大正6年、宮内省と有識者はどうやら楠木久子を悲母観音の化身としてこの楠妣庵を再興したようだ。なぜなら当日皇太子おふたりに展墓たてまつりクスノキの植樹まであらせられた。15歳秩父宮には墓正面真後ろに、そして昭和天皇の東宮の宮には正面右やや後ろ。今立派に育ち墓を守るようです。そしてこの位置は全然対等ではありません。彼女に対して天が下側です。これはもう聖なる母へ対する儀式だっとしか思えません。日本史上後にも先にも無い事実が残されていると言えるのではないでしょうか。 私はここを母子家...
Read more大楠公夫人遺跡 楠妣庵 観音寺を巡礼しました。地元では紅葉の隠れたスポットと謂われており、実体験出来ました。紅葉した楓の落ち葉のカーペットが、こじんまりした境内を見事にドレスアップされています。此処、奥河内エリアには楠木家一族の縁の神社仏閣が多く、楠木一族が軍議をした「天野山...
Read more2023.12.03 楠木正成の妻で、正行の母である久子が、夫と息子の戦死後に出家して菩提を弔ったところです。久子は「敗鏡尼」を名乗り、楠妣庵を建てたといわれています。この地には正行が建てた観音殿もあり、弟・正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺としました。その後、観音寺、楠妣庵ともに兵火によって焼失しましたが、1917年に楠妣庵が再興し、次いで観音寺も再建されました。この地は敗鏡尼の故郷でもあり、境内にある石造りの五輪塔は、そ...
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