戦国時代の爪跡(石垣等)が残る貴重な城跡。1529年築城、1560年「桶狭間の合戦」(この時点では今川義元に一端制圧されています)、1700年廃城。(174年間存在) 城からは遠くまで見晴らしが良く当時の城も威風堂々として地域にねずいていたと思われます。
初めは牛窪で後に牛久保に改称したとか。戦国時代は今川に制圧されたり、徳川家康に取り返えされたりと激しい歴史があり現代は城の石垣らしき物や墓、石碑(戦争の時の軍人)などが残っています。
牛久保駅のすぐ近くにあり駐車場は有りません。私は近くのセブンイレブンでたくさん買い物して車を停めて歩いて来ました。
『牛久保駅通り』がありこの辺りでは当時の様子を想像力が広がります。
駐車場もトイレも無かったので評価☆3にしてしまいましたが、史跡のので足を運んだ価値は十分にあります。城からの見晴らしが良いのは戦国時代に城...
Read more牛久保城(うしくぼじょう)は三河国宝飯郡牛久保(はじめ牛窪、後に牛久保に改称)、現在の愛知県豊川市牛久保町にあった日本の城(平城)。
三河国聞書・三河国二葉松によると、牧野出羽守保成の築城。 天正18年(1590年)に牧野康成は徳川家康の関東移封に従って上野国勢多郡大胡(群馬県前橋市河原浜町)に2万石を領して移動した。牛久保城は吉田城(愛知県豊橋市今橋町)に入った豊臣家臣池田輝政の支城となり、重臣の荒尾成久(平左衛門)が城主となった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後は牛久保周辺は天領となり、城郭の一部が代官所になるなどして機能していたが、元禄13年(17...
Read more三河国聞書・三河国二葉松によると、牧野出羽守保成の築城。天正18年(1590年)に牧野康成は徳川家康の関東移封に従って上野国勢多郡大胡(群馬県前橋市河原浜町)に2万石を領して移動した。牛久保城は吉田城(愛知県豊橋市今橋町)に入った豊臣家臣池田輝政の支城となり、重臣の荒尾成久(平左衛門)が城主となった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後は牛久保周辺は天領となり、城郭の一部が代官所になるなどして機能していたが、元禄13年(1700年)に廃城となった。 現在は特に遺構らしきものはありません...
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