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Tsukigata Kabato Museum — Attraction in Tsukigata

Name
Tsukigata Kabato Museum
Description
Nearby attractions
Kitasusumu Temple
4 Shinan, Tsukigata, Kabato District, Hokkaido 061-0512, Japan
Kairaku Park
Japan, 〒061-0501 Hokkaido, Kabato District, Tsukigata, Kitanojo, 1
Nearby restaurants
Oshokuji no mise Popote
Japan, 〒061-0500 Hokkaido, Kabato District, Tsukigata, 市北1
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Keywords
Tsukigata Kabato Museum tourism.Tsukigata Kabato Museum hotels.Tsukigata Kabato Museum bed and breakfast. flights to Tsukigata Kabato Museum.Tsukigata Kabato Museum attractions.Tsukigata Kabato Museum restaurants.Tsukigata Kabato Museum travel.Tsukigata Kabato Museum travel guide.Tsukigata Kabato Museum travel blog.Tsukigata Kabato Museum pictures.Tsukigata Kabato Museum photos.Tsukigata Kabato Museum travel tips.Tsukigata Kabato Museum maps.Tsukigata Kabato Museum things to do.
Tsukigata Kabato Museum things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Tsukigata Kabato Museum
JapanHokkaido PrefectureTsukigataTsukigata Kabato Museum

Basic Info

Tsukigata Kabato Museum

1219 Tsukigata, Kabato District, Hokkaido 061-0500, Japan
4.3(291)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Family friendly
Accessibility
attractions: Kitasusumu Temple, Kairaku Park, restaurants: Oshokuji no mise Popote
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Phone
+81 126-53-2399
Website
town.tsukigata.hokkaido.jp

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Kitasusumu Temple

Kairaku Park

Kitasusumu Temple

Kitasusumu Temple

3.9

(16)

Open 24 hours
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Kairaku Park

Kairaku Park

3.9

(151)

Open 24 hours
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Nearby restaurants of Tsukigata Kabato Museum

Oshokuji no mise Popote

Oshokuji no mise Popote

Oshokuji no mise Popote

4.1

(176)

