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Karako-Kagi Relics History Park — Attraction in Tawaramoto

Name
Karako-Kagi Relics History Park
Description
Nearby attractions
Karako Kagi Relics
Kagi, Tawaramoto, Shiki District, Nara 636-0223, Japan
Nearby restaurants
ゐざさ 柿の葉寿司 田原本店
80-5 Karako, Tawaramoto, Shiki District, Nara 636-0226, Japan
Saika Ramen
530 Karako, Tawaramoto, Shiki District, Nara 636-0226, Japan
Tenri Stamina Ramen
216-9 Kosaka, Tawaramoto, Shiki District, Nara 636-0237, Japan
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Keywords
Karako-Kagi Relics History Park tourism.Karako-Kagi Relics History Park hotels.Karako-Kagi Relics History Park bed and breakfast. flights to Karako-Kagi Relics History Park.Karako-Kagi Relics History Park attractions.Karako-Kagi Relics History Park restaurants.Karako-Kagi Relics History Park travel.Karako-Kagi Relics History Park travel guide.Karako-Kagi Relics History Park travel blog.Karako-Kagi Relics History Park pictures.Karako-Kagi Relics History Park photos.Karako-Kagi Relics History Park travel tips.Karako-Kagi Relics History Park maps.Karako-Kagi Relics History Park things to do.
Karako-Kagi Relics History Park things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Karako-Kagi Relics History Park
JapanNara PrefectureTawaramotoKarako-Kagi Relics History Park

Basic Info

Karako-Kagi Relics History Park

50-2 Karako, Tawaramoto, Shiki District, Nara 636-0226, Japan
4.0(516)
Open 24 hours
Save
spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Outdoor
Family friendly
Accessibility
attractions: Karako Kagi Relics, restaurants: ゐざさ 柿の葉寿司 田原本店, Saika Ramen, Tenri Stamina Ramen
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Phone
+81 744-34-5500
Website
karako-kagi.com

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Karako Kagi Relics

4.2

(65)

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Wed, Dec 31 • 12:30 PM
556-0003, Osaka, Osaka, Japan
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542-0085, Osaka, Osaka, Japan
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Nara : Tea Ceremony in 120Year Old House -Max 5-
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Wed, Dec 31 • 10:30 AM
630-8322, Nara, Nara, Japan
View details

Nearby restaurants of Karako-Kagi Relics History Park

ゐざさ 柿の葉寿司 田原本店

Saika Ramen

Tenri Stamina Ramen

ゐざさ 柿の葉寿司 田原本店

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4.0

(100)

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Saika Ramen

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3.9

(653)

