The staff were very kind—they explained many things about the place and even offered to take our picture. We also received a free bookmark made by local primary school children, which was a lovely touch. Thank you! Unfortunately, we didn’t have much time that day, so we couldn’t take a full tour...
Read more「遮光器土偶」と呼ばれる一種異様な容貌の土偶が出土した事で有名な縄文期の遺跡です。 ここから多量の土器が出土することは、江戸時代初期から知られていました。以後昭和初期に至るまで「盗掘」が横行し、かなりの出土品が持ち去られています。実際、過去数体の遮光器土偶が「私掘」され住民が所有していました。しかし好事家が「結構な金額」で買い取っていて、その消息は不明だそうです。また、海外へ流出したものも数多く、それらは大英博物館などで見ることができます。 遺跡の眼前には現在広大な水田が広がっていますが、かつてそこは海でした。その海岸段丘上の小高い丘陵地に亀ヶ岡遺跡は広がっています。その段丘の崖から遮光器土偶は発見されました。 ところでこの遺跡からは発掘されたものほとんどが「土坑墓」で、住居跡の発掘は数件しかありません。近隣には田小屋野貝塚、笹畑貝塚、五月女萢遺跡があり、亀ヶ岡遺跡がこれらの集落の集団墓地であった可能性が考えられています。しかし現時点で亀ヶ岡遺跡の発掘進捗度は数パーセントであり、今後の発掘によりその認識は改まる可能性があります。ご了承ください。 また亀ヶ岡遺跡の土器に類似したデザインのモノが、東北各地から九州に至る広範囲から出土しています。これを「亀ヶ岡文化(圏)」と呼称します。当時の人々が「亀ヶ岡ブランド」のデザインを愛好し、積極的にそれを模倣したわけです。要するに亀ヶ岡にはデザインの「鬼才」がいて、それが日本中を席巻していたわけですね。 そういえば棟方志功、太宰治、寺山修司などの鬼才達もこの地方の出身でした。ひょっとしたら青森には鬼才を育む土壌...
Read more[亀ヶ岡石器時代遺跡]
縄文時代晩期の集落遺跡
世界文化遺産,史跡
津軽平野西南部の丘陵先端部に位置している。 現地には遮光器土偶をかたどったモニュメントが建てられているが、その背後にある谷間の湿地帯から数多くの遺物が出土している。 遺跡は1622年に津軽藩2代目藩主の津軽信枚がこの地に亀ヶ岡城を築こうとした際、土偶や土器が出土したことから発見された。 なお、亀ヶ岡城の築城は一国一城令が出たために中断されている。 地名の亀ヶ岡は、「甕が出土する丘」に由来すると言われ、この地区には湿地帯が多く築城の際に地面に木を敷いて道路としたことから、「木造村」と呼ばれるようになった。 江戸時代にはここから発掘されたものは「亀ヶ岡物」と言われて好事家に喜ばれ、遠くオランダまで売られたものもある。 1万個を越える完形の土器が勝手に発掘されて持ち去られたという。 1980年丘陵上や谷の部分の調査が行われた結果、遮光器土偶をはじめ土器、石器、木製品、漆器などとともに土壙跡26基が発掘された。 しかし生活跡や遺構の調査は未発掘であり、現在無断で発掘することは禁止されている。 縄文時代晩期にはこの亀ヶ岡出土品に代表される様式の土器が北海道から中部・近畿の広い地区にわたって流行し、これらは亀ヶ岡文化とも呼ばれている。
誰もが知る遮光器土偶が発見された場所。 ただし肝心の土偶は東京にあり、現場は林が広がっている。
おすすめ度:★☆☆☆☆...
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