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Neil - The Backpack AdventuresNeil - The Backpack Adventures
The Tsukigata Kabato Museum is a captivating destination that provides visitors with a deep appreciation for the rich history and culture of the Tsukigata region. Made popular by its connection to the anime Golden Kamuy, the museum draws fans and history enthusiasts alike to explore its exhibits that delve into the Kabato region’s development and its ties to the historic Tsukigata Prison. The museum features a variety of well-curated exhibits showcasing the lives of prisoners, settlers, and locals who played key roles in shaping the town's identity. From historical artifacts and documents to photographs that vividly narrate the region's past, the displays are both educational and engaging. For fans of Golden Kamuy, visiting the museum offers a chance to connect with the historical backdrop that inspired parts of the anime’s storyline, making it a unique and meaningful experience. The building itself is designed to reflect the region's history, combining modern museum amenities with a rustic charm that echoes the Kabato area's heritage. The staff are exceptionally friendly and well-informed, eager to share the stories behind the exhibits and the museum’s connection to the anime. Their enthusiasm helps bring the history to life, whether you’re a casual visitor or a dedicated Golden Kamuy fan.
大草敏史大草敏史
旧樺戸集治監庁舎 五寸釘寅吉⇒三度の脱獄を繰り返す 旧新撰組 副長助勤故永倉新八⇒月形潔典獄の招きで、1882(明治15)年から4年間、剣術師範を務め、看守に剣術を指導する 📖五寸釘寅吉 ある夜更け、寅吉は松坂の質店三好屋に盗みに入る。蔵はちょうど修理中で、主の部屋に忍び足で近づくと、かねてから寅吉を追っていた者が犯行に気づく。寅吉もこれを察知。逃げるために2階に駆けあがり、ひらりと地上に飛び降りた。しかし地面に着いた瞬間、工事中であったために散らばっていた、五寸釘が打ち付けられた板を踏み抜いてしまったの。寅吉は手当をする間もあらばこそ、とにかく逃げ続け、2里半ばかり先でようやくひと息いた。板きれを抜こうと草むらで星明かりを頼りに足を見ると、釘は甲を優に貫通していた。必死の思いで釘を抜くと卒倒するような痛みと出血に耐えながら、とにかく身をかくして手当ができる場所をさがした。幸い親の代から親しくしている家が近く、這うように駆け込む。しかし、傷を焼酎で洗い回復を待っている日々に、寅吉は御用となった。このできごとが、やがて1899(明治32)年に東京の都新聞の探偵実話シリーズに「五寸釘寅吉」として取り上げられ、のちに本にもなると、寅吉は全国的な有名人となった。これが「五寸釘寅吉」のいわれ。寅吉が最初に樺戸に収監されたのは、1889(明治22)年9月。35歳のとき。神奈川県北多摩郡の酒荒物店に凶器をもって押し入り、10日後に情婦のもとに潜伏しているところを捕まった。15年の懲役刑を負っての樺戸入りだが、彼の犯罪歴は、しかしそのはるか前にさかのぼる。西川寅吉は1854(安政元)年、三重県多気郡上御糸村の貧しい小作農の4男に生まれた。19歳で結婚してほどなく父となったが家庭の複雑な事情があり、21歳のときに長兄との喧嘩から傷害事件を起こし、2年の刑を言い渡された。入ったのは、度会(わたらい)県(現・三重県)の度会刑務所。刑期を終えて帰郷しても、寅吉の人生の展望は晴れなかった。その後すぐ上の兄ら悪い仲間に引きずられるように強盗や傷害事件をくり返し、横浜監獄署と三重監獄署に入った。人生最初の脱獄はこの横浜監獄の時代。移送中に看守の目を盗んで逃げた。実家の地主への恨みがもとで起こした放火と傷害で捕まって入った三重監獄でも、仲間とともに脱獄。そのあとで起こしたのが、五寸釘を刺したまま質店から逃亡した事件だった。寅吉は東京の小菅集治監にあった、北海道送りの囚人を集める仮留監に入れられ、その後北海道に渡り、市来知(いちきしり・現在の三笠市)の空知集治監に移されることになった。空知集治監は、樺戸集治監とともに恐れられたさいはての監獄。しかし寅吉は、ここでも作業中に看守の目を盗み、まんまと脱獄に成功した。すぐ全国に指名手配となったが、逃げ続け、1889(明治22)年の秋、神奈川県で強盗を働いたところをつかまり、樺戸にやって来た。捕まったといっても寅吉は、原籍不明の西川安太郎という人物になりすまし、指名手配犯であることは隠していた。だから樺戸では前刑のない者が入る、一般の雑居房にいれられた。花札の名人で、やがて牢の中で一目おかれることになった。しかしあるとき、かつて空知集治監にいた看守に正体を見破られるとついに独房に移され、足首に鉄丸をつけられた。