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Tenri Stamina Ramen

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3.5

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吉川康彦吉川康彦
〇2023年7月17日に訪問しました。 「梅雨明け」発表前だというのに、🌞陽射しは厳しくて、携帯していた📷カメラも📱スマホも熱を持ち「熱暴走」寸前の状態でした。 いわゆる「夏晴れ」で、東の「笠置山地(大和高原)」から、西の「金剛・生駒山地」がくっきりと見晴らせました。 特に南東の方角には奈良盆地の大きな河川「大和川(やまとがわ)」の上流部の「羽瀬川(はせがわ=長谷川)」が流れる低地越しに、「卑弥呼(ひみこ)」のいた「邪馬台国(やまたいこく)」候補の大本命だと言われている「纏向遺跡」と聖地「三輪山」が見通せました。 〇「唐古(からこ)」も「鍵(かぎ)」もこの辺りの古い住所表示の「字(あざ)」の名前です。 〇「唐古・鍵遺跡」は、他も触れているように奈良盆地でも早くから拓けた土地であり、「縄文時代」のサヌカイトなどの石器片も発見されています。 しかし、ここの特徴のメインは「弥生時代」に栄えていた「環濠集落(かんごうしゅうらく)」である点でしょう。 ◎「環濠集落」は、先日もマスコミに「邪馬台国を示すものが発見されるか」と騒がれました北部九州佐賀県の「吉野ケ里遺跡」が有名でしょう。 学校で学ぶ社会科の歴史の教科書では「弥生時代に入ると、ムラとムラの間に戦争がおこった」とされています。そういう根拠の一つとしてムラ(集落)の周りを堀(ほり)で囲んでしまっていることを挙げています。よそのムラからの攻撃からムラを守るために堀を作ったのだろうというのです。私は発掘間もない頃に「吉野ケ里遺跡」を訪れた時に「堀」の一つに降りてみて、確かにただの溝ではないことを確認しています。 「環濠集落」とは、周囲を環(わ)のようにホリ(水のある「濠(ほり)」と水の無い「壕(ほり)」)で囲んだムラ(集落)ということです。言い換えると弥生時代に生まれた初期の国(「クニ」)ということです。 この遺跡ではその環濠は一重、二重どころか何重にわたっていたと「復元図」にはありました。 私は、この周辺の様子から、その「濠(ほり)」は防御のためだけでなく、船による運搬路であり、稲作のための当時の区画の小さな水田に水を供給する役割も兼ねていただろうと思いました。 〇「唐古・鍵遺跡」は「環濠集落」であったというだけでなく、発掘された土器片に建物(楼閣(ろうかく))が線彫りされていたことが有名なのです。その特徴ある絵から復元した「楼閣」がこの公園内の「唐古池」に建っています。 〇「復元楼閣」のそばの説明板には岡山県のものと同じ「円筒形土器」も発掘されていたとありました。この「円筒形土器」は吉備国(岡山県)で始まって、ヤマト政権に取り入れられて広まった「円筒埴輪」にそっくりなものでした。ということは「唐古・鍵遺跡」は遠く離れたムラとの交流があった当時としては有力なクニであったことになります。そうであるならば「倭(わ=日本)」の中心都市であった「邪馬台国」を支えた有力なクニであったことになるのでしょう。
ヤマ田太郎ヤマ田太郎
周辺の発掘調査が進み、ここは「進撃の巨人」もビックリの弥生時代の超重防御集落で、同心円上に5重にも6重にも環濠が取り囲んでいた事が分かってきたそうです(模型写真参照)。現地でも隙間もなく並ぶ5重の環濠の一部が保存展示されているので、その凄まじさが感じ取れます。 また、この集落の衰退と大和王権の誕生の地とされる纏向(まきむく)の発展の時期も一致するそうで、関連が学会でも注目されている、とのことです。 ワタシの頃の教科書では、ここは低湿地なので真空パック状態で木製のクワ等が発掘される、弥生時代の農耕を知る上で重要な場所、程度の扱いだったんですけどね(笑)。 さらに東海地方や九州の土器や新潟県糸魚川のヒスイが発見されたり、当時最先端の銅鐸などの金属製品を鋳造する施設が見つかったり、と全国的な交流と先進技術を持つ、かなり特殊な性格の集落であった事も長年の調査の結果、明らかになってきました。 特に外来系の土器は集落の中で均等に出土するのではなく、特定の場所から集中的に発見されるそうなので、もしかすると全国の情報を得るために地方の駐在員が置かれていた可能性もあります。今で言えば国連事務所のような感じだったのでしょうか(笑)。 纏向周辺でも外来系の土器がよく出土するので、大和王権が外交的機能を引き継ぎつつ発展していったと考える事も可能ですね。その他、これだけの防御施設を必要とする強大な敵は一体何なのか、等の無限の想像が膨らむ、古代へのロマンを誘う遺跡です。 公園は美しく整備されて、所々に説明看板があって遺跡への理解を深め、想像(妄想?)の翼を広げる助けとなってくれます。さすがに強大な敵は「巨人」ではないとは思いますが(笑)。
七面鳥放浪記七面鳥放浪記
弥生時代の環壕集落遺跡の一部を史跡公園としたものです。唐古・鍵史跡について特筆すべき点は二つあります。 一つ、弥生時代前期から後期にかけて、およそ七〇〇年に渡って集落が存続し、遺物・遺構をもってその変遷を追えること。 二つ、当時の生活をうかがい知る手がかりとなる絵画土器が大量に出土していること。稚拙かつ粗雑で芸術性に欠けるものの、脱力系の絵柄には不思議と惹き付けられます。史跡公園のシンボルとなっている屋根の先端にうずまきの付いた珍妙な建物は、土器片に描かれた子供の落書きみたいなのを大真面目に復元した結果です。「違う、そうじゃない」とツッコミを入れたくもなりますが、面白いので良しとします。 総面積三〇ヘクタールにおよぶ遺跡のうち、史跡公園として維持されているのはほんの一部で、ほとんどは農地だったり宅地だったそれ以外の施設だったりしています。公園内にある唐古池は江戸時代に作られた農業用のため池で、その周囲に植樹された染井吉野も弥生時代とは関係ナッシングです。保存・復元の状態は良好ではないものの、春には桜が咲き誇り、大勢の花見客でにぎわいます。風がなければ、池にうつる逆さ桜も楽しめそうです。キワモノな感じの復元楼閣も桜によく栄えます。 唐古・鍵意識の出土品は国の重要文化財に指定されていて、史跡公園から歩いで三〇分ほどのところにある唐古・鍵考古ミュージアムに展示されています。田原本青垣生涯学習センターの一部をあてたもので、さほどの規模ではないものの見ごたえは十分です。史跡公園だけであればB級スポットの域を出ませんが、考古ミュージアムとセットであれば十分に楽しめて、勉強にもなります。
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〇2023年7月17日に訪問しました。 「梅雨明け」発表前だというのに、🌞陽射しは厳しくて、携帯していた📷カメラも📱スマホも熱を持ち「熱暴走」寸前の状態でした。 いわゆる「夏晴れ」で、東の「笠置山地(大和高原)」から、西の「金剛・生駒山地」がくっきりと見晴らせました。 特に南東の方角には奈良盆地の大きな河川「大和川(やまとがわ)」の上流部の「羽瀬川(はせがわ=長谷川)」が流れる低地越しに、「卑弥呼(ひみこ)」のいた「邪馬台国(やまたいこく)」候補の大本命だと言われている「纏向遺跡」と聖地「三輪山」が見通せました。 〇「唐古(からこ)」も「鍵(かぎ)」もこの辺りの古い住所表示の「字(あざ)」の名前です。 〇「唐古・鍵遺跡」は、他も触れているように奈良盆地でも早くから拓けた土地であり、「縄文時代」のサヌカイトなどの石器片も発見されています。 しかし、ここの特徴のメインは「弥生時代」に栄えていた「環濠集落(かんごうしゅうらく)」である点でしょう。 ◎「環濠集落」は、先日もマスコミに「邪馬台国を示すものが発見されるか」と騒がれました北部九州佐賀県の「吉野ケ里遺跡」が有名でしょう。 学校で学ぶ社会科の歴史の教科書では「弥生時代に入ると、ムラとムラの間に戦争がおこった」とされています。そういう根拠の一つとしてムラ(集落)の周りを堀(ほり)で囲んでしまっていることを挙げています。よそのムラからの攻撃からムラを守るために堀を作ったのだろうというのです。私は発掘間もない頃に「吉野ケ里遺跡」を訪れた時に「堀」の一つに降りてみて、確かにただの溝ではないことを確認しています。 「環濠集落」とは、周囲を環(わ)のようにホリ(水のある「濠(ほり)」と水の無い「壕(ほり)」)で囲んだムラ(集落)ということです。言い換えると弥生時代に生まれた初期の国(「クニ」)ということです。 この遺跡ではその環濠は一重、二重どころか何重にわたっていたと「復元図」にはありました。 私は、この周辺の様子から、その「濠(ほり)」は防御のためだけでなく、船による運搬路であり、稲作のための当時の区画の小さな水田に水を供給する役割も兼ねていただろうと思いました。 〇「唐古・鍵遺跡」は「環濠集落」であったというだけでなく、発掘された土器片に建物(楼閣(ろうかく))が線彫りされていたことが有名なのです。その特徴ある絵から復元した「楼閣」がこの公園内の「唐古池」に建っています。 〇「復元楼閣」のそばの説明板には岡山県のものと同じ「円筒形土器」も発掘されていたとありました。この「円筒形土器」は吉備国(岡山県)で始まって、ヤマト政権に取り入れられて広まった「円筒埴輪」にそっくりなものでした。ということは「唐古・鍵遺跡」は遠く離れたムラとの交流があった当時としては有力なクニであったことになります。そうであるならば「倭(わ=日本)」の中心都市であった「邪馬台国」を支えた有力なクニであったことになるのでしょう。
吉川康彦

