貫前神社
駐車場🅿○大型車○ トイレ🚻○ 車椅子♿手前から細い道があり境内へ降りれます。補助有りで○
日本三大下りの宮
熊本阿蘇 草加部吉見神社 宮崎日南 鵜戸神宮 群馬富岡 貫前神社
これが日本三大下りの宮です。 何故階段下ってお宮があるのかの解説は後述するとして
御祭神 経津主神(フツヌシノカミ) 比賣大神(ヒメオオカミ)
中世以降、抜鉾明神と称される場合が多いですが貫前神とは本来は別の神のことでありまして。 つまり「抜鉾」「貫前」の二神を祀る神社だったとされます。 「抜鉾」が男神・経津主神 「貫前」が女神 比賣大神
『神道集』では、当社貫前神社の祭神は、女神であったとしております。 また、笹岡山(荒船山)の峯に船を逆さに伏せ、その船の中に保った河水は、火の雨が降るときにこの水で消すべしと誓ったといいます。 水神、水源神あるいは周囲の火山に対する対処神かもしれないですが 詳細不明です。 また、一之宮であった赤城大明神が、財の君である、この女神を他国へ渡してはならないと、女神に一之宮を譲ったという。さらに、赤城神が絹機を織っていたが、絹笳が不足したが、この女神から借りて織り上げたとも。
ということで、当社の女神は 水神・財神・機織の神として赤城神社でこの比賣大神を囲っている伝承が残っていることから
海幸と 山幸が お后。 伊勢の外宮様(伏見稲荷様) の奪い合いが見えます。
当社の西方に荒船山(荒船神社)があり、東方には小舟神社がある。小船神社は、当社の祓戸とされ、東西のライン、荒船-貫前-小舟が女神の系譜。
当社の本殿には「雷神小窓」という緑色の雷神を描いた窓があります、南方の稲含山(稲含神社)の方向を向いています。また、北方には咲前神社があり、前宮・鷺宮とよばれています。 いずれも経津主神を祭神とし、南北に武神・雷神のライン、稲含-抜鉾-咲前が存在する。 当社はその二本のラインのクロスする、非常に興味深い位置に存在している神社です。
社伝より 創建は、碓氷郡東横野村鷺宮に物部姓磯部氏が奉斎し次いで南方鏑川岸に至り蓬ヶ丘綾女谷にお祀りしたのが安閑天皇元年(531)3月15日と伝えています。 天武天皇白鳳二年(674)3月15日に初度の 奉幣があり、醍醐天皇の延喜の制には名神大社 に列せられ、上野國一之宮として朝廷や民間の 崇敬を衆め、明治四年國幣中社に列格されまし たが、終戦にともなう社格制度の廃止により、 一之宮貫前神社と称し現在に至っております。 現在の社殿は、徳川三代将軍家光公の命により 寛永12年(1635)の御造営で、江戸初期の 華麗な造りで、特に本殿、拝殿、楼門は国の重要...
Read moreI think it is one of the “must see” locations in the Tomioka area. Usually uncrowded, you can enjoy the unusual placement of the shrine, down a long flight of stone steps. There are large old trees and well maintained decorative building to appreciate. The calming, centering feeling you receive from such places with our without spiritual belief is certainly worthwhile. Enjoy walking up the main stone steps in the front. Bring...
Read more2024/2/18...
Read more