そのころ囚徒たちは、上水道の堰堤補修の工事についていた。この作業中寅吉たちは看守を襲い、ニシン景気にわく厚田へと逃走する。しかし5日目につかまり、結局監獄に戻された。牢屋はもちろん監視が厳重な独居房で、今度はとうとう無期徒刑(懲役)。独房にいるあいだは、一番重い1貫目(3.75キロ)の鉄丸がつけられた。ここで寅吉は、再び脱獄に挑む。外役から帰って鉄丸がつけられる一瞬のすきを狙い、かがみ込んだ看守を思いきり蹴り上げ、気絶させた。すばやく房を飛び出して看守を閉じ込めると、廊下を走り抜けて外に出る。途中の水場で赤い獄衣を脱いで濡らした。目の前には18尺(約5.5m)の高屏があった。持ったまま獄衣を思い切りたたきつけ、その吸着力を足場に屏をよじのぼり、ついに越えてしまった。石狩川の波止場にははるかな対岸にカゴを渡すためのケーブルがあり、寅吉はこれをサルのように伝って渡りきりる。こうして彼は、脱獄は絶対に不可能と言われた樺戸の監獄から2度目の脱出に成功した。樺戸のあと再び彼の記録が現れたのは、強盗で捕まって収監された宮城集治監だった。ここで彼は井上銀次郎という偽名を使い、刑を終えた。しかしその後また凶悪な強盗を繰り返し、ついにお縄となって無期刑囚として埼玉監獄署に入った。そして東京仮留監から北海道集治監釧路分監(標茶町)に送られる。この分監長はかつて空知集治監にいて、寅吉をよく知っていた。40歳を前にさすがに体力と気力は衰え、これ以後の寅吉はおとなしく刑に服す。9年後に網走分監(のちの網走刑務所)に移され、かつての神仏をも恐れぬ極悪非道な強盗犯から一変した従順な作業態度は、たぐいまれな伝説をもった模範囚として、人々の畏敬を集めるまでになっていた。そうして1924(大正13)年の秋、寅吉は刑期を短縮され晴れて自由の身となる。故郷の妻はすでに亡く、72歳になっていた。釈放のニュースは多くの新聞に取り上げられ、利にさとい興行師は「五寸釘寅吉劇団」という一座を作り、寅吉を主役に全国を巡業した。この間彼は、2度月形を訪れているが、監獄はすでに廃監となっていた。寅吉は昭和のはじめには息子のいる故郷の三重に帰り、畳の上で安らかに88歳の大往生をとげた 📖永倉新八 1839(天保10)年、松前藩の江戸定府取次役長倉勘次の次男として、同藩の上屋敷(江戸下谷三味線堀、現在の台東区小島2丁目)で生まれた。父は松前藩江戸詰の藩士。1846(弘化3)年、7歳で岡田利章の神道無念流剣術道場「撃剣館」に入門。4年目に師が亡くなると岡田助右衛門に師事して、15歳で切紙(初等の免許)、1856(安政3)年に18歳で本目録(修了証)を得ると、元服して新八と称します。19歳になると自由な剣術修行を求めて松前藩を脱藩、長倉を永倉と改めた。名を替えたのは、脱藩によって親族に迷惑がかからぬようにするため。本所亀沢町の百合元昇三の道場で剣を学んだのち、友である市川宇八朗(後の靖兵隊隊長芳賀宜道)と武者修業の旅に出た。やがて江戸に戻ると心形刀流伊庭軍平の門人坪内主馬に見込まれ、坪内道場師範代を勤めるうちに近藤勇と知り合い、近藤勇の道場、天然理心流「試衛館」の食客となる。江戸幕府が14代将軍家茂の上洛警護をする浪士の組織「浪士組」を組織すると、永倉は近藤らと共に参加。これが24人の「壬生浪士組」となり、やがて近藤が主導する「新撰組」に発展した。永倉は副長助勤、二番隊隊長、撃剣師範などの要職を歴任し、組のリーダーのひとりとしてありつづけた。しかし鳥羽・伏見の戦い(1868年)のあと江戸に退却後、永倉は近藤らと袂を分かち、靖兵隊(靖共隊)を結成。米沢藩に滞留中に会津藩の降伏を知り江戸へ戻る。このころすでに江戸幕府は大政奉還(政権を天皇に返上)を行っていたが、かつての同志土方歳三らは、まだ箱館戦争の榎本軍に合流していた。明治の世となり、永倉は松前藩家老下国東七朗によって帰藩を許され、江戸下谷三味線堀の藩長屋に居を構えました。しかし箱館の地では、旧幕府方と新政府軍による最後の戦いが最終局面を迎えていた。1870(明治3)年には松前に移住。34歳で藩医杉村松柏の娘杉村よねと結婚して杉村家の養子となる。1876(明治9)年には、かつての同志らの霊を慰めるために尽力して、東京板橋に新撰組殉難者墓碑を建立。ここは、近藤勇が斬首された板橋刑場(仙道板橋宿近く)にほど近い地だった。その後彼は小樽へ渡る。神道無念流を身につけた永倉は、新撰組で沖田総司に勝るとも劣らぬ剣の達人だった。1882(明治15)年、43歳の永倉は月形潔典獄に請われて開庁まもない樺戸集治監にやってきて、1886(明治19)年まで看守たちの剣術師範を務めた。囚徒管理のためにこと脱走事件に当たっては刀(サーベル)を抜くことも辞さなかった看守たちにとって、剣道の修練は重要な日課だった。集治監にはそのための演武場があった。永倉は、月形に赴任するにあたり、旧幕臣の大人物、山岡鉄舟に揮毫を請う。山岡は北辰一刀流千葉周作の門人で、「幕末の三舟」(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)のひとり。勝海舟の使者となり、勝と西郷隆盛の会談の実現に尽力して江戸城無血開城を実現させ、維新後は明治天皇の侍従となっていた。勝海舟の部下で槍術の大家であった高橋泥舟は、山岡の義兄にあたる。書家としても知られた山岡は杉村の願いに応え、「修武館」の額を贈る。以後集治監の演武場は、「修武館」の名を冠することになった。この額は樺戸監獄が1919(大正8)年に廃監となるまで道場に掲げられていたが、廃監に伴い公文書類とともに旭川監獄に引き継がれ、現在は旭川刑務所の演武場に掲げられている。集治監退職後は東京の牛込で剣術道場を開いたが、1899(明治32)年、妻と子供が北海道小樽色内で薬局を開いていたため、再び小樽へ。1915(大正4)年に77歳で亡くなるまで、小樽で暮らしつづけた
Journey Around 179Journey Around 179
