多久聖廟は、JR多久駅の南4.4kmほどの多久市多久町にある孔子廟です。 県道25号線(多久若木線)沿いのファミリーマート佐賀多久南店から南東に1kmほど入り込むとあります(少し分かりにくいです)。駐車場はとても広く整備されていますが、GWの休日でしたがガラガラでした。
多久聖廟は、儒学の祖で学問の神様ともいえる孔子を祀る孔子廟で、多久四代領主の多久茂文が、多久を治めるためには教育が必要だと考え、元禄12年(1699年)に学問所(後の東原庠舎)を建設しました。その講堂に孔子像を安置し、宝永5年(1708年)に椎原山の麓に拝殿を建てました。落成後は共安殿とよばれ、現在の聖廟がこれにあたります。 現存する孔子廟としては、栃木県の足利学校、岡山県の閑谷学校の孔子廟とともに日本で最も古いもののひとつです。
廟内は、麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)、亀竜、草木魚などの中国風の彫刻、朱漆をほどこした壮麗なものです。 また廟内には孔子像と四配の像が安置されています。孔子像は「聖龕(せいがん)」と呼ばれる八角形の厨子の中に納められています。この「聖廟・聖龕」は国指定の重要文化財です。 なお、廟内の公開は春秋のお祭りである釈菜(せきさい)の時のみとなっています。 釈菜は、創建時から続く由緒あるお祭りで、古式通りの作法で行われます。雅楽が演奏されるなか、祭官に扮した市長や校長先生が孔子に供えものを捧げます。この時使用される器などは、中国の古式にのっとったものですが、竜旗とよばれるのぼりは日本では多久だけといわれています。
明治40年(1907年)の改修工事で瓦葺きから銅板葺きになりました。 大正10年(1921年)敷地を含め国の史跡に指定されました。 建物は昭和8年(1933年)当時の国宝保存法に基づき国宝に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行に伴い国の重要文化財となりました。
孔子(紀元前551〜前479)は、中国の春秋時代の思想家で、儒教の祖です。 先祖は公族でしたが家はきわめて貧しく、魯に仕え大司寇となりましたが権力者と衝突し、56歳から十余年間魯を去って諸国を歴遊しました。諸侯に道徳的政治の実行を説きましたが用いられず、晩年は魯で弟子の教育と著述に専念し、『春秋』やその他儒家の経典を著したと伝えられます。 『論語』は孔子とその弟子との言行録です。堯,舜,文王,武王,周公旦らを尊崇し、古来の思想を大成し、為政者の徳によって民衆を教化する徳治主義を根幹とし、周の遺制たる礼楽制度による周への復古を説きました。その教えは,儒教として中国思想の根幹となり,後世に大...
Read more【多久聖廟(タクセイビョウ)】とは ➟➟➟【孔子廟(コウシビョウ)】 すなわち!・・・中国、春秋時代の思想家。 儒教(ジュキョウ)の創始者『孔子(コウシ)』を祀って(マツッテ)ある霊廟(レイビョウ)«霊を祀る建物»・・ですね。
《国重要文化財》の指定を受けておられるようです。
『孔子の里 多久聖廟』のホームページを当たると。 ーー 多久聖廟とは、宝永5年(1708年)多久茂文が孔子像を安置し。 ーー 領民に「敬」の心を培わせるために建てた孔子廟です ・・・・と、説明があります。
孔子が訪れた・・・とかなんとか、と言う訳では無く。 儒教が武士の嗜(タシナミ)みとして大変重要だった時代に建てられ。 思想教育として、重く用いられた場所 ・・・だったと言う事でしょうか?🤔
また、現存する聖廟としては 【足利学校(栃木県)】 【閑谷(シズタニ)学校(岡山県)】 に次ぐ古い建物で、日本三大孔子廟と言われる・・・らしいです。
ーー ワタクシ、岡山県も8年在住してましたが ーー 岡山県備前市にある【閑谷学校】も ーー とても落ち着いた、風格のある建屋で ーー 歴史を感じる場所です ーー ご興味のある方は、ぜひ訪れてください
何故に多久に・・・と言うのが、ワタクシ的にはまだまだ理解が不十分ではございますが。
なかなかに広〜い敷地に、立派な孔子廟が建てられておりますのは。 これまた、なかなか〜に荘厳(ソウゴン)で...
Read moreI have been there several times. Very peaceful. Temple is special for students, they believe that the expectations of students will come through when they go there and pray...
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