東京都町田市本町田に鎮座する菅原神社の書置き御朱印を頂きに参拝しました。
室町期の永享年間(1429年〜1441年)、近在の大沢左近正次は、先祖の大沢七郎正純が鎌倉期・元応年間(1319年〜1321年)に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像(大沢家の守り本尊だったと言われます。)を、当地井手の沢の山上に奉安したのが始まりとのこと。 この大沢氏は、由緒を同じにする町田駅南側にある町田天満宮の社史によると、柚木大沢村に住んでいたとのことで、これは現在の南大沢駅北側辺りになります。
この菅原神社の建つ地は多摩丘陵の起伏の南の終わりにあり、鎌倉時代にはここから幕府側の首都である鎌倉まで鎌倉街道上道を一気に下れるようになるため、鎌倉防備の重要地として砦が置かれていたそうです。 そして現在、週刊少年ジャンプで大人気連載中の「逃げ上手の若君」の主人公・北条時行が、中先代の乱において足利直義と対決した「井手の沢古戦場」跡地でもあります。
そこからこの大沢左近正次は、この合戦により戦死者累々としたであろう当地に、鎮魂という動機も持って天神像を奉安したのでは…と考えられています。 また足利将軍家が天神信仰を持っていたこと、菅原道真公も讒言により大宰府に流されたわけですが、その讒言を拭うという意を込めたことも考えられるとのこと。
時は下ってその子孫・大沢玄蕃は、江戸期初頭の寛永7年(1630年)新たに中国より伝わった天神像を刻ませて、ここに奉安し、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが菅原神社の縁起だそうです。 なお先程もチラッと書きましたが、元々広大であった本町田村は天正10年(1582)分村が施行され、本町田村から原町田村、大谷村が分かれ、新たなそれぞれの村は元の本町田村と同じ菅公を鎮守として祀りました。町田天満宮はこのときに分かれた原町田村の鎮守であります。 因みに大谷村の鎮守となった天神社は現在の町田市南大谷にある南大谷天神社で、御朱印はこちらの菅原神社で授与しておられます。 また鎌倉街道上道の宿場から現在まで続く小野路集落の鎮守である小野神社の御朱印も授与しておられます。
享保7年(1722年)に御本殿が再建され、天明5年(1785)社殿が造られました。
明治35年(1902年)には国の施策により、千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀し、現在に至ります。
最寄り駅は町田駅ですが徒歩だと30分ほど掛かります。 しかしバスも結構走っているので、バス...
Read moreIt's a nice shrine but there's no elevator.
The grounds are very well maintained and there's enough parking for many cars.
There was a photographer taking photos of another familue's 7,5,3 festival. I do wish the shrine would take care to make sure the other people are not in the background so that we can maintain...
Read more全国に亘り、約20社(主に)程有る、菅原神社の内の一つ、町田社です。町田市には他に町田天満宮、南大谷天神社が有ります。 こちらの神社は、長い参道を行くと、かなり段数の有る、キツい階段(登り専用)を登った先の正面に本殿が有り、その境内の左手には社務所が有ります。 社務所の隣には休憩所が有って誰でも利用する事が出来ます。 *トイレは社務所の裏手に有ります。 尚、《お詣りが済んだ後は、別のルートが帰り道となっています》。 *ただ、帰り道を知らない人はまた階段を降りて帰る人もいるようです。 ▼この付近は時々通るので、以前より気になっていて、今回機会が有ったので、新年初めてお詣りしました。 *《余談》『菅原道真』公と云えば誰もが知っている学問の神様ですが、政治家としても著名で、その昔平安時代中期・藤原氏全盛期に『阿衡の紛議』(藤原基経のイチャモン事件)の解決に尽力した事により、宇多天皇より厚い信頼を受け、藤原氏を抑える為に重用されました。その後、醍醐天皇の時、右大臣まで登り詰めましたが、藤原氏の権勢が脅かされると危惧した左大臣・藤原時平の讒言により、大宰府に左遷(太宰権帥だざいのごんのそち)されて不幸な生涯を終えた、学者・文人でもあります。死後、種々の怪異現象(※清涼殿の雷騒ぎや干ばつなど)が起こった事により、道真の祟りだと恐れられ、霊を鎮める為、御霊(ごりょう)として北野天満宮に祀られる事になり、のち『学問の神』と崇められるようになりました。 ※清涼殿とは天皇の住まいの事です ★【道真自身の学力は中の上くらいの成績だったようです。また、学者としては優秀だったのですが、優柔不断なところも有ったようです】。 《エピソード》 清涼殿の上で、雷が荒れ狂った時、時平は天に向かって太刀を振りかざし、『生前は俺の次に座っていたくせに神になったからといって、この世に来た以上は遠慮しろ❗️』と怒鳴ったそうです。と、このように神をも恐れぬ、豪快な人だったようでもあり、また一旦笑い出すと止まらぬ人柄でもあったそうです。
★いつの世も“出る杭は打たれ...
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