北海道・空知、月形町にある歴史博物館です。 旧樺戸集治監本庁舎、本館、別館の3つで構成。 旧樺戸集治監本庁舎は北海道開拓時代の刑務所です。 今も原型を残す数少ない場所。 開庁からの歴史資料の展示、 当時の典獄(今でいう所長)の執務室、 囚人の監獄などが保存、見学することができ、当時のありようを学べます。 ゴールデンカムイの描写にも登場するとか。 本館はとても新しく整備された資料館で、 1階では集治監での暮らしぶりや、 使用されていた銃器や農具などを展示。 2階では囚人たちの生活の様子、 過酷な自然環境下での労役、著名な囚人の解説が、 資料やミニスクリーンで紹介しています。 別館は当地出身の彫刻家、本田明二のギャラリーです。 旧樺戸集治監本庁舎では当時の様子、 本館では囚人たちの生活が、非常にわかりやすく、 とてもいいレイアウトで展示されており、 一見の価値のある場所です。 評価を星5にしようかと思いましたが、 この博物館内は全て撮影が禁止。 職員の方にたずねたところ、 「著作権がなんとか。詳細は知らないんです。」 とのこと。 他の口コミにも見られますが、 これだけ資料や設備にお金をかけ、 わかりやすく展示しているにもかかわらず、 あまり有名でないのは 撮影禁止が影響していると感じます。 想像ですが著作権は、 彫刻家の展示が関係していると思われます。 もしそうなら、彫刻は別の場所に展示し、 集治監とセットにすべきではないかと思います。 これだけの博物館なのに、もったいないと感じます。 なお、月形町の町役場に併設しています。
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The Tsukigata Kabato Museum is a captivating destination that provides visitors with a deep appreciation for the rich history and culture of the Tsukigata region. Made popular by its connection to the anime Golden Kamuy, the museum draws fans and history enthusiasts alike to explore its exhibits that delve into the Kabato region’s development and its ties to the historic Tsukigata Prison. The museum features a variety of well-curated exhibits showcasing the lives of prisoners, settlers, and locals who played key roles in shaping the town's identity. From historical artifacts and documents to photographs that vividly narrate the region's past, the displays are both educational and engaging. For fans of Golden Kamuy, visiting the museum offers a chance to connect with the historical backdrop that inspired parts of the anime’s storyline, making it a unique and meaningful experience. The building itself is designed to reflect the region's history, combining modern museum amenities with a rustic charm that echoes the Kabato area's heritage. The staff are exceptionally friendly and well-informed, eager to share the stories behind the exhibits and the museum’s connection to the anime. Their enthusiasm helps bring the history to life, whether you’re a casual visitor or a dedicated Golden Kamuy fan.
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旧樺戸集治監庁舎 五寸釘寅吉⇒三度の脱獄を繰り返す 旧新撰組 副長助勤故永倉新八⇒月形潔典獄の招きで、1882(明治15)年から4年間、剣術師範を務め、看守に剣術を指導する 📖五寸釘寅吉 ある夜更け、寅吉は松坂の質店三好屋に盗みに入る。蔵はちょうど修理中で、主の部屋に忍び足で近づくと、かねてから寅吉を追っていた者が犯行に気づく。寅吉もこれを察知。逃げるために2階に駆けあがり、ひらりと地上に飛び降りた。しかし地面に着いた瞬間、工事中であったために散らばっていた、五寸釘が打ち付けられた板を踏み抜いてしまったの。寅吉は手当をする間もあらばこそ、とにかく逃げ続け、2里半ばかり先でようやくひと息いた。板きれを抜こうと草むらで星明かりを頼りに足を見ると、釘は甲を優に貫通していた。必死の思いで釘を抜くと卒倒するような痛みと出血に耐えながら、とにかく身をかくして手当ができる場所をさがした。幸い親の代から親しくしている家が近く、這うように駆け込む。しかし、傷を焼酎で洗い回復を待っている日々に、寅吉は御用となった。このできごとが、やがて1899(明治32)年に東京の都新聞の探偵実話シリーズに「五寸釘寅吉」として取り上げられ、のちに本にもなると、寅吉は全国的な有名人となった。これが「五寸釘寅吉」のいわれ。寅吉が最初に樺戸に収監されたのは、1889(明治22)年9月。35歳のとき。神奈川県北多摩郡の酒荒物店に凶器をもって押し入り、10日後に情婦のもとに潜伏しているところを捕まった。15年の懲役刑を負っての樺戸入りだが、彼の犯罪歴は、しかしそのはるか前にさかのぼる。西川寅吉は1854(安政元)年、三重県多気郡上御糸村の貧しい小作農の4男に生まれた。19歳で結婚してほどなく父となったが家庭の複雑な事情があり、21歳のときに長兄との喧嘩から傷害事件を起こし、2年の刑を言い渡された。入ったのは、度会(わたらい)県(現・三重県)の度会刑務所。刑期を終えて帰郷しても、寅吉の人生の展望は晴れなかった。その後すぐ上の兄ら悪い仲間に引きずられるように強盗や傷害事件をくり返し、横浜監獄署と三重監獄署に入った。人生最初の脱獄はこの横浜監獄の時代。移送中に看守の目を盗んで逃げた。実家の地主への恨みがもとで起こした放火と傷害で捕まって入った三重監獄でも、仲間とともに脱獄。そのあとで起こしたのが、五寸釘を刺したまま質店から逃亡した事件だった。