【当社】(ソウドウ)は、明治維新後まで鬼怒川の舟運盛況であった頃は、宗道河岸の上中下の三河岸が設けられ、これらの水運関係者を始めとする地元民の崇敬が篤かった社である。 【所在地】は、茨城県下妻市宗道(ソウドウ、〒304-0814)。 「宗道」は、前九年の役で「安倍宗任(アベノムネトウ)」が、源頼義・八幡太郎義家父子に捕縛されて、向石下に館を構えた赤須四郎こと「平政幹(タイラノマサモト)」が地元の鬼怒川で京の都に連行した時に、地域繁栄にために改名を提案したことに起因する。後に彼は、軍功に対する恩賞として豊田郡を賜り、「豊田氏」を称することになる。 当社の兼務社である「宗任(ムネトウ)神社」の所在地は、下妻市本宗道(ホンソウドウ)である。これはいかなる理由、経緯なのかが気になるところである。大字の名称である宗道と本宗道では、どちらが古い由緒を持つのだろうか?。好字二字令という中世の法令からすると、古い地名表記が1文字だったものを中国に習って良い字二文字で地名を表記するようになった。これは氏名にも拡大適用されたようだ。すると宗道が古く、本宗道が新しいと判断できる。そもそも古い方が本の字を頭に冠することはないと考えられる。 【河道】改修が、鉄道網が整備されて河川物流が主役を降りた明治時代に屈曲部(つの字:三日月形)を直進させるように行われた。屈曲部の深奥に当社が立っていた。河道の屈曲が、流れを緩やかなものとして物資の積み卸しに適した場所であったろう。そして象徴的な場は、宗道神社境内地であり、宗任神社は後方支援地であろう。 【創建】は、不詳である。 【御祭神】は、「須佐之男命(スサノオノミコト)」である。 同神は、京都祗園の八坂神社の御祭神で、神仏習合により「牛頭天王」と見なされた。個人的な神社探訪では、江戸幕府が江戸城を中心に全国を統治する中で、大坂商人が関東に移住し、これに伴い八坂神社が茨城南部の各地に建立されたようだ。大坂商人は、祇園祭の賑やかさを好んだようだ。 【御朱印】は、当社の北東300mに鎮座する兼務社「宗任神社」で貰える。同社の宮司さんは、御祭神の「安倍宗任・貞任」の家臣末裔である。また観光ボランティアを務めているのか説明資料を分けてくれます。 【接道】は、東西からは県道つくば古河(56号)線で、「宗道十字路」の信号機の一つ西の信号機のところにある。 南北からは県道谷和原筑西(357号)線又は国道294号線バイパスを利用し、それぞれ「宗道十字路」、「大薗木」の信号機を西進する。 【駐車場】は、未整備である。しかし、境内西側の道向かい(小河川(旧鬼怒川)沿い)に駐車スペースが約10台分ある。 【トイレ】は、未確認であるので、来るまでにコンビニ等で用を済ませるのがベスト。なお、信号の斜向かいの先に下妻市千...
Read more『宗道神社』 住所→〒304-0814 茨城県下妻市宗道8
祀神︰須佐之男命
御朱印:あり 駐車場︰なし
備考︰ ・創建年代は不詳であるものの、一説には平安時代末期に創建されて、鎌倉時代に現在地に遷座されてきたそう
・宗任神社の末社で、八坂社、黒巣天王と称した頃もあったらしい
・寛永年間(1624年-1645年)には、下妻藩主である松平氏の崇敬を受け、社殿が整備された
・境内には早良親王(崇道天皇)を祀る庚申社があり、奈良時代に都から逃れてこの地の黒巣家の娘と結ばれたという説がある
・賽銭箱と大きな拝殿があることから、立派な神社と感じる
・天然記念物の大欅があるらしく、石碑が鳥居となりにあった
・基本的に無人の神社であるものの、付近にある『宗任神社(〒304-0813...
Read more追記: 令和3年5月26日に再度お詣りしました。 宗道神社をお詣りしてから宗任神社をお詣りしました。 宗任神社にて宗道神社の御朱印もいただきました。 御朱印、御由緒と宗道神社のすぐ近くの河岸の案内板の写真をアップします。 令和3年4月1日にお詣りしました。 車は、神社からファミマ側の道路に停めるスペースがありますね。 私は、ファミマに停めて、おにぎりを食べてからお詣りしました。 決して大きくはないですが、静かでゆったりお詣りできます。 神社の一角に、宗道河岸の碑がありました。鉄道が開通するまでは、船が主流だったんですね。すご...
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