタン大名としても有名な髙山右近の兵火により堂宇が焼失しましたが、寛文年間(1661年~1673年)に僧良盛によって復興されました。 江戸時代には徳川将軍家から寄進を受け大日院・藤本坊・阿弥陀院・泉蔵坊の四塔頭を持つ巨殺となったが明治時代の廃仏毀釈により荒廃し現在の規模となってしまった。 本堂には秘仏である「如意輪観世音菩薩像」右脇には男山八幡宮より移された「愛染明王像」左脇には弘法大師作と伝えられる「不動明王像」が祀られています。 高槻でも有名な安岡寺の護摩供は毎年二月一日に行われます、山伏姿の僧が多数の参拝者の眼前で安岡寺の火渡りとして「弘紹不動明王」と呼ばれている境内の石仏の前で執り行います。 境内にある「青梅観音堂」には国の重要文化財に指定されている木造千観世音菩薩坐像が安置されていましたが現在は安岡寺の本堂に客仏として安置されています、平安時代後期の作で元々は盤若塚付近にあった安正寺の御本尊で「青梅観音」の別名がありました、明治三年(1870年)に安正寺が廃寺となったとき阿弥陀堂の片隅で埃をかぶっておられたものを修繕を施そうとしたところ、貴重な仏像であることがわかり京都国立博物館において修理を施されて帰ってきた仏像です、そため安岡寺においては客仏とし...
Read more"あんこうじ"と読む安岡寺は、山号を南山、ご本尊を如意輪観音とする天台宗単立寺院で新西国三十三箇所客番札所になっているほか、近畿三十六不動尊霊場第12番、摂津国三十三箇所第25番札所となっている。この地に霊験を感じた光仁帝の皇子・開成皇子が、自ら如意輪観音像を刻み、775年に堂宇を建てたと伝わり、如意輪観音像は秘仏となっている。1440年代、落雷で焼失し、1520年頃、高誓が再建したほか、戦国期に三好氏や高山右近らの兵火により焼失し、1670年代に良盛が復興した。江戸期には幕府から寄進を受け、四つの塔頭を持つ大寺院となったが、明治初期の廃仏毀釈で現在の規模になった。廃仏毀釈で廃寺となった安正寺のご本尊で国指定重要文化財の十一面千手観音坐像が防火設備を持つ青梅観音堂に安置されている。本堂にはご本尊の厨子の右手には廃仏毀釈で石清水八幡から移された愛染明王、左手には弘法大師御作と伝わる不動明王が祀られている。本堂東側には護摩壇のある広場があり、その奥に"弘く功徳を紹しめる"弘紹不動明王が立っておられる。観音堂には大阪の篤志家・栗田金太郎が寄進したという聖観音像が祀られている。 23/12/22、近畿不動巡礼としてお詣りした。護摩壇のある広場の前か...
Read moreJR高槻駅からバスでバス停浦堂で下車して、道の反対側に安岡寺の案内板があり、その道を進み住宅街の坂道を登って行きます。 ここも急な坂道で、進むと安岡寺の駐車場があります。 その先を進むと山門があり、叶観音堂や開山堂、鐘楼が見えます。 日曜日と祝日のみ開帳される重文の千手観音様は鐘楼の後方にある青梅観音堂の本尊として祀られています。 戸口は開いてますが網付きの格子戸からの拝観ですが、室内は明かりがありそこそこはお姿が拝せます。 堂々とした座像の千手様です。 その隣に授与所と本堂があり、基本御朱印はこちらで三種類いただくことができます。すべて¥500です。 なお、千手観音の絵葉書が100円、大判の写真が500円で販売されています。 もし、授与所がお昼休みまたは不在の場合は、駐車場近くにある住職のご自宅でいただくこともできるようです。 本堂は自由に参拝でき!秘仏のご本尊如意輪観音の御前たち、不動明王、愛染明王を拝せます。 なお、2025年の3月頃に秘仏の如意輪観音様が開帳されるとのお話を対応いただいた女性からお話をいただきました。 最後に本堂の正面、階段を下り...
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