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周辺の発掘調査が進み、ここは「進撃の巨人」もビックリの弥生時代の超重防御集落で、同心円上に5重にも6重にも環濠が取り囲んでいた事が分かってきたそうです(模型写真参照)。現地でも隙間もなく並ぶ5重の環濠の一部が保存展示されているので、その凄まじさが感じ取れます。 また、この集落の衰退と大和王権の誕生の地とされる纏向(まきむく)の発展の時期も一致するそうで、関連が学会でも注目されている、とのことです。 ワタシの頃の教科書では、ここは低湿地なので真空パック状態で木製のクワ等が発掘される、弥生時代の農耕を知る上で重要な場所、程度の扱いだったんですけどね(笑)。 さらに東海地方や九州の土器や新潟県糸魚川のヒスイが発見されたり、当時最先端の銅鐸などの金属製品を鋳造する施設が見つかったり、と全国的な交流と先進技術を持つ、かなり特殊な性格の集落であった事も長年の調査の結果、明らかになってきました。 特に外来系の土器は集落の中で均等に出土するのではなく、特定の場所から集中的に発見されるそうなので、もしかすると全国の情報を得るために地方の駐在員が置かれていた可能性もあります。今で言えば国連事務所のような感じだったのでしょうか(笑)。 纏向周辺でも外来系の土器がよく出土するので、大和王権が外交的機能を引き継ぎつつ発展していったと考える事も可能ですね。その他、これだけの防御施設を必要とする強大な敵は一体何なのか、等の無限の想像が膨らむ、古代へのロマンを誘う遺跡です。 公園は美しく整備されて、所々に説明看板があって遺跡への理解を深め、想像(妄想?)の翼を広げる助けとなってくれます。さすがに強大な敵は「巨人」ではないとは思いますが(笑)。
ヤマ田太郎