寅吉は東京の小菅集治監にあった、北海道送りの囚人を集める仮留監に入れられ、その後北海道に渡り、市来知(いちきしり・現在の三笠市)の空知集治監に移されることになった。空知集治監は、樺戸集治監とともに恐れられたさいはての監獄。しかし寅吉は、ここでも作業中に看守の目を盗み、まんまと脱獄に成功した。すぐ全国に指名手配となったが、逃げ続け、1889(明治22)年の秋、神奈川県で強盗を働いたところをつかまり、樺戸にやって来た。捕まったといっても寅吉は、原籍不明の西川安太郎という人物になりすまし、指名手配犯であることは隠していた。だから樺戸では前刑のない者が入る、一般の雑居房にいれられた。花札の名人で、やがて牢の中で一目おかれることになった。しかしあるとき、かつて空知集治監にいた看守に正体を見破られるとついに独房に移され、足首に鉄丸をつけられた。そのころ囚徒たちは、上水道の堰堤補修の工事についていた。この作業中寅吉たちは看守を襲い、ニシン景気にわく厚田へと逃走する。しかし5日目につかまり、結局監獄に戻された。牢屋はもちろん監視が厳重な独居房で、今度はとうとう無期徒刑(懲役)。独房にいるあいだは、一番重い1貫目(3.75キロ)の鉄丸がつけられた。ここで寅吉は、再び脱獄に挑む。外役から帰って鉄丸がつけられる一瞬のすきを狙い、かがみ込んだ看守を思いきり蹴り上げ、気絶させた。すばやく房を飛び出して看守を閉じ込めると、廊下を走り抜けて外に出る。途中の水場で赤い獄衣を脱いで濡らした。目の前には18尺(約5.5m)の高屏があった。持ったまま獄衣を思い切りたたきつけ、その吸着力を足場に屏をよじのぼり、ついに越えてしまった。石狩川の波止場にははるかな対岸にカゴを渡すためのケーブルがあり、寅吉はこれをサルのように伝って渡りきりる。こうして彼は、脱獄は絶対に不可能と言われた樺戸の監獄から2度目の脱出に成功した。樺戸のあと再び彼の記録が現れたのは、強盗で捕まって収監された宮城集治監だった。ここで彼は井上銀次郎という偽名を使い、刑を終えた。しかしその後また凶悪な強盗を繰り返し、ついにお縄となって無期刑囚として埼玉監獄署に入った。そして東京仮留監から北海道集治監釧路分監(標茶町)に送られる。この分監長はかつて空知集治監にいて、寅吉をよく知っていた。40歳を前にさすがに体力と気力は衰え、これ以後の寅吉はおとなしく刑に服す。9年後に網走分監(のちの網走刑務所)に移され、かつての神仏をも恐れぬ極悪非道な強盗犯から一変した従順な作業態度は、たぐいまれな伝説をもった模範囚として、人々の畏敬を集めるまでになっていた。そうして1924(大正13)年の秋、寅吉は刑期を短縮され晴れて自由の身となる。故郷の妻はすでに亡く、72歳になっていた。釈放のニュースは多くの新聞に取り上げられ、利にさとい興行師は「五寸釘寅吉劇団」という一座を作り、寅吉を主役に全国を巡業した。この間彼は、2度月形を訪れているが、監獄はすでに廃監となっていた。寅吉は昭和のはじめには息子のいる故郷の三重に帰り、畳の上で安らかに88歳の大往生をとげた 📖永倉新八 1839(天保10)年、松前藩の江戸定府取次役長倉勘次の次男として、同藩の上屋敷(江戸下谷三味線堀、現在の台東区小島2丁目)で生まれた。父は松前藩江戸詰の藩士。1846(弘化3)年、7歳で岡田利章の神道無念流剣術道場「撃剣館」に入門。4年目に師が亡くなると岡田助右衛門に師事して、15歳で切紙(初等の免許)、1856(安政3)年に18歳で本目録(修了証)を得ると、元服して新八と称します。19歳になると自由な剣術修行を求めて松前藩を脱藩、長倉を永倉と改めた。名を替えたのは、脱藩によって親族に迷惑がかからぬようにするため。本所亀沢町の百合元昇三の道場で剣を学んだのち、友である市川宇八朗(後の靖兵隊隊長芳賀宜道)と武者修業の旅に出た。やがて江戸に戻ると心形刀流伊庭軍平の門人坪内主馬に見込まれ、坪内道場師範代を勤めるうちに近藤勇と知り合い、近藤勇の道場、天然理心流「試衛館」の食客となる。江戸幕府が14代将軍家茂の上洛警護をする浪士の組織「浪士組」を組織すると、永倉は近藤らと共に参加。これが24人の「壬生浪士組」となり、やがて近藤が主導する「新撰組」に発展した。永倉は副長助勤、二番隊隊長、撃剣師範などの要職を歴任し、組のリーダーのひとりとしてありつづけた。しかし鳥羽・伏見の戦い(1868年)のあと江戸に退却後、永倉は近藤らと袂を分かち、靖兵隊(靖共隊)を結成。米沢藩に滞留中に会津藩の降伏を知り江戸へ戻る。このころすでに江戸幕府は大政奉還(政権を天皇に返上)を行っていたが、かつての同志土方歳三らは、まだ箱館戦争の榎本軍に合流していた。明治の世となり、永倉は松前藩家老下国東七朗によって帰藩を許され、江戸下谷三味線堀の藩長屋に居を構えました。しかし箱館の地では、旧幕府方と新政府軍による最後の戦いが最終局面を迎えていた。1870(明治3)年には松前に移住。34歳で藩医杉村松柏の娘杉村よねと結婚して杉村家の養子となる。1876(明治9)年には、かつての同志らの霊を慰めるために尽力して、東京板橋に新撰組殉難者墓碑を建立。ここは、近藤勇が斬首された板橋刑場(仙道板橋宿近く)にほど近い地だった。その後彼は小樽へ渡る。神道無念流を身につけた永倉は、新撰組で沖田総司に勝るとも劣らぬ剣の達人だった。1882(明治15)年、43歳の永倉は月形潔典獄に請われて開庁まもない樺戸集治監にやってきて、1886(明治19)年まで看守たちの剣術師範を務めた。囚徒管理のためにこと脱走事件に当たっては刀(サーベル)を抜くことも辞さなかった看守たちにとって、剣道の修練は重要な日課だった。集治監にはそのための演武場があった。永倉は、月形に赴任するにあたり、旧幕臣の大人物、山岡鉄舟に揮毫を請う。山岡は北辰一刀流千葉周作の門人で、「幕末の三舟」(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)のひとり。勝海舟の使者となり、勝と西郷隆盛の会談の実現に尽力して江戸城無血開城を実現させ、維新後は明治天皇の侍従となっていた。勝海舟の部下で槍術の大家であった高橋泥舟は、山岡の義兄にあたる。書家としても知られた山岡は杉村の願いに応え、「修武館」の額を贈る。以後集治監の演武場は、「修武館」の名を冠することになった。この額は樺戸監獄が1919(大正8)年に廃監となるまで道場に掲げられていたが、廃監に伴い公文書類とともに旭川監獄に引き継がれ、現在は旭川刑務所の演武場に掲げられている。集治監退職後は東京の牛込で剣術道場を開いたが、1899(明治32)年、妻と子供が北海道小樽色内で薬局を開いていたため、再び小樽へ。1915(大正4)年に77歳で亡くなるまで、小樽で暮らしつづけた
大草敏史

