旧東海道の御油宿と赤坂宿の中間、約600mの間に約300本もの松並木が繁っています。
江戸期に全国で植生が進められた松並木があまり現存していない理由の一つに、太平洋戦争末期に木材や油脂類が不足したことで、松の伐採が進められました。そんな中、ここは地元の方の尽力により戦中の1944年に国の天然記念物の指定を受けた事で、資材供出の影響を受けずに済んだ為、比較的往時の姿を留めているようです。
皆さんお書き込みの通り、歩道は整備されていますが、ところどころに可倒式ポールでの仕切があるのみで、ガードレールなどはありません(車道が狭いことや景観保護などが理由でしょう)。それなりの交通量がありますので、散策の際はご注意下さい。考え方によっては、往来の多い現...
Read more東海道35番目の宿場町、御油(ごゆ)宿。
赤坂宿と1.7kmしか間隔が無い為一頃は赤坂・五位(御油)宿と同宿扱いされていた時期もあったとのこと。さらに間隔の短い宿場な為、客引きもなかなか強引だったようで、歌川広重の東海道五十三次には御油の旅人留おんなの絵が残っています。 留女とは、旅籠の客引きの店員で今でも繁華街の夜の店で見かけるアレです。 東海道の宿場ではココ御油、赤坂での飯盛女も有名だったらしく、名前の通りご飯を給仕したり布団を敷いたりその他、男のロマンの詰まった奉公もあったのでしょう。この宿場の繁栄にはその飯盛女の影響が大きかったとのことです。 ともあれ現在の御油宿には見事な松並木がありますが、宿場の遺構は少なく保...
Read more「江戸時代にプチ遭遇」
もともとの松並木はすぐ背後まで 鬱蒼とした森が続いていたようです。 現在ではきれいに開発が進み、 松並木だけが残されています。 地域の方々が大切に守られていること、 それ自体頭が下がりっぱなしで 上がることがありません。 御油宿~赤坂宿間の600メートルほどの 長さしかありませんが、 ゆっくり歩いていただいて、 江戸時代の旅人気分を楽しんでください。 個人的には、路面の舗装は剥がして 路面も当時のものを再現してほしいと 思いまし...
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