設立指導者として雇われたフランス人、 ポール・ブリュナのために建てられたもので、ブリュナは任期満了まで、家族とともにここで暮らしていたそうです。 2025年11月4日(火)から11月30日(日) まで、西置繭所多目的ホールで「日仏交流が織りなすシルクの魔法」展が行われ、ポール・ブリュナが首長館で使用していたと伝えられる、絹張りのソファとカウチが展示されていました。首長館は非公開で、ブリュナが去ったあと、今は「片倉富岡学園」の校舎として使われていた状態で残ているそうです。榛名寮側から見ると「学園講堂」の看板を見ることができます。 以下は、建物前にあった案内板の内容です。
首長館(ブリュナ館) 明治6年(1873)建築 明治6年に建てられたお雇いフランス人用の宿舎3棟のうちの1棟。設立指導者として雇われたフランス人、 ポール・ブリュナのために建てられました。ブリュナは任期満了の明治8年12月まで、ここで家族とともに暮らしました。 建物は後に、宿舎としてのほか、女性従業員の学びの場として、また、娯楽行事や式典などを行う会場として使われました。現在は、「片倉富岡学園」の校舎として使われていた状態で残り、部屋には「学園講堂」や 「洋裁室」、「第一教室」などの看板が付いています。 木骨煉瓦造、平屋建で、周囲にはベランダが回ります。用途が変わったことから内部は改造されていますが、...
Read more1番奥にあるのが、このブリュナ館です。 中に入れる様にして欲しいです。
富岡製糸場の建設にあたり、明治政府は横浜の商社(エシュト・リリアンタール商会)で働いていたポール・ブリューナを5年間雇い入れました。 富岡製糸場の建設に先立って機材購入や技師の雇用のために一時フランスに帰国することになり、明治4年1月22日(1871年3月12日)にイギリスの船で日本を発っています。ここは、そのポール・ブリュナとその家族住んでいた家です。 この建物は1873年(明治6年)頃に建てられました。 首長館は、当時一番南の陽当りの良い場所に建てられました。 個人の住宅としては、非常に大規模です。 建物は高床式のコロニアル様式で、周囲にベランダをめぐらし、窓には風通しの良い板戸が取り付けられた開放的な造りとなっています。...
Read more富岡製糸場の建設にあたり、明治政府は横浜の商社(エシュト・リリアンタール商会)で働いていたポール・ブリューナを5年間雇い入れました。 富岡製糸場の建設に先立って機材購入や技師の雇用のために一時フランスに帰国することになり、明治4年1月22日(1871年3月12日)にイギリスの船で日本を発っています。 そのポール・ブリュナとその家族が住んでいた家です。 この建物は1873年(明治6年)頃に建てられました。 首長館は、当時一番南の陽当りの良い場所に建てられました。 個人の住宅としては、非常に大規模です。 建物は高床式のコロニアル様式で、周囲にベランダをめぐらし、窓には風通しの良い板戸が取り付けられた開放的な造りとなっています。...
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