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弥生時代の環壕集落遺跡の一部を史跡公園としたものです。唐古・鍵史跡について特筆すべき点は二つあります。 一つ、弥生時代前期から後期にかけて、およそ七〇〇年に渡って集落が存続し、遺物・遺構をもってその変遷を追えること。 二つ、当時の生活をうかがい知る手がかりとなる絵画土器が大量に出土していること。稚拙かつ粗雑で芸術性に欠けるものの、脱力系の絵柄には不思議と惹き付けられます。史跡公園のシンボルとなっている屋根の先端にうずまきの付いた珍妙な建物は、土器片に描かれた子供の落書きみたいなのを大真面目に復元した結果です。「違う、そうじゃない」とツッコミを入れたくもなりますが、面白いので良しとします。 総面積三〇ヘクタールにおよぶ遺跡のうち、史跡公園として維持されているのはほんの一部で、ほとんどは農地だったり宅地だったそれ以外の施設だったりしています。公園内にある唐古池は江戸時代に作られた農業用のため池で、その周囲に植樹された染井吉野も弥生時代とは関係ナッシングです。保存・復元の状態は良好ではないものの、春には桜が咲き誇り、大勢の花見客でにぎわいます。風がなければ、池にうつる逆さ桜も楽しめそうです。キワモノな感じの復元楼閣も桜によく栄えます。 唐古・鍵意識の出土品は国の重要文化財に指定されていて、史跡公園から歩いで三〇分ほどのところにある唐古・鍵考古ミュージアムに展示されています。田原本青垣生涯学習センターの一部をあてたもので、さほどの規模ではないものの見ごたえは十分です。史跡公園だけであればB級スポットの域を出ませんが、考古ミュージアムとセットであれば十分に楽しめて、勉強にもなります。
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〇2023年7月17日に訪問しました。 「梅雨明け」発表前だというのに、🌞陽射しは厳しくて、携帯していた📷カメラも📱スマホも熱を持ち「熱暴走」寸前の状態でした。 いわゆる「夏晴れ」で、東の「笠置山地(大和高原)」から、西の「金剛・生駒山地」がくっきりと見晴らせました。 特に南東の方角には奈良盆地の大きな河川「大和川(やまとがわ)」の上流部の「羽瀬川(はせがわ=長谷川)」が流れる低地越しに、「卑弥呼(ひみこ)」のいた「邪馬台国(やまたいこく)」候補の大本命だと言われている「纏向遺跡」と聖地「三輪山」が見通せました。

