平安時代の後期に勃発した奥州における俘囚の反乱【前九年の役】の首魁安倍貞任と弟安倍宗任を御祭神とする神社(神社庁調べ・安倍頼時嫡男貞任も御祭神らしい)。 安倍氏の臣松本七郎秀則・息八郎秀元が天仁二年(宗任没後翌年)宗任の神託を得て、鳥海山麓より宗任公着用の青龍の甲胄と遺品を奉じて当地に神社を造営したというのが御由緒である。 安倍宗任は陸奥国奥六郡に存在した鳥海柵(岩手県胆沢郡金ケ崎町西根原添下に所在)の城主である。説話には、宗任誕生の地が陸奥国亘理郡内”鳥海の浦”という場所で、その地名に因んで鳥海三郎と称したという。 一方、神社御由緒にある鳥海山(山形県飽海郡遊佐町吹浦)は、出羽国の名峰であるが、安倍氏拠点からかなりの距離があり、何故宗任の遺品が離れた鳥海山麓に在ったのかは不思議に思う所である。普通に考えれば、遺品は鳥海柵に在りそうなものだが、安倍宗任が九州に置かれていた間、郷里奥六郡では後三年の役が起こり、勢力図が清原氏から藤原氏へと変遷しており、鳥海柵の物品は混乱の中で散逸しそうに思えるが、そもそも遺品は無かったという事になるのだろうか。 しかし興味深い事に、鳥海山の山名が、出羽国由利郡にも安倍宗任の勢力が及んでいた為に、鳥海三郎の名に由来するとの説がある。そうだとすると、宗任は鳥海柵と鳥海山の間に聳える1000メートル級の山々が連なる奥羽山脈を越えなければならないが、果たして真相は如何なるものなのだろうか。(これも伝説か) そして、『青龍の甲冑と遺品』は在るのかも気になる所である。 因みに、前九年の役は、あの大河でドラマ化されており、宗任を演じたのは川野太郎氏であった。このドラマでは、源頼義率いる朝廷軍が大鎧姿だったのに対し、安倍一族軍は少し古風な表現の難しい鎧を纏っていた事も興味深い。(ドラマ使用の安倍一族着用の鎧は、十三湖の中島に在る小さい資料館に展示されていた...
Read more『宗任神社』 住所→ 〒304-0813...
Read more御祭神は主神として安部宗任公を、配祀神として安部貞任公を祀った神社です⛩️ 縁起記に、『天仁二年、安部氏の家臣松本七郎秀則・息子八郎秀元が亡君宗任公の神託により旧臣二十余名と共に公着用の清龍の甲冑・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地来住して鎮齋した。鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば人はすこやかに、地は栄えるようになるだろう」と告げる。以来この地は宗道となった。』とあります。鎮座地の宗道の地名には、こんないわれがあったのですね! 境内社として神明社、豊年社、霊神社、水神社、鹿島社、香取社、八坂社、坂下八幡社、稲荷社、交通神社、外八祠をお祀りしており、近くの宗道神社の御朱印もこちらで戴けます。 境内はよくお手入れされており、ゆったりとした時間の流れる心落ち着く神社でした。宮司様も、お話好きなとても感じの良い方です。 また、神社の裏手には『江連用水旧溝宮裏両樋』と言うレンガ作りの水門があります...
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