2025/5/30 城跡探訪 『安田城跡』
富山市中心部より少し南西の方向にあります。 見た瞬間に「うわぁ〜!」と声が漏れてしまうぐらいの立派な平城です。 本丸が二の丸に対して少し高く土が盛られているのも素晴らしいですし、何より本丸の四方を囲む土塁の大きさに驚かされます。 土塁内部の見れるよう展示施設がありますし土塁の上を一周もできます。 隣接している「史跡安田城跡資料館」には多くの資料があります。 富山市内のお城マップなどもあり富山市内の城跡を巡るにはうってつけの場所だと思います。
駐車場は無料ですしトイレもとても綺麗でした。 構造 城跡の広さは東西約150メートル・南北約240メートル、約34,000平方メートルで、本丸・二の丸・右郭の三郭(これらの郭名称は現在の便宜上のものであり当時の呼称は不明)からなり、城の東側を流れる井田川から水を引き込み周囲に水濠を構えていた。軸線のずれや、本丸を囲む水濠に一部が削られた右郭の形状から、当初は二の丸・右郭の二郭から成っていたものに本丸が追加造成されたものと考えられている。本丸北東隅は井田川の堤防造成により失われているが、それ以外は往時の遺構をそのまま残している。殊に、本丸は東西約90メートル、南北約80メートルの方形であるが、その郭規模に対し基底部長が約14メートルという非常に幅広の土塁を四周に備えるという特異な点がある。なお、本丸北東隅に櫓が設けられていたのではないかと推定されている。 【現地案内板より】
史跡 昭和五六年二月二三日指定 安田城跡
この城は、呉羽山丘陵東南麓、井田川左岸の氾濫平野に立地 する戦国時代の平城です。堀を含めた規模は東西約一五〇m、 南北約二四○mです。
天正一三(一五八五)年、全国統一をめざす豊臣秀吉が越 中の佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城 として築かれました。前田家部将の岡嶋一吉が居城後、代官 の平野三郎左衛門が居城しましたが、後に廃城になりました。
本丸、二の丸、右郭の郭の回りに、井田川から水を引き入 れた堀がめぐらされていました。本丸と二の丸には高さ約二・ 四mに復元される土塁が存在しました。このような城の構造 は、江戸時代文化年間に富山藩士安達淳直・直章による「安 田古城之図」と一致します。安田城跡のように保存状態が良
Read more呉羽山の山麓にある平城です。豊臣秀吉の越中責めで佐々成政がこもる富山城を攻める際に秀吉は呉羽山山頂の白鳥城を本陣にしました。安田城はその前衛の城として築かれたと言われます。堀の囲まれ本丸、二の丸、三の丸と3つの曲輪で構成されています。それほど大きくはないのですが、曲輪と堀が綺麗に残された非常に貴重な史跡と言えます。 定説では越中責めの際に築かれて、程なく廃城になったと言われていますが、元からこの場所には地侍の館があったという説もあり、お城の立地、遺構の状態からその説の方が信憑性があると考えます。 今後、さらに検証...
Read more豊臣秀吉による越中佐々成政討伐の際、白鳥城の出城として前田氏が築いた。おそらくそれ以前から豪族の城館として存在していたであろう。 江戸時代以降は丘となり農地と化したが、昭和52年にほ場整備事業を行う前に発掘調査が行われ、古図通りの遺構が発見された、土塁が綺麗すぎるのは、復元しているからである。 二の丸から本丸への通路は木橋だったことが発掘調査で判明しており、現在は木製通路で表現している。
それにしても、GoogleMap上の「白鳥城」を消す輩がいる...
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