〇「唐古(からこ)」も「鍵(かぎ)」もこの辺りの古い住所表示の「字(あざ)」の名前です。 〇「唐古・鍵遺跡」は、他も触れているように奈良盆地でも早くから拓けた土地であり、「縄文時代」のサヌカイトなどの石器片も発見されています。 しかし、ここの特徴のメインは「弥生時代」に栄えていた「環濠集落(かんごうしゅうらく)」である点でしょう。 ◎「環濠集落」は、先日もマスコミに「邪馬台国を示すものが発見されるか」と騒がれました北部九州佐賀県の「吉野ケ里遺跡」が有名でしょう。 学校で学ぶ社会科の歴史の教科書では「弥生時代に入ると、ムラとムラの間に戦争がおこった」とされています。そういう根拠の一つとしてムラ(集落)の周りを堀(ほり)で囲んでしまっていることを挙げています。よそのムラからの攻撃からムラを守るために堀を作ったのだろうというのです。私は発掘間もない頃に「吉野ケ里遺跡」を訪れた時に「堀」の一つに降りてみて、確かにただの溝ではないことを確認しています。 「環濠集落」とは、周囲を環(わ)のようにホリ(水のある「濠(ほり)」と水の無い「壕(ほり)」)で囲んだムラ(集落)ということです。言い換えると弥生時代に生まれた初期の国(「クニ」)ということです。 この遺跡ではその環濠は一重、二重どころか何重にわたっていたと「復元図」にはありました。 私は、この周辺の様子から、その「濠(ほり)」は防御のためだけでなく、船による運搬路であり、稲作のための当時の区画の小さな水田に水を供給する役割も兼ねていただろうと思いました。 〇「唐古・鍵遺跡」は「環濠集落」であったというだけでなく、発掘された土器片に建物(楼閣(ろうかく))が線彫りされていたことが有名なのです。その特徴ある絵から復元した「楼閣」がこの公園内の「唐古池」に建っています。 〇「復元楼閣」のそばの説明板には岡山県のものと同じ「円筒形土器」も発掘されていたとありました。この「円筒形土器」は吉備国(岡山県)で始まって、ヤマト政権に取り入れられて広まった「円筒埴輪」にそっくりなものでした。ということは「唐古・鍵遺跡」は遠く離れたムラとの交流があった当時としては有力なクニであったことになります。そうであるならば「倭(わ=日本)」の中心都市であった「邪馬台国」を支えた有力なクニであっ...

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3.0
7y

The site doesn’t really live up to its historical significance. If it’s on the way to somewhere, maybe stop, but as a primary destination you could give it a pass. Unless, of course, you’re into archeology/anthropology, but even then it is pretty underwhelming. On the plus side: few other people and a huge open space for a toddler to run around...

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5.0
2y

周辺の発掘調査が進み、ここは「進撃の巨人」もビックリの弥生時代の超重防御集落で、同心円上に5重にも6重にも環濠が取り囲んでいた事が分かってきたそうです(模型写真参照)。現地でも隙間もなく並ぶ5重の環濠の一部が保存展示されているので、その凄まじさが感じ取れます。

また、この集落の衰退と大和王権の誕生の地とされる纏向(まきむく)の発展の時期も一致するそうで、関連が学会でも注目されている、とのことです。 ワタシの頃の教科書では、ここは低湿地なので真空パック状態で木製のクワ等が発掘される、弥生時代の農耕を知る上で重要な場所、程度の扱いだったんですけどね(笑)。

さらに東海地方や九州の土器や新潟県糸魚川のヒスイが発見されたり、当時最先端の銅鐸などの金属製品を鋳造する施設が見つかったり、と全国的な交流と先進技術を持つ、かなり特殊な性格の集落であった事も長年の調査の結果、明らかになってきました。

特に外来系の土器は集落の中で均等に出土するのではなく、特定の場所から集中的に発見されるそうなので、もしかすると全国の情報を得るために地方の駐在員が置かれていた可能性もあります。今で言えば国連事務所のような感じだったのでしょうか(笑)。

纏向周辺でも外来系の土器がよく出土するので、大和王権が外交的機能を引き継ぎつつ発展していったと考える事も可能ですね。その他、これだけの防御施設を必要とする強大な敵は一体何なのか、等の無限の想像が膨らむ、古代へのロマンを誘う遺跡です。

公園は美しく整備されて、所々に説明看板があって遺跡への理解を深め、想像(妄想?)の翼を広げる助けとなってくれます。さすがに強大な敵は「巨人」ではな...

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