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北海道・空知、月形町にある歴史博物館です。 旧樺戸集治監本庁舎、本館、別館の3つで構成。 旧樺戸集治監本庁舎は北海道開拓時代の刑務所です。 今も原型を残す数少ない場所。 開庁からの歴史資料の展示、 当時の典獄(今でいう所長)の執務室、 囚人の監獄などが保存、見学することができ、当時のありようを学べます。 ゴールデンカムイの描写にも登場するとか。 本館はとても新しく整備された資料館で、 1階では集治監での暮らしぶりや、 使用されていた銃器や農具などを展示。 2階では囚人たちの生活の様子、 過酷な自然環境下での労役、著名な囚人の解説が、 資料やミニスクリーンで紹介しています。 別館は当地出身の彫刻家、本田明二のギャラリーです。 旧樺戸集治監本庁舎では当時の様子、 本館では囚人たちの生活が、非常にわかりやすく、 とてもいいレイアウトで展示されており、 一見の価値のある場所です。 評価を星5にしようかと思いましたが、 この博物館内は全て撮影が禁止。 職員の方にたずねたところ、 「著作権がなんとか。詳細は知らないんです。」 とのこと。 他の口コミにも見られますが、 これだけ資料や設備にお金をかけ、 わかりやすく展示しているにもかかわらず、 あまり有名でないのは 撮影禁止が影響していると感じます。 想像ですが著作権は、 彫刻家の展示が関係していると思われます。 もしそうなら、彫刻は別の場所に展示し、 集治監とセットにすべきではないかと思います。 これだけの博物館なのに、もったいないと感じます。 なお、月形町の町役場に併設しています。
Journey Around 179

