青ヶ島は富士火山帯上にある火山島です。島に残る二重カルデラがその噴火の歴史を伝えます。青ヶ島にヒトが定住し始めたのは15世紀以降と考えられていますが、1780年から始まった噴火により1785年には全島民が八丈島へ避難し青ヶ島は再び無人島となります。 しかし八丈島はもともと食料の少ない島で、青ヶ島からの避難民を養うことはかなり困難でした。おそらく避難民はずいぶんと肩身の狭い思いをしていたのでしょう。集団離島から約40年後の1824年、名主の佐々木次郎太夫の指揮の元に避難者とその家族が全島帰還を果たします。このことをもとに作家の柳田國男が「青ヶ島還住記」を著し、以後「還住」という呼び名が定着したようです。 ところで、無人だった青ヶ島にはネズミが跋扈していました。青ヶ島にはネズミの天敵であるヘビがおらずその対策が大変だったようです。還住直後は「人海戦術」でしたが、昭和前期にイタチが導入され島内に放たれました。ネズミは減ったようですが稀少鳥類のアカコッコも激減しており、イタチによる食害と考えられています。 ちなみにハブ対策として奄美大島にマングースが放たれたのが1979年でした。しかしアマミノクロウサギの捕食問題が発生、大騒動となりました。2005年から外来生物法に基づき駆除が開始され、2024年になってようやく「マングース根絶」が宣言されたのです。 なお1970年代に、千葉県内の某施設から脱走した数頭のキョンは令和4年度には推定約 71,500...
Read more天明の大噴火で八丈島に逃れた「青ヶ島のモーゼ」と呼ばれる英雄・佐々木次郎太夫の碑。 50年余りの年月を費やして再び青ヶ島での生活の復興を成し遂げることが出来た事実は、柳田國男が昭和8年に発表した「青ヶ島還住記」に取り上げられた。それに用いられた「還住」という言葉はやがて苦難の末に青ヶ島住民が帰島を果たした事実を表す言葉として定着し、八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船の...
Read more詳しくはWikiで「還住」を一読!です。 郷里に帰ると一言で言えば簡単な話しですが、人が住む・暮らす・働く・食べていく・結婚する・子を作り育てる、なんて当たり前のことを深く深く考えさせられます。 深く思慮したところでこの海の青さと同じように、果てのない色合いの前にぼやけていくだけなんでしょうが、そ...
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