20250405...
Read more「水曜どうでしょう」ファンなら、ここも一度は来てみたい場所なのではないでしょうか?
「今川義元公の墓」があります。(花が生けられていました) 「史跡桶狭間古戦場」と書かれた国指定史跡の石碑もあります。
「水曜どうでしょう」【試験に出るどうでしょう・日本史】で、「どうでしょう軍団」+(安田顕)が訪れました。 「桶狭間の戦い」を大泉校長が生徒「やすけん(安田顕)」「ミスター(鈴井貴之)」に現地で小芝居をしながら教える・・という撮影が行われた場所です。
「やすけん(安田顕)」が大泉校長の解りやすい教え方に興奮し、ここで最後に放った言葉が、 「これはねぇ、僕、絶対得だよ」 「オレは最も素晴らしい形で知識を吸収してる」ww と名言を漏らしたところでもあります。
「試験に出るどうでしょう」シリーズでも【日本史】は、特に面白く大泉校長極めつけの小芝居交えて教える歴史は何度見ても笑えます。
訪れてまず目に入ったものは「公衆トイレ」の外観で、25年の歳月で板壁はずいぶん黒ずんでいますが、【試験に出るどうでしょう・日本史】に映るものそのままです。 その手前にある、白い柵にコンクリートの通路、コンクリート製のベンチ(丸太を切り欠いた形)もそのまま。 「桶狭間古戦場跡 愛知縣」の石柱も。 ただ、「やすけん(安田顕)」「ミスター(鈴井貴之)」の背後に映っていた「桶狭間古戦場案内図」は取り除かれていました。 これが一番見たかった。
現地は、中京競馬場近くで「名鉄名古屋本線」「国道1号線」をすぐ横を走り、高層マンションや住宅に囲まれ木が生い茂った所で見逃しそうになるところです。 敷地内に居ると静かな雰囲気に包まれます。
車で来られる際は専用の駐車場は無く、近くのコインパーキングに停めるほかないです。
「名鉄名古屋本線」で来られれば「中京競馬場前駅」で降りればすぐです。
ただ、「桶狭間古戦場観光案内所」(名古屋市)の話では、いろいろな諸説があるようで決戦の場所は定かでないような・・・ 田楽狭間=桶狭間は、「桶狭間古戦場公園」の周辺らしいという話でした。
豊明市とは見解の違いがあるようですが、どちらにしても開発し尽くされ地形も変えられた現代の姿からは、石の史跡があろうが、銅像があろうが、説明看板があろうが全く想像つかない・...
Read more「歴史の逆転劇:その日信長は“うつけ”をやめた」
「桶狭間」とは、地名であり、伝説となる戦地である。 1560年、梅雨入り前の初夏、東海の一隅で起きた戦いが、日本の歴史を塗り替えた。
主人公は、織田信長。名古屋市を含む尾張国の、地方豪族の出身である。彼の家は、守護の家臣のまた家臣。要するに「名門」ではなかった。信長は若くして父を失い、家督を継いだ。しかし、彼の周囲の評価は最悪だった。「うつけ者」常軌を逸した風変わりな若者、として。
信長の弟・信勝を担ぐ反乱、家臣団の分裂、周囲からの軽視。あらゆる混乱を、彼は切り裂くように、意外な手腕と暴力的な実行力で抑え込んでいった。父・信秀が築いた地盤を継ぎ、若くして尾張のほぼ全域を平定。だが、それでもなお、外の世界から見れば彼は「地方の一勢力」にすぎなかった。そこへ、全国屈指の戦国大名、今川義元が攻めてくる。動員数2万5千。対する信長は2千。兵力差、10倍以上。
信長が選んだのは、逃げるでも、籠城するでもなく、突撃だった。わずかの兵で、雷雨に紛れ、敵の本陣を一気に強襲。義元の首を討ち取る。これを機に信長の名は、東海から畿内、全国へと響きわたる。言うなれば、無名の若者が、突如として全国ネットの舞台に踊り出た“デビュー戦”だったのだ。
その日を境に、信長の時代が始まる。 乱世の空が、音を立てて割れた。 桶狭間とは、まさに時...
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