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The Tsukigata Kabato Museum is a captivating destination that provides visitors with a deep appreciation for the rich history and culture of the Tsukigata region. Made popular by its connection to the anime Golden Kamuy, the museum draws fans and history enthusiasts alike to explore its exhibits that delve into the Kabato region’s development and its ties to the historic Tsukigata Prison.

The museum features a variety of well-curated exhibits showcasing the lives of prisoners, settlers, and locals who played key roles in shaping the town's identity. From historical artifacts and documents to photographs that vividly narrate the region's past, the displays are both educational and engaging. For fans of Golden Kamuy, visiting the museum offers a chance to connect with the historical backdrop that inspired parts of the anime’s storyline, making it a unique and meaningful experience.

The building itself is designed to reflect the region's history, combining modern museum amenities with a rustic charm that echoes the Kabato area's heritage. The staff are exceptionally friendly and well-informed, eager to share the stories behind the exhibits and the museum’s connection to the anime. Their enthusiasm helps bring the history to life, whether you’re a casual visitor or a dedicated...

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7y

旧樺戸集治監庁舎 五寸釘寅吉⇒三度の脱獄を繰り返す 旧新撰組...

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5.0
1y

Taking pictures it’s prohibited inside the compound. Very sad, sinister history how cruely were treated also political prisoners at those times about a hundred+ years ago. Because not all prisoners were criminals… A decent and good quality museum presentation. Genuine aschives, photos, video presentations and even two prison...

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