「上杉謙信も七尾城攻略の拠点にした」 1183年の源平合戦の時 平維盛配下の平家軍が津幡宿を通る旧北陸道を見下すこの地に砦を築いたのが始まりとされる。 1576年には上杉謙信が越中から入って津幡に陣を取り、七尾城を攻略するための拠点にしたとも伝えられています。 1583年、加賀藩初代藩主 前田利家が支配し越中に対する防備として城を築き、弟の秀継に守らせました。 1584年佐々成政が末森城を攻撃した時には利家と秀継が救護の軍議を開き、後に利家が加賀・能登・越中の三国を支配し軍事的役割りを終えて廃城となる。 この様に何の変哲もない小さな城跡にも人間の大きなロマン...
Read more残念ながら城の遺構は、ほぼ残っていません。 倶利伽羅峠方向から流れてくる津幡川が、城跡の南側にさしかかると不自然に湾曲しています。 おそらく川を天然の濠として活用していた可能性が考えられます。 また、金沢から伸びる北陸街道は、津幡で越中 (富山県)方面へ進路をとるため、城址の石碑周辺は、街道を監視するための櫓または見張り台だったと思われます。 平安末期の源平争乱時に平維盛が砦を築いた事に始まり、要衝へと確立されていき、戦国期には金沢城の前田利家の実弟...
Read more津幡城は源平合戦の時代に起源をもつという古い城で、戦国時代、前田利家の治世までは重要な拠点として整備されていたようです。 その後廃城となり、現在では城跡を思わせるような遺構は何も残っていません。 それでも石碑の建つ高台に登って周囲を見回すと、かすかに昔の城のイメージが浮かん...
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